他人のことを雑誌や新聞で紹介することは多い。反対に、自分のことを誰かに文章で書かれることは数えるほどしかない。例外的な事例が、今月号のカインズ社内報で起こった。社長の土屋さんが連載している「交遊抄」というコーナーに、わんすけ先生がトップバッターで登場したのだ。
「PEOPLE」の欄に登場した原文(2017年12月号)をそのままで引用する。こんな風にわたしのことを思っているのだ。
親しい友人であり、なおかつ現役のトップ企業家である土屋さんの眼に、わたしがこんな風に映っている。それでは、いまの学生たちや卒業生から、わんすけ先生はどのように見えているのだろうか?
実は、昨夜(12月28日)、GRC(群馬レーシング倶楽部)の納会が神楽坂の中国料理店で開催された。メンバーは7人。その中で、現役で走り続けているのはわたしと土屋さんくらいだ。いまや名ばかりのGRCなのだが、不思議と飲み会だけは続いている。これがまた楽しいのだ。
一次会で、土屋さんはわたしの隣の席に座った。御年51歳。土屋さんはまだ若い。先がある。わたしは、そろそろ就活だ。
その席で、十和田湖のレース(土屋さんたちGRCと元ゼミ生の女子二人は、20KMにエントリー)のことが話題になった。いまスイスに留学している娘さんも、家族総出でGRCのメンバーを応援してくれた。わたしと真継(次男)はフルマラソンに出場したのだが、ゴールタイムが時間を少しオーバー。そのため、土屋さん家族の「秋田新幹線 こまち号」の発車時刻に、ゴールインが間に合わなくなった。
そのとき、小学生だった美葉(みわ)ちゃんの大人びたセリフが忘れらない。千田さん曰く。「「先生に伝えてね」って。「みわ、小川先生のこと、絶対に忘れないからね!」と言って、田沢湖駅に向かうタクシーにみんなで乗り込んだのだそうだ。
振り返ってみると、GRCメンバー(土屋さん、中川さん、千田さん、石川さん)との付き合いは、15年近くになっている。土屋さんたちは、ほぼ50代の前半。そのころのわたしは、人生の「三重苦」(①~③)に悩まされていた。昨夜、隣に座った土屋さんにその話をしたのだが、「(当時の)先生は、そんな風には見えなかったですよ」との印象だったらしい。
他人の眼から見たわたしとは裏腹に、しかし、50歳代前半だった本人は、死ぬかと思うほどにたいへんだった。
①経営学部長に選ばれた橋本寿郎さんが、1月に急逝。急遽、経営学部長に就任することになった。この前後から、学内政治に巻き込まれて、まともにアカデミックな仕事ができなくなった。
②2000年に、49歳で「JFMA(日本フローラルマーケティング協会)」を仲間と一緒に立ち上げた。これで二重生活(二足の草鞋)の始まりになった。
③ほぼ同時に、学会誌「マーケティングサイエンス」の編集長を仰せつかった。それでも、研究活動は停滞していた。業績があがらない編集長職はとても苦しかった。
さらには、家族もわたしも、公私ともども問題をたくさん抱えていた。受験失敗、就職の不振など。なんとか、それでも、この時代を乗り切れたと自分では思っている。
土屋さんやその他のGRCメンバーに、中川さんとふたりで経験者としてアドバイスをした。
「50歳代前半が人生で最も苦しかった。そこからは、とても楽になります!」
厳しい時間をなんとかやり過ごせたのは、わたしの場合は、”よきメンター”の存在だった。千田さんとの会話で、「苦しくなったら、いつでも小川先生のところに、どうぞ!」。早速、来年早々に、中華料理店の隣にあったてんぷら屋でおごらせられることになった。
それでも、みなさん、元気そうではあった。
*ちなみに、もちろんですが、ブログへの掲載に関しては土屋社長とCAINZ広報室の許可を得ています。
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「小川孔輔先生(交遊抄①)」
旧くからの友人について触れておきたい。
法政大学の小川孔輔教授に初めて会ったのは群馬県内のマラソン大会だったと記憶している。マラソン仲間であり飲み仲間である。
「走る教授」小川先生は御歳66歳の現在でも、フルマラソンを年間何本も完走し、
日本フローラルマーケティング協会の会長を勤め、多くの企業のコンサルをこなし、執筆活動をしながら教壇に立つ。
知力と体力の限界にチャレンジするかのような健在ぶりに頭が下がる。
専門はマーケティング。特にフィールドワークを重視する。
そのためか大学教授としては異例なほど様々な業界の人に顔が広い。
わが業界における共通の知り合いも多く、ストライプの石川社長、ハーツユナイテッドグループの玉塚さん、
松井事務所の松井さん、青山フラワーマーケットの井上さん、ロックフィールドの岩田社長など等、数え上げるときりが無い。
著作も多く翻訳や共著も含めるとざっと50冊。執筆した書籍を積み重ねて自身の背丈を越えるのが目標と話されていた。
マラソン、執筆そして海外生活と重なるところが多いからなのか、同世代の村上春樹さんへは密かなライバル心があるようだ。
村上さんに「走ることについて語るときに僕の語ること」という著作があるが、
やはり小川先生にとっても走ることは書くことなのだろう。
大学教授だがメールを打つ速度は女子高生並みに早い。
返信を打っている間に既に違う話題のメールが届くのはしょっちゅう。
今や先生のメールリストにはぼくを通り越して複数のカインズの社員が登録されており、メル友として繋がっている。
とにかく忙しい人だ。先生がいま何をしているか想像するだけでも疲れる。
「新刊が出ました!」というメールをよくもらうが、どこにそんな時間があるのだろうと不思議である。
いつの間にか、「マラソンと飲み会」だけでなく何でも話し合う仲間になっていた。
2015年のDIYサミットでぼくが英語のスピーチを引き受けることになって最初に相談にいったのが小川先生だった。
アメリカでの留学経験がある先生に英語のスピーチの極意を教わろうと考えたのだ。
その際「スピーチは内容がよければ多少英語がまずくても聞いてくれる。流暢な英語で内容が無いのは最悪。日本語でしゃべるつもりでいい」といわれた。
内容がしっかりしていれば聴衆は聞くはず、という経験者のアドバイスは本当に心強かった。
サミットから戻ってきて法政のみなさんと打ち上げにいった汐風は楽しかったですね!
いつも好奇心旺盛の小川先生ほど「商売っ気」のある教授を知らない。
「商い」は「飽きない」が語源とされているが、
ひと回り以上離れた大先輩の友人を見ていて飽きない。
土屋裕雅(サイン)