遅延の効用

 昨日は、予定されていた二件とも相手方が遅刻してしまった。午後4時に下見を予定していたマンション@両国は、東京R不動産の松田さんが小淵沢駅で電車に乗り遅れてキャンセル。仕方がないので、商業界ビル(六本木)を目指して、1時間半ほど予定を早めて赤羽橋に到着した。



 たまたま、これで3日間続けて赤羽橋駅で降りることなる。一昨日が手術が終わった右目の検診、昨日が販売革新誌上での松井忠三さんとの対談、本日が左目の白内障手術である。偶然に赤羽橋下車である。
 駅のエレベーターを上がって、交差点を渡ろうとしたら携帯が鳴った。悪い予感が的中した。案の定、販売革新編集長の楠瀬さんがえらく恐縮している。対談相手の松井さんが、名古屋の顧問先からの電車に乗り遅れてしまったとのこと。対談予定時間の5時半までには、商業界ビルに到着できないらしい。
 まずい!わたしは対談が終わってから、フラワービジネス講座が終わった講師の野田さんと食事をすることになっている。松井さんが一時間遅れてしまうと、野田さんとの約束が果たせなくなる。しかし、松井さんは忙しい方だ。わたしも手術を控えている。リスケジュールが困難だ。販売革新の4月特集号のために、対談の日時は動かせない。

 野田さんには申し訳ないが、JFMAの方はキャンセルして、松井さんを商業界の応接室で待つことにした。まだ4時少し過ぎである。対談のスタート時間まで、2時間半も余裕ができてしまっている。読書するつもりで、ソファーに腰かけた。実は、しめしめである。販売革新からいただいていた「対談テーマ」について、事前に予習をしていなかったからだ。
 楠瀬さんと雑談をしていると、そこに松井さんの奥様(珠江さん)が現れた。ご主人の遅延を、対談相手のわたしに謝罪しにこられたのだった。えらく恐縮している。「でも、仕方がないでしょう」と、わたしはラッキーと内心では思っていた。というのは、これで松井さんに、大きな貸しができたうえに、奥様に松井さんのことをインタビューできるからだ。飛んで火にいる夏の虫。こちらは、絶対的に強い立場にいるから、たいていのことは話してくれるだろう。
 というわけで、ここでは詳しく書くことができないが、わたしが”現代の侍”と呼んでいる松井さんが、「いつもなぜ泰然自若としていられるのか?」について質問をしてみた。松井さんのふだんの生活、西友・良品計画時代のしごとぶりなどを、かなり突っ込んで伺うことができた。やった!

 質問の途中で、共通の知り合いが多くいることが判明した。ローソンの玉塚さん(社長)、しまむらの藤原さん(元会長)、カインズの土屋さん(社長)など。なんと、西友時代の珠江さんは、木内さん(元社長)の部下だった。奥様が部長職で、当時は人事課長だった旦那さんより出世していたのだ。
 この調子だときっと、松井さんは奥様に頭が上がらないのだろうな。いただいた名刺をみると、「株式会社松井オフィス、取締役副社長 松井珠江」とある。奥様は副社長か。でも、マネージャーの雰囲気を漂わせている。事務所は、浅草橋のはずだった。
 よくよくお話をうかがうと、創業者の堤清二さんや西友の支配人だった上野光平さんや高丘季昭さんなど、西友や良品計画の草創期(流通産業研究所、のちのセゾン総研)の事情なども知っている。場所と時間を改めて、松井さんご本人も交えて座談を!
 奥様と雑談をしているうちに、予定より早めに松井さんご本人が登場。その引き継ぎの場で、松井さんの経営する目黒のレストラン「ラッセ」で、ご夫妻から5月連休明けに食事をごちそうがなることが決まった。わたしのほうは、懸案事項になっている秋田料理(門前仲町の男鹿半島で)で、来冬に返礼することにした。

 販売革新での対談の話は、来月号の特集記事で登場するので省略する。対談とは名ばかりで、ほとんど松井さんにしゃべっていただいた。とういうも、松井珠江さんのインタビューがあまりにもおもしろく、松井さんとの対談が始まる前に、私の興味のエネルギーが枯渇してしまったからだった。
 すいません、販売革新の楠瀬編集長さん。対談後の中華料理店での雑談で、小川先生が復活してしまったことを責めないでくださいね。いつものことなので。われながら、子供みたいだ。

 そろそろ出発の時間になる。左目の白内障オペのために、都営大江戸線赤羽橋の三田病院まで。
 ちなみに、松井珠江副社長は、しまむらの社外取締役でもある。なんという偶然だろう。元しまむら会長の藤原秀次郎さんは、良品計画で10年間社外取締役を務められた。そのことは、昨年4月号の「新潮45」に書かせていただいた。
 その返礼なのだろうか?人的なネットワークのメリーゴーランド。因果は巡る。