長いものには巻かれたくない!荒井好子さんが藤田屋でうな丼を注文しなかったわけ

 フランスから荒井さんがやってきた。今年はJFMAの欧州ツアーがなかったので、二年ぶりの拝顔になる。二か月ほど前から下町の日本料理店、藤田屋での会食が決まっていた。松島専務、野口さん、わたしの三人で、荒井さんをお迎えする手筈を整えていた。

 

 当初は、午後7時に会食スタートの予定だった。ところが、夕方4時からのミーティングがキャンセルになった。会食まで時間が空いてしまったので、四万十ウラルトラマラソンから4日ぶりに、スカイツリーに寄り隅田川テラスの縁を走ってきた。

 時間に余裕がありすぎる。野口(弥生)さんに電話して、会食のスタート時刻を早めることにした。松島さん情報だと、荒井さんはJFMAの事務所に寄るだけで、直に藤田屋に向かってもよいとのこと。藤田屋の和子ママと早期開始の交渉することにした。

 しかし、店は5時まで開かない。走りのついでに藤田屋に立ち寄ることにした。午後4時40分。マンションを出て藤田屋へ。しかし、清澄通り側の窓は真っ暗。やはり店は開いていない。

 

 午後5時15分、ジョギングの帰りに寄ってみた。藤田屋の窓には、今度は明かりがともっていた。常連客がふたり、元町内会長の野口さんの定席、窓際の二人席に座っていた。

 わたしはもっと早くしてほしかったが、和子ママの意向で、スタート時間を一時間だけ早めることにした。「シャワーを浴びたりしているうちに、そんな時間になりますよ」。ママさんの言う通りで、部屋の片づけをしているうちに、6時10分前になってしまった。年寄りの判断は正しいものだ。わたしの性格や行動も読まれている。

 「電車に乗りました。そろそろ(森下に)着きます」。野口さんから携帯にメールが入った。

 

 「藤田屋のセンターテーブル(6人掛け)」をずいぶん前から指定予約していた。一か月くらい前には、ママさんから「21日、先生は何人でいらっしゃるのでしょうか?」と秘書の内藤にも確認の電話があったらしい。

 夕方6時ちょうど。3人はわたしにより早く藤田屋に到着していた。ひさしぶりにお会いした荒井さん、髪にかなり白いものが目立ってきている。でも、元気さはいつもと変わらない。

 わたしは、あいさつのあと早々に、最近の仕事をまとめたレジュメと資料(日経MJの連載)を荒井さんに手渡した。そして、フランスのオーガニック市場の動向を荒井さんから聞いた。欧州は、予想通りに持続可能な社会を目指している。

 「日本も、、、」とわたしからは、今月発売の「松尾×小川対談」のコピーを渡した。『農業経営者』(2016年10月号)に掲載された2ページ半の対談だ。このテーマでは、松島さんと野口さんを置いてきぼりにして、荒井×おがわで、30分は盛り上がった。

 

 そうそう、藤田屋での食事の内容を書くのを忘れていた。はじめは、アサヒスーパードライで乾杯。荒井さんと野口さんは飲めないので、ウーロン茶で「しゃる・うい・フラワー!」。

 ネギまぐろとやまかけからの選択。みなで、しらす大根と茹でアスパラ(各2)。お豆腐の暖かい鍋。アジの酢の物。松島さんとわたしは、ビールは大瓶一本だけにして、早めに焼酎(いいちこ)に転向した。

 「ここはキリンを置いてないから、もう焼酎に行きましょうよ!」とわたしからの提案。わたしも松島さんもロックで。和子ママがすかさ、新鮮なすだちを持ってきてくれた。わたしたちは、焼酎にまだ青いままで半分で輪切りにされたすだちを入れて飲み始めた。

 

 いつものことで、飲みのペースが速すぎた。すだちが入ったロックのグラスをはじいて、ひっくり返してしまう。すだちのタネがテーブルの全面に広がった。おしぼりですばやく吸い取ったのだが、テーブルに広がったタネの模様がきれいだった。

 お料理について、忘れていたことがひとつ。お店から、お通しがわりに、うなぎの肝(醤油で味付け)がサービスで出てきていた。お酒が飲めないふたりは、うなぎの肝が苦手のようで、わたしが三人分を食してしまった。

 焼酎にもよく合う肴だ。ちょっと苦みがきついかもしれないが。このときは、単純に、「荒井さんは、うなぎの肝が苦手なんだ」と思ったのだが。ある真実が、うな丼を注文する段になって判明した。

 

 パリ在住の荒井好子さんのことを、読者に紹介しておく。わたしが荒井さんと初めてコンタクトを持ったのは、JFMAをはじめた直後の2000年か2001年ごろ。「日本に、お花やテーブルセッティングなどのフランス文化を紹介する協会を作りたい」と日本人とふたりで研究室を訪問してくださった。

 この構想は結局は実現することはなかったが、その後、わたしたちが欧州ツアーで訪問するたびに、「メゾン・エ・オブジェ」(パリ郊外で年2回開催されデザイン展)などで、パリツアーで案内をお願いしてきた。パリのお花屋さんにも詳しいので、パリの街歩きも一緒にしていただくことが多かった。

 ご主人はフランス人で、35年ほど前(1980年代)に日本にも留学していたことがある。プロの画家。かなり左翼的な思想傾向を持った荒井さんと、民族派で国粋主義者の松島さんとは、政治的には犬猿の仲である。もちろん、それを除けば、傍目のふたりは「友愛」を感じる間柄、よき友人仲間である。

 

 8時半を過ぎたころ、最後の食事になった。お客さんを連れていったら、藤田屋ではうな丼を注文してお開きにする。これは儀式である。

 ところが、驚いたことに、荒井さんは鰻丼をパスしてしまった。鰻屋に入って、うなぎを食べないで帰る最初の客にわたしは遭遇してしまった。いわく、「長いものには巻かれたくない」と一言。その代わりに、荒井さんはアジフライ定食をオーダーした。

 そして、嬉々として、フランス人のご主人や息子さんがいかに和食フリークであるかを説明しはじめた。こんなにおいしいウナギが、フランス人が好む和食メニューのリストには含まれていないのだった。

 「フランスでは、いま和食がとても人気なんですよ」と荒井さん。そういいながら、熱々でテーブルに登場したアジフライをおいしそうに完食してしまった。

 アジフライは、フランス人が発明したコロッケをベースにした魚料理だった?しかも、平べったくて一枚一枚が独立している。自由の国フランスで、そのヘルシーさをフランス人が好みそうではある。

 

 お茶を頼んで、うな丼とアジフライ定食の会はお開きになった。大いに愉快な出会いとさようなら。

 都営大江戸線沿線にある友人宅に寄宿しているという荒井さんと、松島さんと野口さんを森下駅に見送った。このごろ、わたしは友人との会合で、なるべく最寄り駅まで送客することにしている。

 再会の機会はあるのだろうが、どちらかが思いもかけずこの世におさらばすることになるかやもしれない。わたしたちは、そんな年を重ねてきた。だから、意識的にていねいに食事と会話を楽しんいる。

 荒井さんは、本日、神楽坂のレストランで、花以外では初めての講演をするらしい。「わが家でガーデニング?」(家庭菜園での自給自足)。荒井さんを見ていると、革命闘志だった重信房子のことを思い出す。もっとも、荒井さんのほうが、圧倒的にスリムで知的な雰囲気がある。だから、いつまでもお元気で。

 

 

 <補足> 家族Lineにてコロッケ談義

 【わんすけ】=わたし、【まふ】=かみさん、【ゆうくん】由くん(長男、シェフ)

 この話を家族Lineにあげたら、かみさんとシェフの息子が、コロッケとフランス料理について、勝手に議論を始めた。

 

【わんすけ】 いまブログに書いてますが、コロッケってフランス人の発明ではない?

 だから、お魚のフライはフランス人も好みではないかな。

【まふ】 マギーさんにサーモンのコロッケを教わった時に、フレンチと言われましたよ。

 三角柱がたの五面をフライパンで焼いていくもの。小判形でも丸形でもなく、三角柱がた。
 *注:「マギーさん」とは、カリフォルニア大学の元秘書。かみさんが米国南部のケイジャン料理を教わっていた。
   ケイジャンは、フランスの流れをくむ南部黒人料理。
【ゆうくん】 コロッケの発祥はオランダと聞いたような。クロケッタ。
【まふ】 ?くろけっと。オランダなのかな?
 アーティチョークwithホランディソース、というのもあったわ
【ゆうくん】 オランデーズ=オランダ風 アングレーズ=イギリス風
【ゆうくん】 これらはフランス料理です。フランス人が勝手につけた〇〇風の呼称。
 たとえば、ポム・アングレーズ(ジャガイモのイギリス風)はジャガイモを茹でただけの料理だけど、
 フランス人がイギリスの食文化を小馬鹿にしてつけた料理名です。
 イギリスは茹でる程度の調理しかしないだろうと。
【わんすけ】 すごい!二人の料理人が意見を戦わせてる。レベル高いなあ
【まふ】 ほー
 たしかにイギリスは紅茶とスコーンくらいしか無いものね。オランダもあまり食には構わないイメージだなぁ 
【わんすけ】 荒井さんのアジフライ定食、写真を載せるのを忘れてたわ。