物事を論理的に考えるためには、長い文章を書く訓練をすることが必要です。そして、できればですが、図表や写真には頼らずに、文字だけでそのロジックを相手に伝える努力をすることをお勧めします。同じような意見を、衆議院議員の大島敦さんのメルマガで見つけました。100%賛成です。
このあとで、「こんにちは、衆議院議員 大島敦です。」ではじまるメルマガ(国会報告)を引用させていただきました。
大島敦議員とは、今年の1月に、鴻巣市花組合の10周年記念講演会でお会いしました。わたしが招聘講師で、大島さんは祝辞を述べられていました。名刺を交換しましたので、その後は月一回、大島事務所からメールマガジンが送られれてきています。
昨夜の配信が2回目なのですが、文章がいつも平易で主張も筋が通っています。もちろんご自分で書かれていることは誰の目にも明らかです。会場での挨拶と書かれた文章の間に、トーン&マナーでギャップがまったく見受けられないからです。民進党の国会議員さんにしてはめずらしく(すいません!)、見識のある立派な方だとお見受けしています。
なお、文章の引用については、秘書の方を通して大島事務所の許諾を得ています。ご本人も確認済みだそうです。
今月の大島レポートのテーマは、「義務教育で必要とされるのは論理的思考を養う授業」でした。最初のトピックが、NICT(国立研究開発法人 情報通信研究機構)が開発した「VoiceTra」(ボイストラ)という翻訳ソフトについてです。わたしも驚くことが多いのですが、近頃の自動翻訳機は相当に完成度が上がってきています。音声識別能力も高くなっているので、特別な専門用語が含まれていなければ、自動翻訳ソフトを海外旅行に携帯すれば、日常会話程度ならば問題なく使えそうです。
そうだとすると、「大切なのは語学力そのものというより、論理的に物事を考えることのほう」というのが大島さんのご意見でした。少し長くなりますが、語学の習得に要する時間について、その主張を途中から引用をさせていただきます。
「米国の国務省(日本でいう外務省)では、職員に他国の言語を習得させる場合、仕事で最低限使えるレベルにまで上達させるために2200時間かけています。つまり、1つの言語について2年ほどで外交官としての語学力が身に付くということです。これに対して、日本の中学と高校の英語の授業は合計しても1500時間しかなく、しかも授業は細切れになっています。
とすると中学と高校での英語の授業を合計2200時間になるように増やせばいいのでしょうか。しかし私は、外国の人たちとコミュニケーションをとるにはそれよりももっと大事なことがあると考えています。すなわち、論理的な思考ができるようになることです。」(大島さんのメルマガ、第2項「言語を習得するには2200時間かかる」)
ここで、大島さんは、「東ロボ」というAI(人工知能)の開発の話と、それと同時に実施された中高生を対象とした読解力調査の結果を紹介しています。恐ろしいことには、現段階ですでに、「中高生の読解力がAIに比べて驚くほど低いことが明らかになった」との報告がなされています。当たり前のことですが、読解力が低いと論理的な思考などうまくできるはずがありません。大島さんが指摘しているのが、中高生の読書量の少なさと、長い文章を書く機会や習慣の不足です。
「文章を書く機会そのものは、スマホでのライン、ツィッター、フェイスブックなどのために増えてはいますが、いずれも文章としては短いものばかりです。しかも短いだけでなく、中身も断片的な感情のやり取りが中心なので、論理的な思考はほとんど必要ありません。
その点、長い文章を書こうとすれば、どうしても論理的な思考が求められます。私が書いている本レポートも「図や写真がなくて文字が多い」といわれるのですが、月1回、このような長い文章を書くことで、私も論理的な思考が促され、頭の中が整理されるため、新しい認識を得ることもできるのです。」(メルマガ、第3項「読解力ではAIより中高生のほうが低い?」)
したがって、文部省が取り組むべき初等教育の方針は、次のようになります。
「英語の授業よりも、読解力を付けて論理的な思考を養う授業を増やすことが先決ではないでしょうか。小学校での英語教育よりも論理的思考の国語教育が優先されると考えます。」(大島議員の結語)
わたし個人も、大島さんの意見に完璧に合意します。
問題は、短文と画像(静止画と動画)の日常世界で暮らしている子供たちに対して、どのような方法で長文を読み込んだり、長い文章を書く習慣を身に着けさせるかです。この問いに対するわたしなりの解決方法は、ゼミ生にある種の苦行(読書感想文)を課すことです。実際のプロセスを紹介します。
わたしは、隔月のペースで課題図書(ときには、映画や小説だったりもします)を指定しています。課題となった本を読みこんで、月末にはA4のレポートを2枚提出させます。提出済みの感想文については、2~3週間後に「添削」して全員に返却します。
高等学校までの教育では、繰り返して感想文(長めの文章)を書くという習慣がないようです。だから、論理的に文章が書けないのです。ところが、半年もたつと(4本目の辺りから)、彼らの文体が一変してきます。みごとなもので、3年生の初めに「B」評価しかもらえなかった生徒が、1年後には「A+」の評価を頻繁にもらえるようになります。
それと並行して、フィールドワーク(企業とのコラボレーション)に、いい意味でのめり込み始めます。論理的に考えられるようになったことで、構想力と企画力が備わってくるからです。
ここで重要なのは、教育をする側が絶対に手抜きをしてはならないということです。わたしは、24名のゼミ生の感想文を全部読んで、ひとりひとりにコメントを書きます。「てにをは」を直すのはもちろんのこと、「起承転結」「序破急」などのロジックの作り方に至るまで、様式も細かくチェックしてきます。そして、万年筆でコメントを書きこみながら、それぞれの文章に身近な感想を付け加えます。
ときには一行一行に、わたしの経験談などを挿入したりします。たとえば、「おもしろい!」「そうなんだ!」「それってホント?」「ちがうと思うけど、どうかな?」などなど。評点が悪くても、わたしが彼ら・彼女たちの心や経験に、何気に触っていることはわかると思います。その見守りの気持ちが、次回の感想文では作品をより良く仕上げようとする挑戦者魂を刺激するようです。
潜在的な能力を引き出すためには、ゼミの集団内では競争的な状態を作りながら、生徒たちへ個人的な支援を惜しまないことだと思います。優秀な感想文は、わたしのブログにアップされます。それが励みになったりするのは、社会人の大学院生も同じです。それはまた、選ばれなかった学生にとっては、つぎのレポートの参考にもなるはずです。
なお、大島さん自身も、「私が書いている本レポートも「図や写真がなくて文字が多い」といわれるのですが」(引用文から抜粋)と書かれています。それは良いことだと思います。安易に図表や写真を添付すると、わかりやすくはなりますが、ロジカルに説明をする努力(むずかしさ)を殺いでしまうのです。
それがわかっているからこそ、このブログには写真や図表を載せていません。ビジュアル無しで、どこまで自分の意見を他者に伝えることができるか。そこを鍛え上げることが、ロジカルに物事を構築する力を高めることにつながるのです。そのためには、とにかくたくさんの文章を読まなければなりません。練習と努力があるのみです。近道はないと思います。
たくさんの美しい文章を読むことで、その力は鍛えられます。悪い文章を読んでしまうから、読書がいやになるのです。だから、書く側は責任を伴います。
大島議員の主張を、これからもときどき本ブログで紹介してみたいと思います。参考までに、大島あつし議員のメルアドとHPは以下の通りです。
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衆議院議員 大島 敦(おおしま あつし)
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