『風立ちぬ』の映画評(2013年8月26日)に、この数日間アクセスが殺到しています

 かなり前に書いた【映画評】:スタジオジブリ(宮崎駿監督)『風立ちぬ』「わたしが宮崎作品に感じた”戸惑い”の正体」(★★★★)にアクセスが増えています。どなたがどのような観点から、このブログ記事を見ているのだろうか?



 不思議な感じでデータを見ています。三日間で約370アクセス。その後収まった感じはありますが、それでも今日現在でも少なくない方が、この記事を読みに来ています。
 わたしのコメントは、宮崎駿監督には、かなりきびしい内容になっています。「ウィキペディア」をよく読んでみてください。わたしも先ほど改めて確認しました。宮崎監督の発言(左翼的な思想表出や行動)には、一貫性がありせん。優秀な芸術家ではあっても、一流の思想家とはとても思えないところがあります。
 たとえば、他のアーティスト(手塚治虫やディズニー作品)についての評価は、時代ごとに変わっています。あるときは、激しくけなしたと思ったら、別のタイミングでは、その同じ作者や作品を手放しでほめています(笑)。また、宮崎さんの他者への態度については、えらく嫉妬心が強い方なのでは?と思われる節があります。
 ちなみに、漫画家の手塚治虫さんも、きわめて嫉妬心が強い方だったということを、放送局のディレクターから伺ったことがあります。

 わたし自身は、ご本人と話をしたことはありません。ただし、宮崎監督をインタビューするために仕事場をみたメディア関係者のかたから、そのような印象を持ったという話を伺ったことがあります。天才的なアーティストとは、やはりそんなものなのでしょうか?
 どこか、宮崎監督が『風立ちぬ』で描いた堀越二郎氏(ゼロ戦の設計者)の、世の中を超越したような冷徹さやそっけなさを彷彿とさせるものを感じます。