友人の死を悼む: 高畑先生が急逝していたこと

 年末が近づくと、喪中を知らせるはがきが届く。今年は、例年より多いように感じる。自分の周りが年老いてきた証拠だろう。わたしも昨年に義妹を失っている。そんな中、一昨日は高畑郁子さんから、ご主人(廣紀さん)が3月1日に亡くなったことを知らせるはがきが一葉。



 高畑さんご夫妻とは、1982年にカリフォルニア大学バークレイ校に留学中、同じアパートで暮らした仲間である。当時は、富山薬科大学にいらしたのだが、のちに仙台(東北薬科大学)に移籍して、この春に退官する予定だった。享年65歳。
 10年ほど前に、法政大学の同僚だった橋本寿朗さん(急逝)と同じで、大動脈剥離で病院に担ぎ込まれた。びっくりした。一命はとり止たものの、その後も健康には不安があったのだろう。東京で、バークレイ時代にアパートで一年間、同じアパートで暮らした日本人家族の同窓会(日大の黒川先生ご夫妻など)が水道橋で開かれたときも、高畑先生は顔を出されなかった。
 最後にお会いしたのは、東京ディズニーランドで、子供たちが集まって同窓会を開いたときだった。1980年代の後半だったのだろう。考えてみれば、その前に学会で富山にお邪魔したこともあるが、仙台ではお目にかかれていない。あれほど、何度も仙台に足を運んでいたはずなのにである。

 高倉健さんが逝き。それにしても、「昭和」がほんとうに終わりかけている。