一昨日、左目の手術を無事に終えた。右目のときより、オペの時間は10分ほど長くなった。経過時間は30分。左目にも問題は発生しなかったようだが、手術中の先生たちのやり取りが患者さんの耳には筒抜けである。局部麻酔だからで、注射やオペの手順まで完全に聞こえてくる。
そもそも、血を見ると気を失いそうになる口だ。自慢ではないが、そのくらい気は弱いほうだ。育てられ方がまちがっていたのだろう。両親に文句を言っても始まらないが、超がつく意気地なしだ。
手術中はずっと、マーカーをしているほうの左瞼がテープで固定されている。突然の痛みを感じた患者が、急には動けないようにするためだ。目の手術には、突然の動作が危険だからだ。
小さな「自動車の形」をした顕微鏡の先っぽが、くっきりと白く台形に見えている。その脇から、レーザーメスが左右にちょろちょろ動いてくる。清潔なタオルでひざ掛けをしてくれてはいるが、「OP-B」と表札が掲げられていた手術室は、冷房が効いていてとにかく寒い。
余計なことを心配してしまう。おしっこが我慢できるだろうか?右目に続いて二回目の手術だから、一週間前よりは少しだけ余裕がある。不謹慎だが、他の患者さんも同じことを考えるのではないだろうか。
でも、このエアコンの効きは、たぶん患者さんに汗をかかせるといけないからだろう。恐怖心から逃れるために、なにごとも好意的に解釈するようになる。所詮、坊さんと医者にはかなわない。
部屋は静寂に包まれている。手術椅子で横になっている患者は、まな板の上の鯉だ。手術室には、つんとした薬剤の乾いた匂いが漂っている。顕微鏡のアームが動くと金属音と時間経過を示す「作業名+○○秒経過!ピー」が、ときどき顕微鏡の向こう側から響いてくる。コンピュータが英語で進行具合をチェックしている機械言葉だ。
「痛くなったら、我慢しないで言ってくださいね」と執刀医の小松眞理先生がやさしく話しかけてくれる。宇宙戦艦ヤマトに搭乗している沖田十三艦長の心境だ。看護師さんたちの肉声がえらく温かく感じられる。そうなのだが、先生が「痛くなったら」と言うということは、目ん球が飛び出るくらい、耐えきれないほど痛みが襲ってくることもあるのだろう。
そう疑ってしまうのは、手術前の説明で、”痛さの尺度”を説明されたからだ。1から10まで10段階。手術中に疼痛が到来した時に、先生に、「いまの痛みは”3”です!」とでも言うのだろうか。心の中で、シミュレーションをしてみる。
先週と同じで、オペが始まる前に左目の周りの皮膚を消毒してくれる。先週の右目のときは、腕に巻いていた血圧計が、140からはじまって170近くまで上昇したらしい。白内障の手術は、眼圧を高める薬を投与して始める。それでなくとも緊張気味であがり症なのに。
前回、右目のオペが終わって車いすに乗り換えるときに、付き添いの看護師さんがぽろっと言った。本人は深く考えずにいつもの調子で話したのだろうが、「血圧が上がってちょっと危ない感じが」と。こわーい。何気ない一言が、本日も、まな板に乗っている赤目の”うさこさん”の心理に微妙に影を落としている。
手術が始まった。一瞬の緊張で、毛布の下から椅子の手すりをまさぐる。と、麻酔液が瞼の上から降りてきて、静かに投入された。そのあとは、冷たい消毒薬やらが水晶体に流れ込んでくる。どこかの段階で、レーザーのメスで角膜に穴が開けたはずだ。麻酔が効いているので、まったく痛みは感じない。
この光景がえらく不思議なのだ。井戸の奥底から、天井でプールの水が流れているのを眺めているようだ。生理食塩水のようなものが水晶体の中に侵入してくる。噴射の圧力で、白濁している汚れたゲル状の液体を外に追い出そうとしている(らしい)。水晶体をきれいに掃除してから、新しい人工レンズに入れ替えるのだと説明を受けていた。
何をしているのか見当がつかないと、患者が不安を感じるからだろう。手術の説明書を読んでみたが、いまいちよくわからない。理解することを途中であきらめた。アバウトなところがわかっていればいいだろう。自分で手術するわけではない。その時点で腹をくくって、じたばたすることはやめにした。
コンピュータが制御している機械音がやんだ。人工レンズが水晶体内に装着されたようで、ほどなくしてレーザーで傷がふさがった。やれやれである。わたしの水晶体は、周囲の膜の支えが弱いので、濁った液体を吐き出すのに手間取ったらしい。先生がていねいに説明してくれているが、たいていの患者さんにはちんぷんかんぷんだろうな。わたしも推測しているだけだ。正確なことはわからない。
手術は午後2時にはじまり、3時には10階の特別室に戻された。帰りも、車椅子で部屋まで運んでもらった。
病室のベッドに30分だけ横になったら、立ち上がって歩いてよいという。左の窓を見ると、朝方からスマホで写真を連続撮影していた東京タワーが、くっきり鮮やかに毅然と立っている。雲一つない青空だ。一週間前の曇天とはえらい違いだ。
1時間半してから、小松先生の診察に呼ばれた。今回はふらふらしているので、4階の眼科診療まで車いすで運んでもらった。ガーゼを取り去ると、左の視界にも期待通りのブルーが広がった。右目のときのような驚きではなかった。今度はそれよりも安堵感が先にたった。
そう、左も無事だった。心の中でつぶやいた。そして、そっと神様に感謝した。五体満足で生きていられることへの感謝の気持ちを、この先も大切にしなくては。
それから、一晩中、窓のカーテンを開け放して、東京タワーを三時間おきに写真に撮った。この感動を記録に残しておくためである。夜中から朝方にかけて撮影した「東京タワー七変化」の写真を、友人の何人かには送信した。とくに、4時半すぎの「消灯前のタワー」の写真は稀有だろう。
翌朝の診察を終えて、10時半前に10階の病室を出た。小松先生の説明は、「小川さん、心配ないですよ」だった。そういえば、夜の9時すぎに突然、先生が病室にわざわざやってきてくれた。「もうおやすみですか?」とドアをたたいて、入り口のカーテンをくぐった実直そうな顔が、ベッド脇にすくっと立っていた。
手術の時間が想定より長引いたので、わたしが不安を感じていることを察してくれたのだろう。さすがに日本で10指に入る名医だけのことはある。医療とは、手術や治療など身体的な対応だけがすべてではない。心理的な支援が大切なことをよくご存じなのだ。突然の訪問はわずか5分の会話で終わった。わたしはといえば、そのあと9時半にはコトンと眠りに落ちた。安堵したからである。
翌朝は5時前に目が覚めた。左目はまだガーゼでふさがっていたが、東京タワーが5時に消灯するところからは、朝日が射して美しい朝焼けが来るのを窓際で待った。薄暗いビル街が微弱な日光を浴びて、しだいにライトブルーに変わっていく。その様子を眺めながら、つくづく幸運を感じた。
ようこそ、左目さんも、驚きのブルーの新世界へ。これにて、両目とも開眼です!