菅原文太さんと木村秋則さんが推薦文を書いている。自然栽培のリーダーたちからの著者へのエールである。本書は、3.11の直後に出版され9刷を重ねている。息が長く読まれ続けているのは、命をつなぐものとしての小さな種子への懸念が時代的に注目を集めているからだろう。
本書でもっとも重要な指摘は、不稔性を利用した種子の増殖技術(F1)が、人類から生殖力を奪ってしまうという懸念である。また、F1種子にばかり依存する農業(+小売業と食品加工業の都合)は、自然界から生物多様性を奪うことで人類の未来を危ういものにする。換言すると、植物のタネが危ないというよりは、人類のタネ(精子)が危ないという警告である。
挑戦的な仮説は、「不稔性の農作物(F1品種)ばかりを食べていると、長期的には男子から生殖能力が奪われてしまうのではないか」というドラスティックな”妄想”である。科学的に根拠が示されているわけではないが、この野口説は、精子の活力をつかさどっている「ミトコンドリアの異常」(活力の低下)にその根拠を求めている。にわかには信じがたい仮説ではあるが、そのことは、なんとなく直感的にわたしたちが感じていることとも符合する。
ご存知の読者には少し退屈かもしれないが、野口仮説の由来を説明するために、F1のタネによる育種の話から始めることにする。
「F1種子」(一代雑種、交配種)が食品流通と農業生産の効率化に利用されるのは、1960年代になってからである。F1はもともと日本が生み出した技術で、1914年に日本の最大の輸出産品だった絹(蚕)の増産のために開発されたものだった。それまでの「固定種」(同じ親から採れた種子)は、播種時期が同じでも収穫時期が一定せず、作物のサイズや品質が均質な野菜や穀物が栽培できないという欠点をもっていた。
F1の技術が発明されてから、産業界で利用されるまでには50年のタイムラグがある。それは、世界の種苗会社がF1種子を作って販売するようになるには、農業部門の大規模化とチェーン店の成長を待たなければならなかったからである。フードチェーンの産業的な組み換えが、F1種子の利用を後押しすることになる。
食品産業のグローバリゼーションの流れが、フードチェーンを長くしていく事情は、流通史とフードマーケティングの仕組みを知る者にとっては周知の事実である。どんなに鮮度保持技術が向上しても、遠距離輸送は二酸化炭素の排出を促す。そのことによって地球の温暖化が加速される。負の効果は避けて通れない。
それでも、ビジネス的には効率(金)に勝るものはない。固定種は淘汰され、市場の隅っこ追いやられてしまった。世界的に見ても、野口種苗店のように、固定種だけを扱っている種子やさんはごく少数派だろう。日本ではほぼ唯一の固定種専業種子店である。しかも、インターネットがないと生き延びることがさえできなかったはずである。
なお、大量販売のために企画化されすぎた野菜は、食べ物が本来的に持っているおいしさを犠牲にしてしまう。安価ではあるが、「味気ない」食べ物をわたしたちは口に運ばざるをえなくなる。おいしさが効率によって消失してしまっている。それが日本の食の現実である。
そして、究極の事件が起こった。F1種子のつくり方が、「除雄」(おしべの除去)→「自家不和合成性」(他の個体の花粉でしか受粉できない性質の利用)→「不稔性」(おしべができない”無精子症”の遺伝子の利用)と進化することで、野口氏が懸念するもっとも危険な事件が起こる。農場からミツバチの一群が、女王蜂と生殖能力のない数匹のオス蜂を残して、忽然と姿を消すという事件である。2006年から2007年にかけて、米国で起こったCCD(密売崩壊症候群)という事件である。
突然のミツバチ消失の原因は、いまでは10個ほど考えられている。もっとも有名な仮説が、「ニオネコチノイド説」である。農薬がミツバチの生殖を抑制してしまうという説だが、まだ確証は得られていない。
11番目の仮説が、野口氏が主張する「不稔性植物からの蜜摂取説」である。簡単に言えば、つぎのようになる。不稔性の植物(種子ができない植物)を人間がF1育種によって増やしたがために、働き蜂がミトコンドリア活性の弱い蜜を女王蜂に与え続ける。そのことで、オス蜂からは生殖能力が失われる(オスが無精子症に陥る)。そして、ハチの子孫が途絶える悲観して、働き蜂が巣を守ることを放棄する。
本書の主張は、この一点に集中している。手塚治虫(鉄腕アトムや火の鳥の漫画作者)の初代編集者だった野口氏は、「火の鳥」の中に登場するテーマ(生命の尊さとその危うさ)を、人類のF1育種への傾倒(効率重視と多様性の喪失)による生命の輪の断絶に模している。
子供のころ、評者(わたし)も弟が借りてきた「火の鳥」を全巻読んだ。わたしの死生観も、手塚漫画によって形作られているように思う。永遠の命など存在しないが、その永遠をひとは求めて生きている。そして、子孫に命を託して自分は個体として死んでいく。手塚後のアニメのテーマにも、このモチーフは継承されている。手塚治虫は、タネの話を描いていたのだ。
手塚治虫は、60歳で亡くなっている。いま考えると、ずいぶんと早くにこの世を去ったのだと思うのだが、そのぶん若々しい写真しか残されていない。手塚神話が野口さんの仕事に乗り移ったのが本書である。初版が出てからすでに5年が過ぎた。野口仮説(不稔性F1育種によるミトコンドリア異常)を確かめる科学者は現れるのだろうか?