ギャルヘラが卒業してアネヘラになり、結婚したママヘラが子育てを終えていまはババヘラになった

 真夏に秋田の二級国道を走っていると、ビーチパラソルの下でアイスシャーベットを売っている妙齢のおばさんを見かける。秋田名物のババヘラ(アイス)だ。ババヘラを発明したのは、進藤冷菓という会社である。この頃は、全国のイベントにも呼ばれるらしい。販売方法がちょっと変わっていておもしろい。



 いまやウィキペディアに載るほど有名になったババヘラ(アイス)は、わたしたち秋田人にとっては子供のころから親しんできた夏も風物詩だ。もともとは、夏の一時期の限定販売だったのだが、いまは5月の連休からババヘラの販売は始まる。それだけ人気なのだろう。
 ババヘラを知らない人のために、ウィキペディアの最初の部分を引用する。

 「ババヘラ」は、主に秋田県で露天販売されている氷菓の一種、およびその販売形態。「ババヘラアイス」とも呼ばれ、また一部地域では「ババベラ」とも発音される。販売員を務める中年以上の女性(おばさん)が、金属製の「ヘラ」を用いてコーンへ盛りつけることによる呼び名である。幹線道路そばやイベントの会場近くでしばしば見られる。降雪期を除いた春から秋にかけて販売されるが、一般には夏場に多く出店され、夏の秋田の風物詩となっている(ウィキペディアより)。

 第二次大戦後(1950年代)にババヘラを発案したのは、進藤冷菓(2002年商標登録済み)と言われているが、本当のところは不明。「パラソル」も商標登録されている(こちらは、児玉冷菓による)。
 おもしろいのは、販売員のおばさんたち(ババヘラ)の送迎方法と販売の仕方である。朝7時ごろに、おばさんたち数人を乗せた専用の送迎車が、幹線道路脇の駐車スペースなどへ順番にババたちを落していく。ババヘラアイスの販売は夕方4~5時まで。終了後に、専用車はおばさんたちを逆順で撤収していく。
 むかしは、一級国道の7号線沿いでパラソルをよく見かけたが、いまは三ケタ国道沿いが一般的になっている。国道7号線沿いは車の通りが激しいので、事故などもあって危なくなったかららしい。
 
 先週(7月11日~12日)、秋田森のテラス(@北秋田市)を訪問した際、二年ぶりでババヘラアイスを食した。秋田滞在中は、二日連続でババヘラを食べてしまった。ひさしぶりで、とてもおいしかった。
 森のテラスの入り口付近の駐車場でアイスを販売しているおばさんは、どうやら名人らしかった。なぜなら、ヘラを使ってコーンにアイスを盛る姿が実に巧みで、いままで見たババヘラのなかでいちばん美しかったからだ。
 このおばさんは、定番の「頬かむり」(農家の奥さんの副業からはじまったとされている)をしていない。ブランド物らしき茶色の長袖シャツを着て、ばっちし化粧もしている。さぞかし若いころは、とびっきりの秋田美人だったのだろう。盛り方の技術が巧みなうえに、会話もおもしろかった。

 注文を受けている間に、はじめてババヘラを食べることになった小学校3年生の女の子に向かって、標準語っぽい(笑)秋田弁でババヘラの由来を説明している。
 「中に入っているのは二色で、バナナとイチゴ味なんだよ」とか、「きれいにできるでしょ!」と、ニコニコ顔で女の子に話しかけている。
 途中で分かったことだが、驚いたことに、この美人のおばさんは、ババヘラアイスの経営者だった。会社名は、千釜冷菓!。駐車場に停めてあるバンを、自分で運転してきていた。自分がマネージャーだから、雇っているババたちは途中の駐車場に落してきている。
 最後に到達したのが、森のテラスの入り口の販売所だった。だから、プレーイングマネージャーの彼女がパラソルをたたみ始める時間は、他のババヘラたちよりもちょっとばかし早い。夕方の4時には、配下の販売員のババと販売機材を回収するために、朝の順路とは逆に運転していくのだそうだ。

 「高校生のころに、アルバイトで”ギャルヘラ”をはじめたわけ」とうれしそうに話している。
 卒業したギャルヘラは、アネヘラ(姉ヘラ)になり、結婚してママヘラになった。そして、いまはババヘラになったわけだ。それもただのババヘラではなく、雇い人を何人か抱えている経営者のババヘラだ。しかも、ババヘラアイスの盛りの名人になった。彼女の人生は充実している。
 秋田の女性は、なんとも元気だ。実にたくましい。日本の田舎も捨てたものではない。
 そうそう、ブログ読者のみなさんへ。秋田に旅行したら、ぜひともババヘラを楽しんでみてください。