「自分の時間、他人の時間」『JFMAニュース』(2017年6月20日号)

 10年ほど前に、個人ブログに「自分の時間、他人の時間」(2006年9月21日)という記事を書いたことがある。今日はその続編である。


当時は、ブログを書くのは週1~2回程度で、いまほど頻繁だったわけではない。個人の意見をネットで公開することが一般化しはじめた頃で、スマホも普及していなかったから、PCの前に座って改まった気持ちで文章を書いていた。
 そのブログ記事は、次のように始まっていた(一部を要約)。
「私の手帖は、通称「生産性手帖」と呼ばれる薄型のものである。手帖を開くと、一ヶ月30日分の日程が両面見開きでひとめでわかる。
 今月何が起こっているのか、自分の活動が俯瞰できるので便利である。5年ほど前からスケジュールが過密になってきたので、毎週の授業やレギュラーのイベントは、丸い色別のシール(直径約1㎝)で貼るだけにしている。
 シールの色には意味がある。「黄色」は大学の授業、「青色」は、研究活動や学会関係の仕事。「赤色」は、花業界と植物関連である。大学の管理業務は、法政カラーの「オレンジ色」、企業コンサルティングや講演は「緑色」、あるいは依頼原稿の執筆である。最後にもっとも重要なのは、「ピンク色」のシールである。

 一緒に食事をするとき、「これはなーに?」と院生などに謎かけで聞く。日曜日にたくさんのピンクシールが貼ってあるので、「なんかあやしー」と喜ぶ女子学生が多い。実は、ピンクは「趣味」のシールである(後略)」。

 引用が長くなってしまった。実は、その直後から見開きの手帳のサイズが大きくなった。大判の手帳に変えたのは、手のひらサイズでは過密になったスケジュールを書き込めなくなったからだ。その頃から、学会や研究活動を示す「青色シール」が大幅に減っていった。30代から40代の前半に、自分の研究のために使っていた時間である。それが、次第に赤色やオレンジのシールが手帳を占拠するようになった。赤色はJFMAの活動である。IFEXやMPSをはじめたからで、その後はオーガニック農産物やフードビジネスにも手を広げるようになった。

 それは、私自身の生き方の選択に関係していた。「50歳をすぎたら、世の中のために生きる」と宣言したからである。有言実行である。49歳のときに、皆さんと一緒にJFMAを創設することになった。その後は、私のスケジュールから、休日とたまに夜間に登場するピンク色のシールを除いて、「他人のための時間」(業界活動)が増えていった。

 創設から16年が経過したので、この6月にはJFMA会長を退いて、若い世代に執行部を交替してもらうよう準備をしていた。自分の時間を取り戻すためには、もう少し時間を待たなければならないようだ。大学教員として残りの時間はあと5年。物書きの仕事ができるのは、その先の10年くらいだろう。

 そう思ったところで、考えを改めることにした。会長に残留したのは、「自分ひとりで時間を過ごすのではなく、花業界の皆さんと一緒に楽しい時間を続けてみなさい!」。神様がそのように配慮してくださったからだろう。だから、私としては、与えられた運命に逆らうことなく、しばらくは会員の皆さんと一緒の時間を過ごすことにしてみたい。天啓。