いつのころからか、法政大学のわがぜミでは、クラス授業(演習)を始める前に、学生たちが「CREDO=自らが信じるところ」を唱和するようになった。2003年頃に、企業とのコラボレーション活動(フィールドワーク)がはじまったころからだったと思う。
市場調査や報告会で企業の方に何度か失礼なことがあって、それを改善するために導入したシステムだった。そのように記憶している。どうやら、2003年3月、エキュート大宮の開業(フィールドワーク)からだったような気がしている(*注釈:「クレド」は、語源的には、米国のジョンソン&ジョンソンに起源がある)。
在籍している24人(男女半々)のうち、順繰りに担当になったひとりが、「小川ゼミ7か条」(後述)を一行ずつ読み上げていく。同じフレーズを、同期の23人がオウム返しに繰り返す行為である。製造業の工場やオフィスなどで見かける、朝礼で経営理念などを唱和するタイプのものである。
わたしが教室に入っていくと、まずは全員が起立する。「よろしくお願いします!」と全員であいさつを交わしてから、着席後に「7か条」の読み上げが始まる。具体的に紹介してみる。
<小川ゼミ7か条>(V2:2012.10.03)
わたしたち小川ゼミナール生は、礼節とユーモアを併せ持ち、広い視野で自らが行動できる人間を目指します。
(1)わたしたちは、礼節をわきまえます(学生たち全員で:繰り返し)
(2)わたしたちは、感謝の気持ちを大切にします(繰り返し)。
(3)わたしたちは、オンとオフを切り替えます(繰り返し)
(4)わたしたちは、時間を厳守します(繰り返し)
(5)わたしたちは、現場主義に徹します(繰り返し)
(6)わたしたちは、目的意識を持ちます(繰り返し)
(7)わたしたちは、個性と協調性を大切にします(♪繰り返し)
わたしたちは、小川孔輔ゼミナール生であることを忘れません。
<この後、担当の学生が(1)~(7)の項目からひとつを選んで、自分の生活体験を引き合いに出しながら、コメントする時間が続く。数分間>
はじめて入ゼミしてきた当初の2年生は、“号令係”に促されて行われる「起立―礼―着席―唱和」の儀式にかなり戸惑っているように見える。だが、同じ行為を繰り返しているうちにしだいに慣れてくる。そのうち半年も経てば、この7箇条に照らして、自分の勉学や仕事の進行をチャックするようになる。習慣化は決して悪いことではない。
スポーツでも勉強でも絶対に必要なことがある。それは「形(フォーム)」を身に着けることである。バットのスイングでも、ランニングでも、柔道の技を磨く場合でも、「基本形」を作ることは意味があることだ。基本ができていないとスランプから脱しにくくなると言われる。また、迷った時には基本(形)に戻るとよい。
わたしは組織の運営でも、同じように「典型」(基準となるモデル)があると考えている。だから、ゼミの運営でも、年度計画を立てるために、きちんとした「スケジュール」を作成させている。ゼミ長など各係がやらなければならない標準的な作業マニュアルも準備させる。たとえば、企業を訪問するときやOBの先輩に電話やメールをするときの礼儀作法の基準も資料として先輩が残してくれている。
いまは家庭であいさつなどがうまく躾けられていないこともあって、「クレド」や「行動マニュアル」や「スケジュールリング」はかなり重宝がられているように思える。しかし、本当の意味でそのことのありがたみを知るのは、社会に出てからである。ただし、わたしのゼミ生は、卒業時点でその基本はできているはずである。
*なお、クレドやマニュアルは学生たちが自主的に作って、代々受け継いできたものである。その制作や維持に関して、わたしは一度も運営には介入したことがない。