長野県大町温泉郷「黒部観光ホテル」にベースを構えて6日目になる。10年ぶりでホノルルマラソンに参加することを決め、その走り込みのために一週間の完全休暇をとった。5日間(一日は完全休養)で、過達成とも思える100キロを走破した。
毎日のコースは、ホテルの前から鹿島槍ヶ岳方面に向かって、爺ヶ岳スキー場ゲレンデ前で折り返す往復10キロコースである。朝6時ごろ、左に立山連峰を見て緩やかな坂を昇る。上りは27~28分、降りは22~23分でホテルに戻ってくる。コースに慣れてきて、記録が徐々に改善されている。標高800メートルの空気の薄さも気にならなくなってきた。
ホテルにはネット環境が整備されていない。PC関連の仕事をしなくてよい。幸いなことだ。松本微生物研究所の岡田千之助常務の紹介なので、宿泊代は格安である。フロントの対応も食事の内容もとても良い。お風呂は広くて清潔である。取り立てて特徴があるわけではないが、無色透明で泉質も良い。
ホテルは9月3日のみ、団体予約が入っていた。空き部屋がない日曜日だけ、車で20分離れたところにある葛温泉の「仙人閣」に予約を入れた。その前日に、葛温泉の真下にある大町ダムまで、約8キロの山道を大町温泉郷から昇っていった。大町ダムに届く斜面の急な上りがきつかった。葛温泉の仙人閣には、チェックインの前に着いてしまった。時間をもてあましたので、上流にある七倉ダム(10分先)と高瀬ダム(25分先)を見物に行くことにした。フロントで偶然に入手した観光マップ一枚、例によって、行き当たりばったりのドライブである。月曜日の朝に、高瀬ダムまで走るつもりでいたので、その下見のつもりでもあった。
北アルプスの麓の深山では、森の斜面の傾斜が相当にきつい。七倉ダムまではわずかな距離のはずだが、暗くて長いトンネルがいくつも続く。一般車両は、七倉ダムの駐車場の先へは進入禁止になる。さらに上流の高瀬ダムには、「特定タクシー」を使って行くしかない。東電のゲートの管理人に聞くと、車で15分、料金は1900円くらいとのこと。ランニングシューズに履き替えて、高瀬ダムまで走っていくことも考えた。歩いて片道一時間半である、走れば30分くらいだろう。しかし、ロックフィル・ダムの急斜面を、箱根駅伝の山登りのように187メートル一挙に昇っていかなかればならない。山梨学院大学が夏合宿で練習に使っているコースの写真を見せられた。その瞬間、走って行くことを断念した。前日の大町ダムで、山登りには懲りていたからである。
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「黒部ダムのほうが有名ですよね。石原裕次郎の作品で映画にもなりましたし、今日も観光客、多かったでしょう。黒部はアーチ式ですね。完成までに約300人の方が犠牲になりました。このダムは、ロックフィル式といっても石を積み上げる方式です。資材が運びにくい場所に向いているのです。工事の犠牲者は13人でした」。
行きの運転手さんは、立て板に水のごとく、ダムの観光案内を始めた。実は、彼は山菜採りが趣味であった。そのことは、翌日、同じコースを高瀬ダムに運んでくれた別のタクシー運転手さんから聞いた。タクシー仲間は別の会社であっても、お互いにどんな趣味を持っているかを知っている。村社会である。
高瀬ダムは、昭和49年から工事をはじめて7年の歳月をかけて完成した。いまでも首都圏3県(東京、埼玉、神奈川)の電力需要をほぼこれだけでまかなっている。つい最近までは、日本有数の規模を誇っていた揚水式のダムである。
揚水式のダムは、上流の高瀬ダムと下流の七倉ダムが対になっている。電力需要が少ない夜間に、余った電力で七倉ダムの水を高瀬ダムにくみ上げる。夜間に揚水した水を放流し、唐沢岳の地下に設置された大型タービンを回す。高瀬ダムまでのわずか15分で、運転手さんから仕入れたネタである。
高瀬ダムまでは、一本道である。たくさんのダンプカーとすれ違う。ダムの下まできたとき、ヘルメットを被ってハンドトーキーを持ったおじさんにタクシーが制止された。ダムの急斜面を、中型ダンプが10台ほど連らなってくの字に降りてくる。下から見上げていると、ごつごつした岩を積み上げたロックフィルダムの斜面は、日光いろは坂のようだ。曲がりくねったダムの斜面では、大きな車はすれちがえないのだ。
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七倉ダムから上流では、携帯がすでに通じなくなっていた。高瀬ダムの堤防の上で、タクシーが二台、客待ちをしている。運転手さんによると、立山連峰や北アルプスから下山してくる登山客を待っているとのこと。タクシー会社の無線も通じないので、お互いすれ違うときに地声で情報を交換している。登山道を歩いて見てきたように、タクシーの運転手さん同士がアナログ情報を交している。
「湯俣温泉の小屋にお客さんふたり。お風呂に入ってから、あと2時間ほどで戻ってくるよ」
東電のゲート前では、わたしのようにふらっと遊びに来た人間以外は、つまり登山客であれば、ひとりひとりゲートで入山を届け出ることになっているらしい。わたしが湯俣温泉までクロスカントリー走を試みた翌日は、七倉ダムのゲートの前でタクシーの運転手さんに、「ひとり」と指を一本立てるよう申し渡された。登山客の仲間に入れられたわけである。
許可を得ている走っているタクシー会社は2社。わたしが最初の日に行き帰りに乗ったのは、「第一タクシー」のほうであった。両社最大5台ずつが、七倉ダムから上流での営業を許されている。夏の観光・登山シーズンだけは、工事用ダンプカーの数を減らして、例外的に10台ずつが入山を許される。なぜタクシーの台数に規制があるのか?不思議に思ったので、帰りのタクシーで尋ねてみた。砂利を満載にしたダンプカーが頻繁に通るので、たくさんのタクシーが配車できないのである。高瀬ダムに一般客を入れないのも、利権や環境保護が理由ではない。たくさんの車両は物理的に通せないのである。
宿でもらった地図を見た。高瀬ダムの堤防から先には左右にトンネルがある。左側の長いトンネルは、北アルプス槍ヶ岳の登山道に続いている。1キロくらいはありそうだ。右側のトンネルは、400メートルほどで短い。客待ちをしている運転手さんに、「どっちのほうに向かった良いですか?」とたずねてみた。「右のトンネルの先で、めずらしい風景が見られるよ。時間があるんだったら、歩いて行ってきたらいい」と右をすすめられた。
トンネルの中の空気はひんやりしている。女性の登山客グループを追い越して、暗い隧道を抜けると、出口が吊り橋になっている。視界が両側に大きく開ける。橋の下は、細かな花崗岩の土砂が堆積した枯れ沢になっている。吊り橋から見て右側の白緑色の斜面は、一部分が大きく崩落している。白い山肌が剥き出しにになっている。左側はダムの湖面である。夏場で水量が少ないせいか、砂でダム底が白く浮き上がっている。河床も伏流して水の流れが見えない。広くて乾いた川底をブルドーザーが動き回っている。掘り上げた砂をダンプカーに摘みあげると、5~10台で連なったダンプカー小隊は、数分で砂を満載してダムの斜面を降りていく。
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帰りのタクシーで、ダムを保有する東京電力がダンプカーを手配している事実を知らされた。崩落した山肌から砂が流れ出て、ダムの湖底を埋めていく。何も手を施さないと、ほんの数年で流入した土砂のために高瀬ダムの湖底が干上がってしまう。
「昭和49年にダム建設を計画したとき、地球温暖化の影響は考えていなかったのでしょうね。このごろ、この付近の気候も亜熱帯みたいなもんです。夏場は激しいスコールが滝のように降って、そりゃすごいのなんのって。鉄砲水が出るんですから」
鉄砲水で斜面は激しく削られていく。東京電力は、37台のダンプを導入して、山の崩落で埋まった湖底から花崗岩質の砂を運び上げている。ダンプ一台、一日に6~7往復。延べで200台。年間の予算は約2億円。一日の経費は100万円(200日稼働)。初期のダム建設費からみれば微々たるものではあるが、崩落は激しくなるばかりである。もはや環境破壊を止める術はない。
「花崗岩は脆いんで、建築資材としては特別な価値がつかないんだよね。いろいろ利用方法を考えているらしいだけど、別の場所に運んで捨てるだけだね。この先が心配だよね」
いまは67台で間に合っているが、さらに崩落が進めば、湖底が埋まるのを防ぐために、100台以上のダンプカーが必要になる。そして200台にもなれば、タクシーは登山客を乗せて走れなくなる。そうなれば、そもそもダンプカーに仕事がなくなっしまう可能性もある。つまりは、自然の力に人間が屈するときがいずれ来るかもしれないのである。
そのとき、二つのダムの湖底は干上がり、環境を破壊した後には修復不能な自然だけがとり残される。高度成長期の頃、わたしたち日本人は、美しい山がこれほど醜悪な風景に変わってしまうとは想像だにしなかったはずである。地球温暖化は誰の頭にもなかったことである。それを前提に、ダム造りに励んだのである。
わたしたちはいま、無邪気に自然に手を加えたことに対して、深刻なしっぺ返しを食らっている。田中康夫元長野県知事は、その意味では、正当な主張をしていたと考える。脱ダム宣言は、単なる財政と談合の問題ではない。自然環境の破壊が主役だったのである。