本書を読了してから、2012年に復刻になった『料理の起源』(吉川弘文館)を発注した。本書があまりにおもしろかったので、復刻版の到着が待ち遠しい。50年前に書かれた本とはとても思えない。これほど鮮度が落ちない本も珍しいのではないだろうか。
フィールドワーカーらしく、語り口はなんとも自由人である。今西錦司先生らを生んだ京都大学には、戦前戦後を通して中尾先生のような学問(アプローチ)を育む土壌があったらしい。自由に文明と国境と時間を超えて、人間文化を論じることができる雰囲気があったのだろう。この学風はうらやましい限りである。
わたしは、有機エコ農業(環境保全型農業)の研究者ではないが、食と農のビジネス実践者として、農水省のプロジェクトに関与し始めている。このプロジェクト(略称:NOAF)には、従来からの有機農業運動の推進者たち(>50歳)に、若手の新規農業参入者(<40歳)とその周辺産業(食品加工・小売業・フードビジネス)の中心人物たち(小売経営者、レストランオーナーなど)が加わって来ている。
わたしの役割は、彼らと協力して、産官学のネットワークを組織することである。そのため、育種の起源から農耕文化史、有機農業周辺の食品産業の成り立ちについて勉強をしなくてはならなくなった。そもそも、わたしには農業に関する基礎知識が欠けている。初心者の本棚に、基礎文献(書物)を並べてくれたのは、アシスタントの青木恭子である。
その本棚(ブロック)から最初に取り出してきたのが、井田徹治著(2010)『生物多様性とは何か』岩波新書(赤本)である。この本に関しては、一週間前に書評で紹介してある。2冊目が、中尾佐助(1966)『栽培植物と農耕の起源』岩波新書(青本)である。読むべき本はたくさん準備されているが、直感的にこの本を手に取ったのは、判断として正しかったようだ。
本書を要約すると、つぎのような論旨になるのではないだろうか。
人間が農耕を始めるにあたっては、自然界から栽培に適した作物(品種)を選んでくる必要性があった。人類が「採集の時代」から「農耕の時代」に移れたのは、エネルギー的に、人間を効率よく養うことができる穀物(炭水化物)を栽培する体系が作れたからだった。食の文化(Culture=耕す)の始まりは、したがって、農業(Agriculture)の始まりであった。
本書の指摘でおもしろいのは、イネやムギ(雑穀)の野生種には、多年生と一年生の植物が入り混じっているのに、栽培種は、ほぼすべてが一年生の植物から構成されていることである。理由は明確に述べられていないが、察するに、栽培体系が年で回る方が、高い生産性を確保しやすいからだろう。一部の人間(原初の育種家)がそのことに気づいて、一年生の草木や根菜を集落の周りに集めて栽培を始めたのが農耕の始まりだった。
農業の栽培技術(灌漑や施肥)と原材料の加工手段(脱穀や粉砕)は、すべて効率よく可食部分(白米、小麦粉、大豆)を取り出すための道具の開発に連なっている。その先には、加熱用の鍋の存在や調理器具の発明がある。大規模農業は調理の文化(=食品加工産業)と醸造・保存技術を生み出すことになる。
本書でいちばん勉強になったのは、いま世界中に広がっている主栽培品目のグループは、基本的には4つの農耕文化(栽培コンプレック)に集約されるというシンプルな説明である(カッコ内は、主たる栽培作物)。
歴史的に農耕文化圏が登場する時代を順番に並べると、
(1)根菜農耕文化(サトウキビ、タローイモ、ヤムイモ、バナナ)で、東南アジア起点の”芋文化”、
(2)サバンナ農耕文化(ササゲ、シコクビエ、ヒョウタン、ゴマ)で、アフリカ西岸に起源をもつ”雑穀文化”、
*イネは、雑穀の一部として扱われているので、サバンナ農耕文化の類型に入る(サブカテゴリーとしては、照葉樹林文化?)。
(3)地中海農耕文化(オームギ、エンドウ、ビート、コムギ)で、地中海東岸(チグリス・ユーフラテス河岸)から発した”ムギ文化”、
(4)新大陸農耕文化(ジャガイモ、菜豆、カボチャ、トーモロコシ)で、中南米(インカ文明)の発祥の”ジャガイモ、トーモロコシ文化”。
発生の場所がちがうだけで、もちろん時間的には、相互に独立した文化ではあるが入れ子の状態になっている。新大陸農耕文化以外は、それぞれが時代的に影響を受けあっている。実際的にも、主作物や二次作物(同時に持ち込まれた雑草など)も相互に受け入れている。
のちに、これらの4つの農耕文化は複合的に発展していく。たとえば、現代の日本社会が、和食だけでなく洋食を取り入れたり、中華料理や韓国料理を折衷しているのと同じである。フランス人やイタリア人(地中海農耕文化)が、すしや天ぷら(サバンナ農耕文化:雑穀食文化)を食べるようになったのも、そのフュージョンの一類型である。
ここで、ちょっとおもしろい「応用分析の遊び」をやってみよう。一昨年、わたしは、ABCクッキングスクールに通った。12回のベーシックコース(ここでは、レッスン1~レッスン6)である。その基本レシピ(調理法)を、4つの農耕文化と関連付けてしてみたい。わたしたちが食べている料理は、世界のどこかに栽培の起源をもつ食材(それを栽培する農耕文化)に対応しているはずである。
<レッスン1>
肉料理:鶏のから揚げ/ひとくちヒレカツ
肉を除くと、原料は小麦粉と食用油 → サバンナ農耕文化(植物油)+地中海農耕文化(コムギ)
<レッスン2>
野菜料理:豚汁、いんげんの胡麻和え → 根菜農耕文化(サトイモ)+サバンナ農耕文化(ササゲ、ゴマ)
<レッスン3>
焼く・炒める:五目チャーハン、羽根つき餃子 → サバンナ農耕文化(コメ)+地中海農耕文化(コムギ)
<レッスン4>
揚げる:天ぷら(7種)、たことわかめときゅうりの酢の物 → サバンナ農耕文化(植物油)+地中海農耕文化(コムギ)
+新大陸農耕文化(カボチャ、シシトウ、ナス)
<レッスン5>
卵料理:オムライス、ポテトサラダ → サバンナ農耕文化(コメ、植物油)+新大陸農耕文化(ジャガイモ)
<レッスン6>
魚介料理:アジフライ、イワシのつみれ汁 → 地中海農耕文化(コムギ)+根菜農耕文化(ゴボウ)
最後は、ちょっと遊びが過ぎたかもしれない。
<レッスン7>から以降が気になる方は、「ABCクッキングスタジオ」へ。