大学院生の新田美砂子さん(有限会社コートヤード代表、野菜料理研究家)と神奈川県の愛川町で有機農業を実践している千葉康伸さんの農場に来ている。千葉さんはNOAFの若手幹事で39歳。土佐の有機農業指導者、山下一穂さんの学校で二年間学び、32歳で就農した。
<有機実践農業者>
千葉さんの農場「NO-RA」(農楽)は、都心から車で約50分。圏央道の愛川インターで高速道路を降りる。有機農業の実践農場は、そこから約20分ほどの相模川の支流、愛川沿いの高台にある。2.5haの農場は、平坦な野菜畑。8軒の農家から借りた分散農地だが、畑は1KM圏内にある。トラクターを移動できるので、栽培条件に恵まれている。
千葉さんには、二人目のお子さんがもうすぐ生まれる。農場は、ご夫婦と正社員一人、研修生ふたりで、40種類の野菜を作っている。ナス、キュウリ、トマト、ニンジン、オクラ、サツマイモ(安納芋、紅あかね)、モロヘイヤなど。千葉さんが作る野菜は、葉っぱの色が淡い。窒素分を抑えてあるから、とてもきれいな野菜ができる。
高知でトレーニングを受けた師匠の山下さんが、「野菜は、きれいで美味しくないとだめ!」と常日頃から述べている。千葉さんの畑に生えている植物は、その通りの美人野菜だ。
千葉さんに勧められるまま、新田さんと畑からモロヘイヤを摘んで生で食べてみた。香りが淡い。驚いたのは、オクラの花が咲いていたことだ。知らなかった。オクラの花は、ハイビスカスのような形をしている。花弁を食べてみたら、実と同じでネバネバしている。オクラの香りと舌触りがした。
有機農業こそ、安全なエディブルフラワーが供給できるポテンシャルをもっているのでは?ふとそう思った。一般に、供給されているキンギョソウ(スナッパドラゴン)や食用キクは、農薬を散布してある。本来は可食花には適さない。とりわけ、オーガニックのオクラの花など、めずらしくて美しい。売れるのではないだろうか?
<就農まで>
大学を卒業した千葉さんは、SEを7年経験した。就農したいと思ったのは、父親が転勤族だったから。千葉さんは横浜生まれだが、父親の転勤で各地を転々としたらしい。同じ場所に腰を据えて生活がしたかった。それが農業を選んだ動機だという。新規就農者によくある有機栽培を選んだのは自然な選択だった。
茨城の有機農家、久松農園にも身を置いたことがある。最終的に土佐の山下農園を選んだのは、山下さんのビジョンに共鳴したからだ。元ミュージシャンの山下さんは、農業に技術を要求する。「下手な有機農家が多いんだよね。簡単なのに技術が足りない。野菜を美味しく作れないのは、技術がないから」(山下さん)。
150人の卒業生(有機のがっこう)を輩出している師匠は、アーティストのように野菜を作る。そして、教えを受けた弟子の千葉さんも、「(慣行農法と違って、)有機農法は、いろんな条件の”すり合わせ”が必要なんですよね。だから難しい。でもおもしろい」という。音楽や絵を描くように、有機栽培の野菜には微妙な調整が必要らしい。
慣行栽培は、さしずめ製造ラインを「モジュール化」できる電子産業なのだろう。農薬と化学肥料を用いた、比較的シンプルな生産体系だから。有機栽培は、自動車の製造と似ている。自動車の組み立てには、部品どうしの微妙なすり合わせが必要だからだ。土壌とたい肥と潅水と雑草取りと種子の選択と、、、
当初は、ビジネスへのあこがれではじめた農業だった。しかし、山下農園(有機の学校に一年、研修生として一年)を卒業して、違う価値軸を自覚するようになった。農業には、金銭的な成功だけではない、別の価値観があることを知ることになる。
農業には、水不足、雑草とり、病虫害がつきものだ。「そうした自然と闘い中で、自然との共生を感じることが多い」(千葉さん)。耕す前に、土づくりが大切だ。有機たい肥を入れているが、多くはやりすぎないように気を付けている。出荷の半分以上を受けてくれる福島屋(福島徹会長)に、硝酸態窒素の量を測定されるからだけではない。作物を通した秩序ある自然な循環に配慮するからだ。
たい肥は、近くにある養豚場からトンプンを分けてもらっている。これも運が良かった。
<就農からいままで>
話は32歳の就農時に戻る。千葉さんが、神奈川県内での就農を希望して、近くに農地を求めていたとき、愛川町の農業委員会に出会った。運よく、1.4haの土地を借りることができることがわかった。だが、親類縁者に農業者がいない千葉さんに、農業委員会として、「きちんとした農業技術をもった農業適格者」である証明が要求された。
土佐の「有機の学校」と師匠の山下さんからは、すぐに証明書(推薦状)をもらうことができた。一番高いハードルは、研修を受けた高知県から「適格証明」をもらうことだった。またしても、山下さんが助け舟を出してくれた。
高知県で知事を交えた交流会が開かれる機会を、千葉さんのために山下さんが探してきた。そのとき、千葉さん自らが知事に直接、「神奈川県で新規就農するにあたり、高知県からの”お墨付き”(推薦状)が必要である」と直訴した。知事が驚いたために、直接交渉は不調に終わりそうだった。しかし、懇親会の席で再度、知事に呼ばれて、担当部長がなんらかの手段を講じることを約束してくれた。
32歳で就農することになった千葉さんに、山下さんは、「技術だけ磨け。よけいな営業はするな」とアドバイスしてくれた。その通りになった。まだ、技術的に未熟だったにもかかわらず、初年度の販売先として、かまぼこで有名な鈴廣が手を差し伸べてくれた。鈴廣のレストラン部門が、オーガニックの野菜を購入してくれたからである。
「一度も営業などしたことがないのに、生産量が増えて売り先がほしいときに突如、販売先が現れるんのです」(千葉さん)
福島屋さんとの取引も、二年目から始まった。いまでは60%を占める主要な出荷先だが、当初の取引依存度は10%程度だった。人間はやさしいが、福島会長の野菜を見る目はきびしい。山下さんが見込んだように、千葉さんの技術がどんどん上がってきたからだらう。これは、わたしの推測である。
理念だけで、商売は成り立たない。農業科学的に、TQC(改善活動)を推進し、土壌と作物の品質を向上させないと、美味しい野菜は作れない。常に改善を繰り返す努力がなければ、良い作物は作れない。とりわけ野菜はそうだ。美しさとおいしさと収量(生産性)の両立。
<有機農業の生産性>
畑の真ん中で、エチオピアで研修を終えて帰国したばかりの研修生が、つぎに植え付けるニンジンのためにマルチを張っていた。足元の土はさらさらだ。新田さんが、頼もしそうに千葉さんの顔を見る。「ていねいに作ってるから、だんだん土がよくなっていくんですよね」(新田さん)
「土が良くなったおかげで、いろんなニンジンを作ってますが、初年度と比べて4~5倍に収量が増えています」と千葉さん。有機農業の場合はとくに、土壌が改良されると同じ畑で3~4倍に収穫があがることは特別なことではないらしい。
一般に、「有機農業は生産性が低いのでは」と言われているが、腕の良い生産者の実績を見ていると、それは言い訳ではないかと思ってしまう。ナス造りの名人、永座先生(微生物農法研究会、永座康全会長)の農場でも同じ光景を見た。
10時から11時まで、わずか一時間の畑視察だった。わたしは、13時からカルビーの元会長、松尾雅彦さんと二度目の対談が控えている。『農業経営者』の対談だったが、前回は松尾さんの都合で中断になった。そろそろ京王線で、橋本駅から市ヶ谷まで戻らなければならない。急行電車で一時間はかかる。
カンカン照りでサングラスをかけていたわたしに、帰り際に、「今夜は、大雨になるようですよ」と千葉さん。研修生のほうを見ながら、「明日は、男三人で草取りだね」と笑いかけた。神奈川県地方では、しばらく雨が降らなかったらしい。
そうか、雨上がりならば、雑草が抜きやすくなるのだ。有機農家は除草剤が使えない。草取りがたいへんなのだ。