「世代をつなぐ」『JFMAニュース』(2016年4月20日号)

 今月号の「巻頭言」では、事業の継承について自らの立場を述べてみた。このタイプのコラムを書くのは、今回が初めてである。大学も花の組織も「引き継ぎモード」に入っている。とはいえ、64歳の起業がふたつも控えている。言行に矛盾を感じてもいる。



 「世代をつなぐ」『JFMAニュース』2016年4月20日号
 JFMA会長 小川孔輔

 「会社の寿命は30年」。このキーワードが『日経ビジネス』の誌面を飾ったのは、1983年の半ばである。「企業は永遠か」と「診断 会社の寿命」の二大特集記事で、明治維新から続く大企業組織の栄枯盛衰を分析した記事が世間の注目を浴びた。今でも当時のテキストをネット検索できる。1983年9月19日号の特集号の序文は、つぎのようになっている。

 「(前略)明治以来、産業構造の激しい変化の中で、時代を代表する有力企業の顔ぶれは目まぐるしく移り変わったが、没落していく企業がある一方、それらに代わって、たくましい企業家精神を受け継いだ新興企業群が台頭した。本誌調査が明らかにした企業の寿命――1企業が繁栄を謳歌できる期間――は、平均わずか30年。経営者が企業家精神を失う時、企業は、たちまち衰亡の途を転落し始める。私利私欲に走らずに、企業家としての情熱を持ち続け、透徹した眼で先を見通して、ハラのすわった決断のできる経営者だけが、企業を成長させ、その生命を永らえさせることができるのだ。」(須藤公明、大河原暢彦、杉山栄一、城田健二郎)創立16周年。

 偶然にも、最近わたしが研究対象にしている企業は、『日経ビジネス』の創刊(1968年)から後に誕生した企業が多い。日本マクドナルド(1971年)、ロック・フィールド(1971年)、セブン-イレブン・ジャパン(1974年)、ローソン(1975年)、ファーストリテイリング(1984年)、オリエンタルランド(1984年)などである。全社に共通しているのは、会社設立(事業継承)から30年が経過して、第二世代にバトンタッチがなされる際にあることである。実際は、二つのケースに分類できる。創業者がそのままトップに居座っている場合と、次の世代にうまく事業がつなげている場合のどちらかである。

 どんな優れたカリスマ経営者でも、人間には寿命というものがある。リレーの仕方をまちがえると、自らのレガシー(功績)を台無しにしてしまうことがある。直近の事例で言えば、後継社長の指名争いで敗れて表舞台を去らざるをえなくなったのが、セブン-イレブン・ジャパン創業者の鈴木敏文会長である。京セラの稲盛和夫氏がJALの再生に成功したような例外もあるが、基本的に80歳を超えて経営トップは続けてはいけない。鈴木会長の退場劇は、「他山の石」である。
 それとは逆に、後継者へのバトンが上手に渡せている事例として、ファッションセンターのしまむらと食品スーパーのヤオコーの名前を挙げることができる。しまむらは、創業者の島村恒俊元相談役から藤原秀次郎元会長へ、そして野中正人現社長へと経営の継承がスムーズに行われた。全員が65歳で社長を退任している。同じく、社長の座を65歳でファミリーに譲ることができた事例がヤオコーである。創業家の川野ファミリーの中ではあるが、実質創業者の川野トモ氏から長男の幸夫氏(現会長)へ、次男の清巳氏(元社長、退任)を経由して、川野澄人現社長(幸夫氏の長男)へとトップが替わっている。社長退任の年齢も、しまむらと同じく全員が65歳である。

 教訓は、継承の仕方(社長の選び方)が重要な要因ではないということだ。基本的に、トップを退任することに「時限」を設けることが大切なのである。上手に次の世代に組織を繋げては行きたいと思っている。そのタイミングと継承の仕方を模索している。