経営大学院の授業内で、元西友・ファミリーマートで店舗開発を担当した藍野さんに講演をお願いした。テーマは、ご本人が海外で実践してきた「アジアにおける流通サービス業の店舗戦略」。生々しいケースを公開する。日本企業がアジアでそのように戦うべきかのヒントが満載だ。
「アジアにおける流通サービス業の店舗戦略」
講師:藍野弘一氏
日時:2017年4月20日11時~13時
場所:法政大学経営大学院101教室
講演:オフィスアイノ 代表 藍野 弘一 氏
内容
1.講師紹介 3
2.日本企業のアジア出店は何を間違えてきたのか 3
(1) 失敗だらけの歴史 3
(2) なぜ失敗したのか 4
① 市場の読み間違え(中産階級の生成:所得の発展段階を読め) 4
② 立地の読み間違え(交通体系が違う 生活圏を読め) 4
③ 競合の読み間違え 4
④ 客層の読み間違え 4
⑤ 営業力・商品力の読み間違え 4
⑥ パートナーの選び間違え 5
⑦ 経営構造の読み間違え 5
⑧ スピードへの対応不足 5
(3) 大きな貧富の格差:誰をターゲットにするのか 5
(4) 現地化の遅れ 6
(5) 失敗に学ぶ:重要なのは、ビジネスのコアロジックを確立すること 6
3.なぜ日本のコンビニは成功したのか 7
(1) 現状 7
(2) 成功要因1 参入タイミングとパートナーの選定 7
(3) 成功要因2 マスメリットが出るまで、先を見据えた合弁契約と株式所有 8
(4) 成功要因3 ビジネス革新を持ち込み、現地の流通システムを変革 9
(5) 成功要因4 徹底したフィールドワークで、都市構造に沿った出店 9
(6) 成功要因5 経営人材を指名、早い段階で現地化を推進 10
(7) 成功要因6 現地の困難を新しいインフラで克服 10
① コールドチェーン 11
② 統一伝票の導入 11
③ 返品制を廃止し、商習慣改革 11
④ 3PLによる配送センターと小分け物流の開始 11
⑤ 帳票を統一、受注オンラインシステム化とオープンアカウント実施 12
(8) 海外収益実績 12
4.アジア市場の可能性と課題 13
(1) 市場の可能性 13
① 日本企業にとっての可能性 13
② ローカル/セントライズの切り分け 13
(2) エリアマーケティングを進める際の壁:日本との違い 13
① 地図、住民統計 13
② 住民統計や所得データの不備 14
③ エリア統計感覚を狂わす都市の定義と規模の差 14
(3) 急速に変化する消費者:世代差と地域差 15
① 世代間の消費行動・対日観の違い 15
② 中国:中産階級のマスマーケットと豊かな「80后」世代の台頭 15
③ 国内地域差:地理、気候、言語、都市と農村、山の手と下町 15
質疑応答 16
1.講師紹介
(小川教授)藍野さんとは、もう40年ほど前、1976年頃に知り合った。私が法政大学経営学部の助手になった頃だった。法政の近所の番町に流通産業研究所があった(注:1969年設立)。セゾンの会長をされていた故・堤清二さんが作られた研究所で、当時の所長は上野光平さんで、後に西友ストアの副社長を務められた方だった。そこが中心になり研究会を開いていた。藍野さんは当時西友におられ、若手の実務担当者として参加されていた。後に、藍野さんと私は、執筆者の一人として、『ショッピングセンター:立地とマーチャンダイジングのモデル分析』(流通産業研究所編、1981年、リブロポート刊)という本を出した。
以降、時々やり取りはあったのだが、藍野さんがどうしておられるのか、詳しいことは知らなかった。それがたまたま2月頃になって、突然藍野さんからメールをいただいた。今は個人でオフィスをやっておられ、2年前に私が書いた『マクドナルド 失敗の本質』という本を読んで、連絡してくださった。そこで、40年ぶりに再会した。
藍野さんは西友の後、ファミリーマートの海外部門の実務担当者として指揮を取られていたので、コンビニにも非常に詳しかった。そこで、授業で話していただこうということになり、急遽、講師をお願いした。
(藍野氏)小川さんとは、共同で、『ショッピングセンター』という本をまとめて以来、40年ぶりに再会した。容貌もお変わりになっておらず、何だか、ついこの間も会ったばかりのような気がしてならない。
私の経歴をかいつまんでご紹介すると、西友で10年働き、ショッピングセンターの開発や営業開発を手掛けた。無印良品の最初のコンセプトを描いたのも、私だ。ファミリーマート独立のための書類も書いた。そのうち、開発企画の人材が足りないということで、ファミリーマートに移り、FC開拓の仕組みを整備したり、首都圏3万軒の商店訪問履歴をパソコンで管理する仕組みを作り上げる仕事をした。そこへ急に海外市場開拓の命が下り、突然台湾に派遣された。当時外国語は全くできず、頼れる人は誰もいなかったが、一人で1ヶ月入っている間にパートナーを決め、契約をまとめ上げ、合弁会社を立ち上げ3号店を出すところまで仕上げて帰国した。その後、韓国進出を手掛け、タイや中国での事業を担当した。ファミリーマートを辞めてミニストップに行ってからはフィリピンを手掛け、海外と国内の両方の開発業務を任されていた。
暫くして、日産自動車に移った。日産が経営危機に陥り、ゴーンさんが来て、店舗開発は外部人材に任せる方向に方針転換して、私に声がかかった。
現在は独立して、コンサルティングを行っている。ダイハツの出店の手伝いや、商圏分析など、さまざまな業務を手掛けている。
2.日本企業のアジア出店は何を間違えてきたのか
(1) 失敗だらけの歴史
さまざまな日本の流通企業がアジア進出を目指してきたが、その歴史は失敗例に満ちている。
ヤオハンは、一躍寵児になったものの、不動産の開発話に乗せられて進出しては、あちこちで失敗していった。儲かっていたのは、最初に出した香港新界地区の沙田店だけという状態だったが、賃料契約更改で家賃が大幅に上がり収益が消え経営が破綻した。
西友も、香港、上海、シンガポール、インドネシア、ベトナムなどで出店してきた。香港の沙田店はヤオハンの向かい側にあった。グアムなどにも出店していたが、今は影も形もない。
ダイエーはハワイや天津、ニチイは大連に出店していた。ミニストップもフィリピン、マレーシアに出ていったが失敗している。私がミニストップに移る前のことだ。
富士スーパー(バンコク)やヤックス(台北)のように、現地のスーパーマーケットの草分けもあったが、1店舗ではそこから人が育っていくという人材学校的な役割は果たしたが、事業としては多店舗化には成功しなかった。
要するに、現地の流通にどのような革新をもたらし、どう収益化するかというビジネスモデルを固めずに出ていっても、失敗は目に見えているということである。
(2) なぜ失敗したのか
① 市場の読み間違え(中産階級の生成:所得の発展段階を読め)
失敗は、市場や立地、競合、商品力などさまざまな「読み違え」に起因している。
市場に関しては、所得の発展段階を読み違えていた。日本のビジネスは、基本的に中産階級で成り立つ。しかし、例えば、ジャカルタでは長らくマックはデート・レストランとして位置づけられていて、給料日に、冷房のあるところで食事をしようというカップルが来る店だった。中国の吉野家はファミレスとして出ていたが、インドネシアでは苦戦していた。どの段階のどの層を狙うかは、国によって違う。
② 立地の読み間違え(交通体系が違う 生活圏を読め)
日本では鉄道が発達するのに合わせて都市が拡大していったのに対し、アジアでは、交通体系が違う。アジアでは電車は少なく、移動の基本は徒歩とバスが中心だった。今は車が増えている。小売業の立地では生活圏を読まなければいけないのだが、タイ・ヤオハンは、バンコク一大渋滞する交差点に出店し失敗した。
③ 競合の読み間違え
台湾では、コンビニ弁当は、おかずを選べる持ち帰り弁当の自助餐に対して苦戦した。
④ 客層の読み間違え
アジアでは所得格差が大きく、低所得者層では日本で売られているような洗剤の大箱を買えない人たちが、今も少なくない。インドネシアなどでは、洗剤やシャンプーは1回分に小分けされた袋の形で売られている。一方では、何千万円もする高級外車を毎年買い換える層もある。
⑤ 営業力・商品力の読み間違え
ヤオハンの上海の店は客数こそ凄かったが、見るだけの客、涼みに来る客がほとんどで、客単価は低く、客は入っても売り上げが伸びていかなかった。物価水準が違う地域に出ていき、購買力を読み違えていた。
⑥ パートナーの選び間違え
海外で事業パートナーを選ぶときは、持ち込まれた話に乗る受身ではなく、自らベストパートナーを探すべきである。ファミリーマートで合弁を組む際、ある国では、商社から会社を紹介されたが、私はやってみて1週間で駄目だと判断して、組むのをやめた。そして、十社ほどの合弁を組みたい相手リストを作り、それぞれの企業のトップや経営幹部からヒアリングしながら、有形無形の経営資源を棚卸し20数項目のチェックリストを作り、一つ一つのポイントを見極めて、パートナー候補を絞っていった。
既存の流通業での経験はむしろマイナスで、重視するのは潜在的なポテンシャルとカルチャーや習慣、文化である。日系企業との合弁事業で成功した前例がある会社だと、顧客を考える日本のカルチャーを理解していて、組みやすい。逆に、流通での経験を中途半端に持っているところは断った。特に百貨店は、東南アジアでは場所貸業にすぎないのに小型店をなめてしまい、背景にあるシステムやロジスティックスなどの重要なビジネスインフラの理解ができない。こうして選んだパートナーは、流通では素人だが、資本、経営資源と顧客マインドがあるところで、白紙で日本のコンビニのノウハウを受け止めてくれた(注:合弁相手は、台湾台北市の國産汽車股份有限公司他、1988年8月に合弁会社全家便利商店股份有限公司(台湾)を設立)。
逆に、タイのファミリーマートの場合、私の異動後、申し送りに反して百貨店と組むという役員の意見が通り、駄目な合弁先と組み続け100億円もの累損を出すにいたった(注:1992年、タイバンコク市の㈱ロビンソン百貨店、サハパタナピブル㈱、伊藤忠タイ国会社と合弁会社Siam FamilyMart Co., Ltd.(タイ)設立、現Central FamilyMart Co., Ltd.。タイのセブンイレブンは、私の選ぶような流通素人だった優れた会社<CPグループ>が事業を行っている。私はサハパタナピブルをメインパートナーする予定だった<現タイローソンパートナー>)。
⑦ 経営構造の読み間違え
アジアでは、人件費は安いが、設備コストや不動産コストは日本以上である。冷蔵ケース一つとっても、現地製は性能が劣る。かといって、日本から運べば費用がかかる。経営構造を検討して、どう粗利を取っていくかを学んでいかなければならない。
⑧ スピードへの対応不足
中国でも他のアジア諸国でも、経営環境はどんどん動いていく。判断の現地化が進んでおらず、いちいち日本の本社の判断を仰ぐような組織だと、スピードに対応できず失敗する。
私はタイのファミリーマートの再建を手伝い、私が作った店はみな利益を出せるようになった。当時の日本の役員は自分で出店や品揃えを判断すると言っていたが、現地がわからない人間が判断しても意味はない。私は、市場調査をする際は、毎日埃だらけになりながら市内のすべての道を歩き回り、夜間も観察して、どこがどう賑わうのかを調べて現地の人以上に土地勘を養い初期のコンビニ適地を判断していったが、コンビニ適地の勘所は現地側が判断できるようOJTを繰り返した。
(3) 大きな貧富の格差:誰をターゲットにするのか
アジアでは、国内の貧富の格差が激しい。進出の際、特に重要なのは、誰をターゲットにするのかをよく見極めることである。
中国の一人当たりGDPは、かつては日本の3分の1、4分の1以下という時代があった(注:現在は、日本の4割弱。 2016年推計 中国1万5,400米ドル=世界104位、日本 3万8,900米ドル=41位、韓国 3万7,900米ドル=45位)。上海都市部は、ほぼ日本の所得に並んでいる。都市部中間層の厚みが増し、海外旅行を楽しむ余裕のある所得層は、既に3億人に上る。
少し前(2011年)のデータでは、上位10%の所得層が所得全体の5割を占め、彼らの所得総額は、下位10%の21倍にも上っていた(隠れ収入を含む)。中国のGDP分配率は39.7%で、富はインフラに向かう。こうして、中国では資産所有の著しい格差(土地と株)が生じている。
都市部と農村部の経済格差も広がっている。中国だけでなく、東南アジアでも状況は同じである。国土の半分に植民地を抱えているようなもので、農村の安い人件費を利用しながら、都市が発達する構造になっている。
中国の地元の食堂では、ビール付きで1人5元で食事ができる。それが都市部の高級レストランなら500元になり、8人で2,000元以上かかるような接待もある。
(4) 現地化の遅れ
日本人駐在員の人件費は、かつては現地の店員の100人分に達していた。駐在員を置くと、給料の1.5倍くらいの間接的なコストがかかる。日本人社員は、送迎車付きで、高級マンションに住んでいた。
能力に関わらず、日本人幹部が居座り続けると、現地スタッフは嫌気をさして辞めていく。日系企業ではまだまだ、能力より言語能力(日本語)で重用される人材が多い。
こういう状況が続くと、日系企業の優秀な現地人幹部は引き抜かれてしまう。早く現地化しなければいけない。
(5) 失敗に学ぶ:重要なのは、ビジネスのコアロジックを確立すること
小売企業は、ドメスティックな産業といわれ海外進出にはなじまないといわれていたが、これまでのさまざまな失敗例に学び、進出先でのポジショニングを明確にし、自らのビジネスのコアロジックを確立することに力を注がなければならない。流通サービス業がシステム産業化し、ボーダーレスのソーシングが広まると、国境の壁は越えられるようになってきている。
価格戦略の面では、日本の低価格品は、アジアや中国では高価格帯になることが多い。ユニクロも、中国での価格設定は従業員の日給分(物価感覚的には5千円~)の商品が多い。
立地に関しては、都市の膨張に反し、都市中心部再開発の動きに乗せられて出ていき、生活圏出店ができなかったのがヤオハン破綻の主因の一つであったことは、すでに見た通りである。イオンは海外が強いと言われるが、青島の2号店はヤオハンと同じパターンで失敗し、閉店した。
現在、中国をはじめアジアでは、自動車の普及率上昇につれて、郊外立地が形成されつつある。しかし、多くの企業の実態を見ると、いまだに需給ギャップを見極めた立地をとっていない。日本の小売業では、現地にエリアマーケティングのプロが送り込まれていない。
成功を収めたとしても、見てわかる成功はすぐにコピーされ、人を育て技術・知識を覚えれば流出していく。重要なのは、自社のビジネスのコアロジックを確立し、商流、物流、情報流に他社が真似のできないような革新を持ち込んだかどうか、ということである。
3.なぜ日本のコンビニは成功したのか
(1) 現状
日本の小売業において、コンビニは、海外進出に成功している数少ない業態と言ってよい。
海外店舗数を見ると、2017年2月末現在、ファミリーマートの海外店舗数は6,375店に上る(注:韓国の1万634店は「CU」ブランドに変わり、現地の元の合弁相手であるBGFリテールが運営)。
ミニストップは韓国(2,362店)、フィリピン(492店)など、2,991店舗を展開している。ローソンは、中国やタイ、インドネシアなどに合計758店を出しており、一生懸命、海外店舗を増やそうとしている。
セブン-イレブンは、米国はじめ各地にあるが、ほとんどが米国のサウスランド経由の出店で、日本のセブン-イレブン直轄での海外店舗は中国213店、ハワイ60店とごく少ない。
(2) 成功要因1 参入タイミングとパートナーの選定
コンビニの海外展開が成功したのはなぜか。ファミリーマートを中心に、成功要因について考えてみたい。
最初に上げられるのは、参入タイミングとパートナーの選定を見極めたことだろう。国民一人当たりGDPが1,000ドルを超える段階で、中産階級が形作られ始め量販店が成長し始めると言われている。コンビニの場合、私は、一人当たりGDPが3,000ドルに近づく水準が参入時期だと考えている。都市部と農村部のギャップを考慮しなければならないが、概ね、3,000ドルになると、サービス産業など都市部での雇用が生まれて若者が豊かになり、治安も安定する。摂取カロリーが、生命維持に必要なカロリーを上回るようになり、食事を我慢するということをしなくなる。社会は「暖衣飽食」の時代を迎え、グルメやファストフードが広がっていく。衣類も暖を取るという最低限の機能を超え、着る人の個性に合わせたファッションへの志向が強まる。住居については、世帯数と戸数のバランスを超え、家が余り始め、家の質が重要になる。3,000~4,000ドルを超えると、車の所有率が上昇していく。
合弁パートナーの条件を見極めたことも、コンビニの成功につながった。
ファミリーマートの合弁相手選定の際、私が特にこだわったのは、無形資産の評価と事業計画の理解という2点である。合弁相手には、コンビニの収益モデルを確立させるまでは、「20億円の投資が必要で、5年間は利益が出ない」と告げる。そこで相手がひるむようなら、商談は打ち切りである。
タイでは、サハパタナグループと交渉していた。サハパタナは、すでにセコムとの合弁で成功していた。コンビニビジネスでは、システム投資がかかるため、売上があるロットに達するまでは利益が出ないが、いったん採算ラインを超えると急速に利潤が増え、大企業になる。これはセコムのモデルと同じだと説明すると、サハパタナグループのトップであるブンヤシットさんもだんだん乗り気になっていった。出資の言質を取り付けるまで辿り着いたところで、私は急遽、韓国のコンビニの立ち上げに回ることになり、結局、タイでの合弁交渉は縒れてしまった。
(3) 成功要因2 マスメリットが出るまで、先を見据えた合弁契約と株式所有
私はファミリーマートで、海外進出の話が出た時、最初は出るべきでないと思った。しかし、やると決まったからには、成功したい。そこで、米国サウスランド社の破綻の教訓に学んだ。破綻の直接の原因は、ジャンクボンドに手を出して、収支繰りが悪化したからである。しかしもしサウスランド社が日本のセブンイレブンに10%でも出資していれば、その売却益で借金は一掃できたのではなかったのかという疑問がわいた。セブン-イレブンは世界20数地域に出ているが、成功しているのは、日本と台湾とタイという日本のビジネスモデルに強い影響を受けた地域に限られている。基本的には各国で失敗しているが、それは、「学びたければ、アメリカに来れば教えてやる、その代りロイヤリティーを払え」というビジネスで、いずれも出資はしていない。コンビニを教える側がリスクを取らず受け身に終始すれば、成功の確率は低い。
ファミリーマートでは、どうしたか。合弁契約を結ぶ際、日本のファミリーマート側は株式の49%を取り、現地に責任を持たせる。株式の34%以上を保持していれば、重要事項に関しては拒否権が持てる。拒否権を持ちつつ、事業が成長した後に売り払った時の利益を考えて、49%という比率にした。台湾でもロジックは同じである。ただし、ファミリーマートは40%、伊藤忠が現地で物流を担う目的で9%出資した。
さらに、契約にあたっては、合弁契約の上にエリアライセンス契約をかぶせ二重に契約した。事業が軌道に乗り上場して株式を売却しキャピタルゲインを得られるようになれば、売却利益はイニシアルペイの100倍になることもある。ロイヤリティーは、現地が儲かって自信をつけてくるにつれ、減額や打ち切り交渉になるのが普通である。だから、配当の方がいい。事業が成功したら、海外事業の収益源を、ロイヤリティーから配当に切り替える。
コンビニビジネスは、500店舗に届く頃にはかなり利益が増え、上場体制に入る。上場すると、初期投資の価値は何十倍になるのが普通である。海外事業のリスクは、保険同様に数でヘッジする。例えば10社のうち9社が失敗しても、1社上場し株価が10倍以上になれば、マクロで見れば損失は相殺される。
契約では、この段階に至るまでには、いろいろな条件を入れて、合弁先が撤退しないよう縛りを入れておく。「3年間で100店舗出店できなければ、エリアフランチャイズ権を没収する」というような条項を入れて、遮二無二に店を作らせる。コンビニは、コンピューターシステム、ロジスティクスなど、必ず大規模な初期投資がかかる。とにかく最低100店舗はないと、マスメリットが出ないからである。
コンビニは、100店舗を境に、急速に事業構造が変わる。立ち上げ時の粗利益率は普通17~18%、頑張っても23%くらいだが、100店舗までいけば27~28%以上に上がる。販売量で地元のスーパーを上回るようになるので、取引先との価格再交渉が有利に運び、売れ筋が欠品なく入るようになる。この段階でチェーンの知名度がついて、物流の効率が上がり、急速に個店の収益性が改善する。いわゆるマスメリットが出てくるのである。
だから、マスメリットが出るまで店を作ってみないと事業の最終的な成否は判断できない。もちろん店舗段階キャッシュフローをプラスにしないと留めもなく出血が続くことになるので、初期店舗の採算性は重要で立地の厳選が欠かせないが、100店になってみて事業全体の成否が見通せるというのがこの出店目標の縛りの目的であり、そのために最悪20億円を捨てる覚悟がないとこの事業はできない。20億円/100店という意味はそういうことなのだ。
だから数店作って様子を見るというコンビニの海外進出は誤りである。
(4) 成功要因3 ビジネス革新を持ち込み、現地の流通システムを変革
コンビニで実践されてきたビジネス革新を持ち込み、現地の流通を変えていったことも、コンビニの成功要因の一つである。主な革新としては、受発注オンライン、POS、小分け物流、オープンアカウント、アルバイト運営システム、FCパッケージがあげられる。
台湾で受発注オンラインシステムや小分け物流を初めて導入したのが、ファミリーマートである。韓国でPOSシステムを最初に導入したのも、ファミリーマートである。
台湾進出にあたっては、小分け物流を実現するために、伊藤忠商事傘下の西野商事と組んで合弁会社を作った(注:西野商事は、2007年、同じ伊藤忠商事系列下の日本アクセスと統合)。当時、西野商事の社長が近所に住んでいたので、夜、お酒を持って自宅に訪問して、話をまとめた。
後に、台湾の競合コンビニ各社がこの方式を模倣し、菱食や国分と合弁企業を作っていった。
アルバイト運営システムでも、時には現地政府と交渉して、変革を持ち込んだ。各国で最低日給が定められているが、多くの国では、1時間働いただけでも最低日給を払わなければいけないという法体系になっていた。タイの実験店のレイバーシフトを見ると、社員3交代で回していた。しかし、コンビニ経営は、「アルバイトを使い、人件費を変動費化して、作業に必要な分だけ人を投入する」ということによって成り立つ。最低日給を時給換算しアルバイトに適応されなければ、コンビニの経営は回らない。そこで、政府と交渉を重ねて法の運用を変えてもらった。
ファミリーマートが進出する前、韓国のコンビニは、直営店中心に正社員を使う経営モデルになっていた。アルバイトは補助的な単純労働しかしておらず定着率も悪かった。韓国のファミリーマートは、既に脱退してブランド替えして「CU」になっており、今CUの営業本部長をしている韓国人が、正社員でなければだめだという何十もの理由を持ち出してきたが、私はことごとく論破した。そして、「わかった、お前には任せない。日本から立ち上げ部隊を連れてきて、FC1号店は俺たちでやってみせる」と言った。始めてみると、募集を工夫することで募集段階に質のいい人たちがかなり集まってきて、余裕をもって人選し予備の人材も確保できた。発注作業で責任を持たせれば、アルバイトは十分に能力を発揮して、定着する。それを韓国でも実際に示してみせたので、結局は彼も黙った。これがブレークスルーとなり、韓国で初めて、フルにアルバイト中心で回る店舗運営が実現しフランチャイズ運営の店舗を開店できた。
台湾でも、台湾政府ともかなり折衝して、商標ブローカーを防ぐ商標再使用許諾禁止条項の適用を除外してもらい、フランチャイズ化を実現した。
(5) 成功要因4 徹底したフィールドワークで、都市構造に沿った出店
各国の都市は、それぞれ特有の構造を持っている。その構造を見抜く。台北には台北の、バンコクにはバンコクの都市構造がある。ファミリーマートの立地選定にあたっては、私は各地で徹底したフィールドワークを重ねてきた。
台湾では、大通りにはセブンがなかった。台湾の都市は、碁盤目状の構造になっており、大通りは川のようなもので、人が簡単に横断できない。碁盤の目の升目の中に露地があり、その中で人々が生活を営んでいる。そこで、台湾のファミリーマートは、生活圏から大通りに出てくる角地を狙って出店した。
タイのバンコクは逆に、川で仕切られた中州地帯なので、川は道路の代わりに機能していた。タイでは、ラーマ4世が初めて馬車を通すための大通りを作ったと言われているが、バンコクの都市構造は、魚の骨格で譬えると、大通りが背骨で、肋骨のように小さな路地が横に走っている。島と島が分断され、大通りを除き島を繋ぐ地点が乏しいので、抜け道が乏しく大通りの渋滞が起こりやすい。
立地としては、肋骨の太いところと大通りとの交差点角を狙ったが、そうした要所は、セブン-イレブンが先に抑えている。そこで、奥の深い路地の裏側のロケーションに注目した。日本で、ファミリーマートがセブン-イレブンを追うときと似た戦略である。露地の交差点で待っているバイクタクシーの数を数え、背面の生活圏の奥行きと生活ボリュームを推測して、裏側のロケーションを抑えていった。
(6) 成功要因5 経営人材を指名、早い段階で現地化を推進
現地のコスト構造と習慣を取り込み、早い段階で経営の現地化を進めたことも、成功要因の一つである。ファミリーマートの場合、日本人はトレーナー/アドバイザー役で、現地へ権限委譲と責任を付与していった。
台湾では、当初3年間の社長は日本人だったが、副社長には、私が指名した現地の優秀な人材が就いた。台湾の相手側財閥企業で企画室長を務めていた人で、筑波大の国費留学生で、日本語も堪能だった。私は財閥のトップに、「ファミリーマートのビジネスは、10年後に財閥が擁する事業の幹の一つになるはずだから、ふさわしい若い人物を出してほしい」と頼み、彼を経営陣に迎えることができた。
韓国では、サムスンと組み、系列の晋光グループ(現・BGFリテール)とライセンス契約を結んで進出した(1990年)。私はサムスンと交渉して、開発部長のポジションには、流通を知っている人間でなく、生命保険事業の部長を出してもらった。流通については素人なので、コンビニのシステムについて真面目に話を聞いてくれた。保険は、コンビニとは契約ビジネスという共通項がある。だから、ビジネスのロジックの理解が早かった。ファミリーマートは韓国で後発ながら追い上げることができたのは、FCの取り組みがしっかりしていたからだ。
こういうふうに、進出先では、こちらの希望を打ち出して、合弁先から現地の最適な経営人材を出してもらった。経営体制は、トップと店舗開発、営業、商品、管理のコア4部門の内、管理を除く3部門で、日本人と現地社員がコンビを組み、「次の幹部」というキャリアパスを意識させながら、育てていく。ある程度基盤ができたら、その後は、日本人はサブになり、経営管理担当者を1人残した後、日本人はフェードアウトしていく。こうして、ファミリーマートでは、早くから現地中心の組織作りを進めていった。
(7) 成功要因6 現地の困難を新しいインフラで克服
アジアでは、コンビニ進出時には、物流、経理、商習慣、コンピューターシステムなど、さまざまなインフラが未整備だった。それでも、コンビニは新しいインフラの導入を進め、困難を克服していった。
① コールドチェーン
1990年代半ばの中国にはコールドチェーンはなく、上海でさえ、チルド配送車は数台しかなかった。そのため、コンテナ車に大きな保冷剤を入れて冷やしていた。厳密な温度管理は不可能な状態だった。ファミリーマートでは、マクドナルドが使っていた乳業会社の牛乳配送車の利用も考えたほどだった。定時配送もできず、売れ筋欠品率も高かった。
この10数年余りで中国のインフラは急速に整備され、今では中国のどこでも、普通に新鮮な海産物が食べられるようになっている。
② 統一伝票の導入
伝票不正、納品不正も蔓延しており、経理が不透明で、仕入れ担当の接待や袖の下が横行していた。そこで、取引先に対して、受発注はファミリーマート側の統一伝票に切替させ、自社の伝票の使用は使わせないようにした。こういうネゴシエーションはかなり大変だが、手書き伝票を一掃しシステムで発行する伝票統一によって、誤読や入力ミスは激減し、伝票処理負荷は大幅に減る一方、不正は非常に起こりにくくなった。
③ 返品制を廃止し、商習慣改革
返品制のような商習慣についても、改革を進めた。返品性を廃止し、代わりに粗利を5%高くするというように、商習慣を変えていった。
物流コスト意識も欠落していたが、高度成長によって物流コストが上がると、センター納品の方が楽だということを、取引先も理解するようになった。100の店舗に100の商品をバラバラに配送すれば、単純計算で1万回配送しなければならない。センター物流で混載すれば、100センター納品と100の店舗配送の計200回くらいで済み、配送ロスが防げる。こういう模式図を示しながら、センター物流に移行していった。
④ 3PLによる配送センターと小分け物流の開始
ファミリーマートは、サードパーティー・ロジスティクス(3PL)で、最初から定時小分け翌日配送の物流システムを導入した。そして、コンビニ流通を既存流通網から切り離した。
台湾では、日本の問屋である西野商事がこの業務を手掛けた。
タイのファミリーマートは間違った合弁相手と組んで物流やシステム整備が立ち遅れてしまっており、物流センターは床まで商品が溢れかえり、混乱に陥っていた。そこで、私はタイに行き、学習机の会社に設計図を持ち込み、ピッキングラインの棚を作ってもらい空き工場を確保してセンターを作らせた。
コンビニでは、営業が欠品を恐れる傾向が強く、自社センターを建てると在庫を過剰に積みがちになってしまう。サードパーティー・ロジスティクスを使えば、在庫は利益に影響するため、3PL業者は、過剰在庫を削減するために自ら努力する。こうしたカウンターパワーを持たせないと、センター運営は問題が出てくる。
韓国でもチルド物流は3PLに出していたが、彼らは、余剰スペースを別のスーパーへの配送用に使うなどして設備稼働率を高め、地道に工夫を重ねていた。
⑤ 帳票を統一、受注オンラインシステム化とオープンアカウント実施
韓国では、1,000本くらいのコンピュータープログラムを持ち込んで、初のPOS端末による発注システムを立ち上げ、FCの一連の帳票を自動生成する仕組みを作った。
こうした受発注システムができていないと、何が起こるか。タイでは、最大手のセントラルデパートがコンビニを始め、見よう見まねでコンビニ運営が始まっていた。50~60店くらいまで増えたところで、本社には、店舗から送られてくる台帳の山ができていた。60人の社員のうち、30人がキーパンチャーで、彼らが延々と1つずつ手で入力していくが、販売後2か月くらい経たなければ、店舗損益データがわからない。バイヤーが、何が売れているかわからないという状況が続いていた。取引先に電話して、「おたくの商品はいくら売れているんですか」と聞いて回るような状態で、それではバイイングパワーなど効くわけがない。FAX発注もあったが、パンクしていた。
こういう状況だったので、私は、タイの立て直しではシステムの取引先と一緒に、ファミリーマートのコンピューターシステムを立ち上げることにした。その取引先の出張が終わる頃になっても、「システムはできないかもしれません」と心許ない様子なので、「帰りの航空券を出して。終わらないと渡さないから」と言って脅かして、徹夜で作業してもらい、無事、帰国前にシステムが仕上がった。海外出張は限られた時間に集中して作業し成果を出してもらう短期決戦の仕事なのだが、中には浮き浮きと観光気分が抜けない人も混じることがある。時に意識を仕事モードに切り替えてもらうために脅かしたこともあった。
コンビニのビジネスでは、店を構えること自体よりも、後ろの受発注オンラインを軸にしたロジスティックス、商流と情報流の構築が生命線である。ビジネスの鍵になる部分に、革新を持ち込む。そこがわかっている人間がやらないと、コンビニ経営はうまくいかない。私が入る以前に(そしてやめた後に)ミニストップが海外で失敗したのも、そのためである。
(8) 海外収益実績
先に説明したように、ファミリーマートは海外合弁会社を設立する際、49%まで株式を取るようにしていた。これが現地に自社事業としての責任感を持たせつつ、ファミリーマート本体が拒否権を発動することもできる水準であり、成長すれば、株式の含み益と配当、ロイヤリティーで相当の収益を上げることができる。これが私のビジネスモデルで、既に1,000億円くらいの海外収益に貢献してきた。
韓国では当時、外資の資本規制があったので、資本市場が外資に開放されれば49%の株式をファミリーマートが取るという特約指定をしておいた。しかし、資本開放された後、結局は日本側は25%しかとらなかった。韓国では合弁企業が株式上場後、2015年5月に合弁契約は解消となり(この時点の店舗数8千店、現在1万店強)、株式市場で持ち株を売却したが、154億円の特別利益を出すことができた。また25年間のロイヤリティーと配当も数百億円になっているものと思われる。
台湾では200億円くらいの株式含み益があり、ロイヤリティーの送金だけでも、これまで数百億円の収入になっていると思われる。
4.アジア市場の可能性と課題
アジア市場は、大きな可能性を秘めている。社会の変化が速く、消費者も急速に変化しつつある。海外展開をめざす日本の流通企業にとっては、有利な要素も多い一方、日本の物差しでは測れない事象も少なくない。ここでは、エリアマーケティングを進める際の注意点を取り上げながら、アジアの市場と消費者の現状を分析し、まとめとする。
(1) 市場の可能性
① 日本企業にとっての可能性
アジア市場の可能性の最大の要素は、域内に抱える膨大な人口だろう。中国の人口は、現在世界1位で、しかも中産階級が増えている。
GDP成長率は、2000~2010年の世界平均が3.1%だったのに対し、中国17.3%、インドネシア15.7%、インド13.9%と、2桁台の成長を続けてきた。
日本の文化、特に消費財の量産品の部分で、日本の生活文化の影響が大きい。私がタイに行った頃は、ちょうど、花王のシャンプー「メリット」がタイで急速に売れ始めていた。
アジアと日本は、食文化、体形、皮膚、風土、文化など、共通項に富み、日常消費財として、日本ブランドまたは日本の生産設備や原料を用いた製品が普及している。日本企業にとっては、扱いやすく、入りやすい。
② ローカル/セントライズの切り分け
セゾンの堤さんは、「流通業はドメスティック産業」というのが持論だった。一方、コンピューターとロジスティクスは日本のお家芸で、基幹部分は世界共通である。商品もボーダーレスなので、流通が世界に出る必然性は増している。
重要なのは、ローカル化する部分とセントライズする部分について、その切り分けをめぐる考え方だろう。ファミリーマートでも、出店や個別の商品の仕入れなどの部分はローカルに任せているが、FCパッケージをはじめとする基幹的なビジネスシステムの部分は、原則統一している。
(2) エリアマーケティングを進める際の壁:日本との違い
① 地図、住民統計
アジア展開には、エリアマーケティングを行う必要があるが、日本とは事情が異なり、壁になる要素もある。その一つが地図である。海外では、地図は軍事機密とされている場合がある。軍事的に見れば、高速道路は滑走路に転用できるし、ゴルフ場は空挺目標となり得る。中国では、先日、地理測量していた日本人が逮捕された。しかし、今はグーグルアースで、青島の海軍基地の潜水艦は数まで数えられるし、平壌のアパートもはっきり見ることができ、時代は変わりつつある。
アジアには、昔は住宅地図はなかったが、車の普及とともにカーナビに搭載する詳細な電子地図が普及し始めている。しかし都市開発で急速に変化する街区と道路網、各地で計画される地下鉄建設、再開発で林立する高層ビルなど、都市の変化が急速で、地図の更新が追いつかない状況が続いている。
② 住民統計や所得データの不備
アジアでは、地図だけでなく、日本のような細かい住民統計もなく、あったとしてもそのデータがそもそも正しいのかどうかも疑わしい。上海市では、公式統計の戸籍人口以外に、同じくらいの数の非戸籍人口があると言われている。
中国では、2030年までには人口ボーナスの時代が終焉を迎え、急速に高齢化が進む。その前段階として、これから数年以内に、中国は7%成長から2%成長程度の低成長の時代に移行するだろう。人手不足で給料は上がり、20代の農村の工場労働者は、もうは集まらなくなっている。こうした人口動態上の変化も、見極めていかなければならない。
世代別の正確な人口データは、以前はなかなか出てこなかった。しかし、統計を見ているうちに、私は、中学校の卒業者数がある時点から突然、3分の1に激減していることに気が付いた。1979年に始まった一人っ子政策の影響によるものである。一人っ子政策は、数年で中国全土に浸透し、40代以上の世代では5~6人の兄弟が普通だったのに対し、35歳以下では一人っ子になるため年齢別人口が激減している。
大躍進時代の飢餓後、ベビーブームが起き、その後の文化大革命期を経て、次の出生数の波が来ることが予想された。中国政府は、大躍進の飢餓のトラウマからか「人民を食わせなければ、政権は危ない」という危機感が強く、それで大胆な人口抑制策に踏み切ったのだろう。しかし、一人っ子政策下では、男の子の選択出産が急増し、男女比のアンバランスが目立つ。彼らが結婚適齢期に達した後、どうなるか、その影響はまだ読めない。
また、戸籍人口と実際の人口の乖離も、エリアマーケティングの障害になっている。農民は、出稼ぎ先の都市では仮住まいになるため、統計に実態が現れにくい。都市によっては、戸籍人口の倍の出稼ぎ農民が居住しているとも言われている。また、東南アジアでも、不法労働者や密入国者が多く、同様の事態になっている。
所得の分布も、正確なところはよく分からない。中国では共働きが当たり前なので、世帯単位で見れば豊かな家が多い。都市富裕層は、ストック(住宅と株)を増やしている。付け届け、リベート、裏金のような公に計上されない収入は、高所得層では表向きの所得の3倍に達すると言われるが、こうしたデータの捕捉は難しい。
③ エリア統計感覚を狂わす都市の定義と規模の差
都市の規模についても、中国と日本とは、スケールや広がりに関する感覚が異なっている。上海市を例に取ると、市の領域は、東京でいえば、首都圏50~60km圏の面積になる。しかし、上海では、都心から20kmくらい走れば、すぐに農村部になる。その後、上海市の下の県や市が分散している。東京の場合は、50~60km圏程度までは、都市が鉄道沿いに連なっていて、都市の広がりが違う。中国では長らく、バス1時間圏が都市の限界だった。
中国では、都市化されているのは大都市の一部に過ぎず、都市は多くの小都市と農村を包摂している。上海市すら1,700万人のうち、上海都市圏部は1,200万人程度である。東京の通勤圏は70㎞範囲で3,500万人となり、東京はやはり、実質的には世界一の大都市である。
都市の規模感は、農村部の統計と合わせて全国値にすると平均値に薄まり、都市部の豊かさの実態が見えなくなってしまう。事業展開の際は、このことに留意しておかなければならない。
(3) 急速に変化する消費者:世代差と地域差
① 世代間の消費行動・対日観の違い
アジアの消費者は、急速に変化している。中国では日本人は嫌われていると思われがちだが、どの国でも世代ギャップがある。実は戦前の対日観は悪くなかった。孫文が日本に来て学び、中国革命を起こした。日本には、中国からの留学生も孫文の支援者も多かった。
ただ、一般的に言えることだが、国家が独立すると、自国のアイデンティティを確立するために仮想敵を作り上げる傾向があり、中国の場合、共産党政権ができると日本がその格好の標的になった。
韓国でも事情は同じで、李承晩政権時代の国家のアイデンティティ作りの一環として、反日が打ち出された。しかし、韓国でも若い世代には隠れ親日もいて、スラムダンクのような漫画をはじめ、日本の文化も入っている。
親日と思われている台湾でも、対日感情には世代差がある。戦前世代にあたる現在の70代は、日本に対する評価が高い。しかし、中国大陸出身の外省人中心の国民党が政権を取ると、政権に馴染まない人を虐殺する(二・二八事件)とともに、反日教育を行った。その結果、台湾でも50代前後の世代では反日感情が残っているが、それ以後の世代は外国旅行に慣れており、生の日本を知っていて、日本に対する評価も高い。
タイでもインドネシアでも、過去には反日デモや焼き討ち事件が起こっている。このように、アジア各国で、経済成長前期には社会的ストレスが高まり、海外の仮想敵として日本がターゲットになることは、たびたび起こってきた。
しかし、豊かさに自信が付き、旅行が自由化され、海外を自分の目で見る機会が増えると、対日観は大きく変化する。そして、豊かで快適な日本の消費文化が急速に浸透していく。中国もそうなりつつあるので、今後、対日観は大きく変わっていく可能性がある。
② 中国:中産階級のマスマーケットと豊かな「80后」世代の台頭
中国は先に触れたように、中産階級のマスマーケットが膨らみ、海外旅行可能なゆとりを持つ人口は3億人に達している。中国資本のチェーンストアも急成長している。
並行して、新世代の台頭で経営者・行政も変化している。中国における世代は、文革以前世代、紅衛兵世代、ポスト文革世代、80后世代に大別される。80后は一人っ子で、豊かな消費生活の中で育った若者たちである。留学経験のある若手テクノクラートも台頭しており、中国では、消費者プロフィールの世代間ギャップが広がっている。
③ 国内地域差:地理、気候、言語、都市と農村、山の手と下町
最後に強調しておきたいのは、アジアにおける地域差の大きさである。中国では、華北・華中・華南は、それぞれほとんど別の国と言っていいほどである。北京語・上海語・広東語は、お互いに会話が通じない。気候・風土・食文化・気質の差は大きく、身長や体形・顔つきも違う。「北京愛国・上海出国・広東売国」という言葉に象徴されるように、メンタリティも異なる。
さらに、生活文化においても、沿海州と内陸、南と北、都市と農村、省都と地方都市、都市内の山の手と下町とでは、それぞれ独自の特徴がある。食文化一つとっても、揚子江を境に、主食が米と麦(小麦粉)に分かれる。主菜も、内陸は肉、沿海は魚が中心になる。
質疑応答
(質問)藍野先生のお話で、ローカル化と集中化の区分けの重要性がわかった。質問だが、日本の商品をアジアで普及させる場合、経営判断は、現地でローカルに行うのか?
(藍野氏)日本人で、先行指標になる豊かな社会を肌でわかっている人間が、現地のローカルの文化に置き換えて見ることが1つの方法だろう。人間は、この先に来る社会については、なかなか実感しにくいものだからだ。現地の人たちが考えていることを日本人がアドバイスすると、すっとわかることがある。ローカルで判断する際に、日本の判断がそのままでは通用しにくいことは多いが、現地の目線でものを見られる日本人が入ってコーディネートすることが良いのではないか。
(小川教授)なぜ、藍野さんには、海外の社会に入り、変えていくことができたのか?
(藍野氏)私は好奇心が強く、現地で友達を作って遊びに行ったりしていた。清潔さを気にしたり、馴染んでいる味しか受け付ないタイプの人にとっては、辛いかもしれない。
(小川教授)藍野さんと私は、西友の駐車場の調査プロジェクトで知り合った。藍野さんは、極めつけのフィールドワーカーなのだと思う。千葉生まれで、弘前で農業の勉強をされたと伺った。東京も地方も知っていて、国内でもフィールドワークをされてきた。藍野さんは、心にも体にも国境がないから、中国でも台湾でも現地に溶け込めたのだろう。
(藍野氏)物件調査ではいつも、周囲2キロ四方を歩き回る。日本の駐在員は駐在員同士で固まりがちだが、私は食事も現地の人と一緒にして、言葉や習慣を覚えた。相手を下に見るということもなく、普通に同等の友達付き合いをしている。
(質問)現地目線のフィールドワークを行うには、言語が大事だと思うが、どうやって現地の言葉を習得されたのか?
(藍野氏)海外に出る前は、英語は嫌いだったが、今は日常会話なら韓国語、中国語、英語でこなせる。これでコミュニケーションには十分で、タイ語も一人歩きができるくらいは話せる。基礎的な部分については、100時間は会社で講習を受けさせてもらい、サバイバルレベルの知識を身に着ける。後は耳で学びながら、独習で身に着けた。
(質問)藍野さんの成功例を見ると、アジアで、現地に溶け込み、一般庶民をターゲットにしたマーケティングで成功されたようだ。ハワイや北米進出の場合は、最初は、現地の日本人やその周辺をターゲットにしたマーケティングが成り立つのではないか?
(藍野氏)所得に余裕のある層であれば成り立つとは思う。私は、最初のターゲットは、標準的ロケーションでなくてもいいと考えている。コンビニは最初、500室以上の高級ホテルや見舞客が大勢訪れる病院の入口など、所得の差がある国であっても大丈夫な立地を狙う。ファミリーマートは、タイでは空港の駐車ビル内に出店した。空港従業員が多く利用し、また送迎者も通行する地点だったからだ。役員には反対されたが、最初はチェリーピッキング的なレアな立地でもいい、日本人駐在員が多いところもありと思う。重要なのは儲かることである。そこから、普遍的なターゲットや立地に広げていけばよい。
というのは、新しい市場に参入するときは、弱者として入るのであって、知名度、営業力、商品力、すべての点で劣勢にある。だから、立地だけで物が売れる店を作る。それで「儲かっている」ということを、取引先にも従業員にも目で見て、わかってもらう。そこが大事だ。品揃えは標準店と比べて、特殊なのは1割くらいである。タイの空港店の場合は、お土産の商品を置いたりしていたが、基本的には空港従業員向けの店なので、ローカルのお弁当など、現地向けの品揃えが中心だった。
(小川教授)最初5店舗くらいであっても、人通り×購買力で儲かっているという例を示せなければ、日本国内でも次に続かない。
(質問)資料にはインドのデータも入っているが、日本のコンビニは、まだできていない。カーストの影響はあるか?
(藍野氏)インドでは、長らく小売の資本の自由化が認められていなかった。今コンビニをやるとしたら、僕ならインドに行くだろう。上澄みの層では、コンビニビジネスが成り立つ。そこは、カーストフリーでやっていくことになるだろう。ただ、流通関連の法規制は、まだ問題がある。
(質問)私は、上海の浦東にいたことがある。コンビニがたくさんできていた。私自身は伸びると思っているが、カントリーリスクもあるのではないか?
(藍野氏)上海では、コンビニは既に飽和状態にある。シェア争いが激しく、撤退したところからシェアを勝ち取ったものが、残っていく状態である。上海の大手のコンビニは、ロジスティクスや営業指導が怪しいところもあり、チェーン間で能力差にバラつきがある。日本でも、雪印をはじめメーカー系のコンビニは、既にほとんど潰れてしまった。
(小川教授)以前、私たちも現地調査をしたが、上海ではファミリーマートが圧倒的に強い。
(了)