2016年末に、JAの機関紙『地上』からインタビューの依頼があった。テーマは有機農業。慣行農法が基本の農協からでなので、ちょっとびっくりした。インタビュー記事の記録は、市川さんというライターの方がまとめて、今年の2月号に掲載された。
<リード文>
化学肥料や農薬などを使用しない有機農業の国内の栽培面積シェアは約0.5%。市場規模は1300億円程度であり、諸外国に比べても、ひじょうに低い水準である。しかし、昨今、オーガニック(有機・自然食品)市場に新たな潮流が生まれつつある。
今後、有機農業は経営の選択肢の一つとなりうるのか。その可能性を探る。市川隆=文
■日本の有機農業はかならず拡大し、定着します
なぜ日本では有機農業が進まないのか。これからはどうなっていくのか。
有機農業の流通やマーケティングに詳しい小川さんに聞く。
<Interview~識者の見解~>
「オーガニック・エコ農と食のネットワーク」代表幹事 小川孔輔さん
1951年秋田県生まれ。74年、東京大学経済学部卒業。86年より法政大学経営学部教授。現在同大学経営大学院イノベーション・マネジメント研究科教授。2000年に、(一社)日本フローラルマーケティング協会を創設(会長)。16年、「オーガニック・エコ農と食のネットワーク(NOAF)」を設立し、代表幹事を務める。
昨年一一月中旬、「オーガニックライフスタイルEXPO」が東京国際フォーラムを会場に二日間にわたって開かれました。オーガニック(有機・自然)食品に注目した大規模なイベントが開かれるのは、今回が初めて。そこで注目を集めたのは、大手量販店のオーガニック食品への本格的な取組です。
大手スーパーのイオンはプライベートブランド(PB)「トップバリュー」の中にオーガニック食品の「グリーンアイ」カテゴリーを設けていましたが、これを「オーガニック」「ナチュラル」「フリーフロム(合成着色料、保存料、甘味料などの添加物のない加工食品)」という三グループに分けてアイテム数を拡充。
また、近畿圏と首都圏に食品スーパーを展開するライフは、オーガニック食品の品ぞろえを充実させた新店舗「ビオラル」の一号店を大阪市内に出店しました。
このような動きが、いま起こっている背景には、オーガニック食品への世界的なトレンドのなかで、日本だけがぽっかりあいた穴のようだったという事情があります。日本で有機農業が行われているのは全農地面積の〇・五%程度(有機JAS認証圃場は約〇・二二%)といわれています。欧米では、ざっとその一〇倍。オーガニック食品の市場も毎年一〇%ずつ拡大していますが、日本では有機野菜・無添加食材の宅配事業で先行している「らでぃっしゅぼーや」でさえ、拡大のテンポは一〇年で二倍という程度です。
これまで日本におけるオーガニック食品の市場がなかなか成長しなかった大きな理由には、加工品も含めて、売る場所が限定されていたこと。一つは専門店、もう一つは宅配システム。主要な販売経路はこの二つしかなく、会員になったり、そのつど注文したりと手間がかかります。チェーン展開している大型スーパーではオーガニック食品をほとんど扱っていませんでした。市場が広く開かれていないために、生産者も契約栽培でないと売り先の確保が難しくなります。生産面でも流通面でも、なかなか規模が拡大しづらい状況がありました。
■”社会運動”と”ビジネス”という二面性
オーガニックの歴史は一九七〇年代に遡ります。公害問題に端を発する”社会運動”としてのオーガニックです。これはヨーロッパやアメリカでも同じです。しかし欧米では、”ビジネス”としてのオーガニックも大きく動きだしました。
たとえば、アメリカの場合、流通ではホールフーズ社、生産と加工ではアースバウンド社といった巨大な企業が登場し、オーガニックの市場が拡大していったのですが、日本ではずっと”社会運動型”が主流でした。ビジネス型と「車の両輪」を形成することはありませんでした。
このような社会的背景に加え、日本で有機農業が普及しなかった理由は二つあると考えています。一つは扇が狭くて大農ができなかったこと。もう一つは、あまり指摘されていませんが、日本では歴史的に水田での稲作が中心の、いわば水に流せる農業です。この点が、生物多様性に乏しく、地下水の問題が大きいヨーロッパとは異なります。
日本では公害問題が農業には及ばなかったという意味ではないのですが、水産物や畜産物に比べて、農産物にたいする危機感は、欧米ほど深刻ではありませんでした。ここまでが、二〇〇六年に「有機農業推進法」ができるまでの、いわばオーガニック第一世代です。
■「有機農業推進法」の制定後も動かないマーケット
ところが第二世代に入っても、大きな進展が見られたわけではありません。新しいマーケットが形成されるためには、スタープレーヤー(モデルになる人物)の登場が必要ですが、第二世代にカリスマ性を備えたスターは現れませんでした。有機農業を実践している農家は、慣行農業に囲まれ、孤島のような存在になり、集落の中でも孤立しがちだからです。大規模な干拓地などで有機農業が成功していることは、その証しといえます。
新規就農者を対象にした意識調査によれば、そのうちの約三割が有機農業を志向していますが、実際に有機農業を始めるのは約一割、継続していけるのは、そのまた一割。つまり有機で成功するのは一〇〇人に一人程度です。また、有機JASの認証を得るための手続きが煩雑で、費用も手間もかかるため、日本では約半数が認証を取らずに有機農業を行っています。これもEU(ヨーロッパ連合)ひゃアメリカと異なる点です。
日本で有機農業を始めようと思っても、第一に、「平坦で区画も広い、いい土地」は、新規就農者ならなおさら手に入れるのは難しい。第二に、まだ一般の市場に比べたら売り先が限られている。さらに、栽培技術の不足も大きな問題です。
農薬を使わず、除草もしないで、雑草を鋤き込んでしまう方法が有機農業にはありますが、その技術にしても標準化されているわけではなく、習得には時間が必要です。一般に有機農業では、目標とする出荷量にたいして二、三割多めに播種し、栽培しているようです。収穫までに二、三割のロスが出ることが多いからです。天候などの影響によって収穫量と品質がぶれる幅が、慣行農業に比べて、とくに露地栽培では、まだまだ大きい。有機農業の栽培技術が十分に成熟していないためです。
生産、流通だけでなく、消費のサイドにも課題はあります。実際のところ、オーガニックについて消費者の理解はあまり進んでいません。「健康的」「おいしい」「安全」というイメージはあっても、なにをもってそう言えるのか、一般の野菜となにがどう違うのかはよくわからないといった話はよく聞きます。
二〇一〇年の調査ですが、オーガニックに関する情報をどこから得ているかという問いにたいして、圧倒的に多かったのが「専門店の店頭」という回答です。テレビや雑誌などの一般メディアは、ほとんど情報を伝えいていない。今後はライン、ツイッター、フェイスブックといったソーシャルメディア(SNS)によってオーガニックの情報が広まっていく可能性が高いと考えられます。
現在でも、アレルギーなどの理由でオーガニックを求める消費者は数多く、潜在的な市場はかなり大きいのですが、この先、市場が確実に成長していくためには、食品ですから、おいしいことが絶対的な条件です。
では、おいしいオーガニックを、どうやって広めていくか。たとえば、目利きのバイヤーがおいしい有機農産物を取りそろえている専門店、あるいは腕のよいシェフが、有機食材をおいしく調理するオーガニックレストランなどがもっと増えれば、「家庭でもおいしいオーガニック料理を」となり、市場は大きくなっていくはずです。
■オーガニック市場はこれから確実に進化する
生産者、流通業者、消費者の三者がたがいに結びつき、連動することで、有機農業が普及し、加工品を含めたオーガニック食品の市場が発展していくこと。それが、まさにいま始まったオーガニック第三世代の大きな目標です。生産・流通・消費の三者の中で、どこが最初に一歩前へ出るかといえば、冒頭の話題に戻りますが、やはり流通部門です。
ふたたび、いまなぜスーパーまでがオーガニックに乗り出したのかというと、端的に競合店との差別化。出店競争も価格競争も行くところまで行ってしまい、オーガニック食品が、利益の期待できる数少ない分野だということ。多くの消費者は、価格が二、三割高くてもオーガニックに手を伸ばすということを、各種の調査が示しています。
また、二〇二〇年には東京オリンピック・パラリンピック(五輪)が開催されます。開催基本計画には、「持続可能で環境に優しい食料を使用する取り組みを実行する」とされていて、選手村の食材としてだけでなく、訪日外国人客の需要にも応えるため、有機農産物の増産が必要になります。八月の開催ということを考えると、十分な量の確保は難しく、根菜類などは冷凍品で対応することになるかもしれません。三年半後に迫った東京での五輪に向けて、有機農産物の生産にも弾みがつくはずです。
五年後か一〇年後かはわかりませんが、日本の有機農業はかならず拡大し、定着すると思います。会社に勤めながら小規模に米を作る、従来の兼業モデルを続けることは困難になってきています。新しい担い手にとって、潜在的な需要が大きく、二、三割高い値段で売れる有機農業は、有力な選択肢の一つです。
しかしそのためには、栽培技術を高め、確立させていくこと。有機農業に取り組む担い手の数を増やすこと。地域の農家同士で出荷組合の結成をしたり、有機生産者同士の強固なネットワークを構築したりすることも必要です。
<豆知識1>
「有機JAS認証」の制度とは?
有機農産物やその加工品が。JAS規格のルールに従って生産していることを、登録認定機関が検査し、その結果、認定された事業者のみが「有機JASマーク」を貼ることができる。このマークがない農産物や加工食品に「有機」や「オーガニック」などの名称の表示や。その他紛らわしい表示を付することは法律で禁止されている。農産物、加工食品、飼料と畜産物に付けられる。
<豆知識2>
オーガニック・エコ農と食のネットワーク(NOAF)
国内のオーガニック・エコ農産物の生産、市場の拡大に向けて、生産者と実需者、消費者などが集い、情報交換や技術連携を進めていくための新た場ビジネス展開の基盤として、民間主導で2016年に設立された組織。
<豆知識3>
「有機」に関する国の制度の変遷とは?
1989年 農林水産省に有機農業対策室の設置
1992年 「有機農産物及び特別栽培農産物に係る表示ガイドライン」を制定(環境保全型農業の推進を明記)
1999年 有機食品の検査認証制度の創設
2000年 JAS法改正。有機JAS規格の適用開始
2001年 4月から表示義務付け。認証制度スタート
2005年 有機JASに有機畜産物、有機飼料を追加
2006年 「有機農業推進法」が成立。政府による支援が始まる
2014年 「有機農業の推進に関する基本的な方針」を公表
※農林水産省・生産局農業環境対策課の資料などを参照し作成
<豆知識4>
海外の市場と比較すると、日本の有機市場はまだまだ小さい
■有機食品の市場規模(年間販売額)
アメリカ(2011)26,298億円(一人当たり8,400円)
ドイツ(2011) 8,238億円(一人当たり10,125円)
日本(2009) 1,250億円(一人当たり1,000円)
中国(2009) 989億円(一人当たり75円)
韓国(2010) 429億円(一人当たり888円)
タイ(2009) 64億円(一人当たり88円)
台湾(2006) 52億円(一人当たり227円)
※グラフにはないが、ヨーロッパでは、2012年から13年の市場成長率が6%・約3兆1000億円の売り上げ。アメリカでも同成長率8%・約3兆2000億円。中国でも09~13年の5年で、市場規模が約3倍に。諸外国では市場規模の増大が加速している。 ※農林水産省「有機食品に係る市場実態調査」ほか
<豆知識5>
オーガニックライフスタイルEXPO
2016年11月18、19日の2日間、東京国際フォーラムで開催。長年のオーガニックに携わっている各分野の第一人者やさまざまな業界が集い、消費者との交流の場、各業界のさらなる発展とオーガニックなライフスタイルの普及を目的に、同年に初めて開催された。17年は7月29、30日に同会場で開催予定。https://ofj.or.jp/
<豆知識6>
有機JAS認証圃場の面積は微増。全農地に占める割合に変化なし
■有機JAS認定圃場の面積の推移と、国内に占める有機圃場面積の割合
2010年 9084ha
2011年 9401ha
2012年 9529ha
2013年 9889ha
2014年 9937ha
2015年 10043ha
※農林水産省「国内における有機JASほ場の面積の推移」より作成
<有機農産物の需要が高まる理由>
1.大手量販店がオーガニック食品への本格的な取り組みを開始。販路が増えれば、消費者が選択する機会も増える。
2.2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催で国内での需要が増える。