日本海の時代が到来か? 地図を上下逆さまにしてみると

 金沢にある「デスタン」(榊のシェア25%)の事務所を二度目に訪問したときのこと。北本政行社長の執務室に、南北が上下反対になった日本地図が掲げられていた。要するに、世界の中心が金沢で、ロシアと中国が地図の下側にあるという構図だった。

 

 物事の決まりは、誰かが決めるものではない。自分の主観・価値観で地図の見方も変えてしまう。わたしと同じ年(64歳)で、高校卒業と同時にパリ大学に留学し、当時は学生ながら、田中角栄首相の政務次官のフランス語の通訳をやっていた人だけのことはある。北本さんの発想にびっくりしたものだった。

 しかし、考えてみれば、それも一理ある。明治維新の直前まで、日本国内の貿易物資は、主として日本海を往来していた。消費地に向けて大量に運んでいた米や海産物などは、河川を経由して北前船で京都や大阪、江戸に運ばれていた。日本人が太平洋の彼岸に目を向けるようになったのは、ペリーが下田に来航してからのことである。

 そして、ふたたび、日本人は日本海の向こう岸に目を向け始めている。その兆しは、山口で行なわれる安倍・プーチン会談である。北方領土が四島(歯舞、色丹、択捉、国後)とも返還されるとも思えないが、少なくとも、いまよりはロシアと日本の間の貿易は活発になりそうだ。

 

 どちらかと言えば、20世紀は太平洋側にある地域が発展をした。東京を中心にした関東圏(すべての産業)と中京圏(輸送機器、自動車産業)の経済が発展した。それは、二度の世界大戦をはさみながら、米国との国際貿易が拡大し、政治・軍事関係が緊密になったからだった。

 21世紀のこれからはどうだろうか? わたしは、日本海の時代が再来するだろうと予測している。アングロサクソン民族(米英)は、グローバリゼーションの全面的な推進路線から一歩引きさがりそうだ。もちろんこれだけ世界経済のネットが発達したのだから、全面的に撤収することはないだろうが、政治的にはモンロー主義に逆戻りしそうだ。

 米国だけ一国が世界の警察の役割をすべて背負い込むことは、いずれにしてもできなくなる。だから、日本としては、ロシアと中国との関係をうまく調整しなくてはならない。両国間の交流のポイントは、技術と観光だろう。人と物資の行き来は、だから、日本海を通して行われるにちがいない。

 そうなのだ。日本海側の地域に住んでいる人々にとって、日露関係の修復は福音なのだ。デスタンの北本さんのように、日本地図を逆さまにして見るとよい。日本海側の都市が、アジアの中心にあるように見えてくる。それは、アジアの中心が、福岡に見立てることができる「アジアの中心=九州の時代」と同様な発想から来ている、しごく自然な空間把握だ。

 

 子供のころ、夏の暑い日、能代の浜から沖を往来する白い船を眺めていた。あれは、観光船ではなかっただろう。物資輸送のための船だっただろう。極めつけに暑い日などは、ときどき蜃気楼などが発生して、その船が空中に浮かんでいたものだ。

 たくさんの舟が往来していたのは、そのときまで。日本海地震(1981年?)が発生した後は、そうした船をとんと見かけなくなった。東北・北海道の地方経済が疲弊して、海上輸送は完全に太平洋側に移ってしまったからだ。ロシアや中国、北朝鮮との関係悪化も原因の一つだったのだろう。

 だが、いま地政学的な貿易力学に変化が起こっている。もしかして、日本で最高に人口減少率がはげしい秋田や青森が復活するのは、対ロシア貿易が引き金になるのかもしれない。そのとき、貿易の中心を金沢や新潟に奪われないように!秋田県人、青森県人、しっかりと!