文章を書くための環境

 このごろは、JFMAの松島さんのように、毎日はブログを書くことがなくなった。目の前の仕事を片付けるのが、やっとだからである。書くことは好きなのだが、モチベーションの低下が著しい。体力的なパワーも失ってきている。マラソンを走るのと同じで、2日間続けて書きつづけることが困難になりつつある。

 

 根本的な原因は、題材の不足とモチベーションの低下である。何かを文字で表現したいと思う根っこのところには、誰かに何かを伝えたいと思う熱意があるからだ。伝えるべき相手も、話したいと思うテーマも、わたしに時間ができるまで、近くで待ってくれていたものだ。それがいまは、遠くに去っていくような感覚に襲われる。

 インスタグラムとのトレードオフもあるように思う。日常の風景を写真で撮影して、短いコメントをつけるようになったのは、3年ほど前からである。葛飾の新しい家に移ってきてからである。クマネズミの襲来からは逃れられたが、この家に移住してからは、年中PCの不具合に見舞われている。

 そうか!いまそのことに気づいた。ブログを書く頻度が下がったのは、体力とモチベーションの問題だとばかり思っていた。そうでもなかったのだ。都内移住と同時に新規に購入したDELLコンピュータが、実に頻繁にトラブルに見舞われているからだ。先週も、サポートセンターの遠隔支援を受けて、壊れてしまったWINDOWSを再度インストールした。

 PCのトラブルは、このマシーンになってから半端でなく起こっている。機械のトラブルで、書くことが面倒臭くなってしまった。内的なモチベーションに原因があるのではなく、心地よく文章を書く環境が劣化したからだった。

 

 客観的に分析してみれば、文章を書くためのスタミナは基本的には衰えていないらしい。対象となる題材が消えてしまったわけでもない。環境が元に戻れば、またブログや連載で文章を書くモチベーションは復活するだろう。そうか、そうだったのだと確信が持てる。

 書くという行為は時間との戦いである。この戦いに勝つには、2種類の支援が必要である。仕事を完遂するためには、PCや仕事机のような機能的な環境が、心地よく整備されていること。もうひとつは、秘書やアシスタントのような補助的なサービスが充実していること。わたしは、後者のソフトは非常に恵まれてきた。

 文章を積み重ねて連載や書籍の形で残していくには、人的なネットワークも大切になる。不足する知識を補うのは、わからなくなったときに参照できる、外部にある知恵である。人間に体化されたる外部の情報資産がうまく活用できるかどうかが、その人の知的生産性に影響を与える。

 

 運が良かったのは、わたしは半世紀の間、大学教授という立場にあった。大学院時代からでは50年間、人的なネットワーク環境に恵まれてきたのである。学術論文にしろ、雑誌の連載記事にせよ、このブログにしても、自分一人で書けているわけではない。ネットワークハブにいられるおかげで仕事ができているのである。

 昨日も、日本DIY・ホームセンター協会のコラム記事を書いていた。2021年夏号のテーマは、「ホームセンターのDX戦略」である。カインズの土屋会長にお願いして、先月の中旬には、DX戦略の推進役である池照直樹デジタル戦略本部長にインタビューをお願いした。土屋さんや池照さんは、雑誌でDX戦略に関連して何度もインタビューを受けている。

 商業誌の記者なら、誰でもDXの記事が書けるようにも思う。しかし、経営企画室の中島マネージャーから送られてきた10篇近くの資料(雑誌記事のファイル)を読んだところ、商業誌の記事には、DXの実態しか書かれていなかった。インタビューそのものは正確に記述されていたが、経営理念や戦略構築の背景にある事実の解釈については、ほとんど分析がなされていなかった。

 たしかに研究者の出る幕はある。そう確信を持てたので、いつもより時間をかけて原稿を完成させた。わがほうのアドバンテージは、厚い人脈である。DIY協会に原稿を提出したあと、カインズ(経営企画室や広報部)にチェックを入れてもらえることだ。中島さんにメールして、二日後に戻しをいただくことになった。

 

 いまさらながらつくづく思う。良い仕事ができるには、良好な物理的な環境と人脈が必要なこと。知的なネットワークに支えられて、知的な資産が生み出されてくる。本日は七夕の日。短冊に手書きした願いごとが、叶う日だ。

 梅雨時で、あいにくの雨である。七夕様が降臨することはないかもしれないが、一つだけお願いをしておこう。先週、生涯48冊目本が刊行された。あと2冊で50冊目に到達する。その前に完遂すべき49冊目に、無事に着手できることを祈っている。