今週の水曜日に、お気に入りの名刺入れを失くした。院生の斉藤智恵さんから、卒業のときに記念にいただいたものだ。外側がダークブラウンで、内側が渋いレッド。デザインも素敵だった。7年ほど使い続けてきたが、素材がしっかりしているせいか、全く傷んでいない。
お気に入りの名刺入れを失くしたのは、今度で三回目になる。いずれの場合も、死ぬほどがっかりしていると、どこからともなく連絡が入って、最終的には見つかっている。名刺入れの中には、法政大学(市ヶ谷の研究室)とJFMA(麹町の事務所)の数枚の名刺以外に、運転免許証と大学の身分証明書が入っている。
失くすと面倒なので、ひごろから注意深くポケットを手探りして確認をしている。それと、自動補充式のビュースイカカードが入っているので、これがないと通勤ができない。身分証明書は研究室の入室に必須のアイテムだ。金銭こそ入っていないが、失くしたのが海外なら、二度と絶対に再会することはできないだろう。
最初に失くしたのは、出張先の新幹線の中。JRの遺失係に連絡したら、新幹線の座席に置いたままになっていて、その日のうちに終点の新大阪駅まで取りに行った。二回目は、最寄り駅(北総開発鉄道線)の西白井駅のホームのベンチ上に、なぜか鞄ごと置き忘れてしまっていた。これも、当駅の駅員さんが預かってくれていて、災難を逃れた。
そして、三度目は、近くの食品スーパー(Lincos)の床に落ちていた(らしい)。失くした翌日の木曜日に、スーパーの金庫に保管されていることが確認された。市ヶ谷の交番に届けたついで、窓口でビュースイカを解約してもらった。悪用されると、オートチャージのスイカなので、いくらでも使われてしまうからだ。
何度も失敗しているのに、そのときは反省してがっかりする。それなのに、ほとぼりが冷めたころ(2~3年後に)、繰り返してなくすのは「ある種の病気」だからだと思う。学生のときも、そうだった。なぜか「100点が取れない子供」だった。信じられないようなケアレスミステイクを犯すのだ。
火事場の力に似た、集中力はふつうの人以上にはあると思う。なのに、一瞬の気のゆるみと油断が、とても考えられないような失敗をしでかす原因になる。ある瞬間に、どこかに、心を置きざりにしてしまうのだ。
なぜそうなってしまうのか? 本当の理由はわからない。リンコスでの買い物の際に、床に名刺入れを落としたのは、別の事を考えていたからだ。スイカが入った名刺入れで支払いを済まそうとしていた。そのとき、目の前で注意がどこかに飛んでいっていたからだろう。
私の場合は、何かの拍子に「心を失ってしまうこと」が異常に多いのだ。言ってみれば、ある種の浮遊感覚に沈んでしまう。気持ちが空に漂う時間が、間欠的に到来する。その頻度が、このごろとても多くなっている。どうしたわけだろう。
気持ちが浮いている時間(記憶が残っていない空白の時間)は、元学生や仕事仲間など、いま困っているひとのことを想っている時間だ。その頻度が高いように思う。人のことを心配して、自分の心をどこかに置き去りにしているのかもしれない。