10年ぶりで、レースを途中棄権した。まったく走れなくなったわけではない。5KMの区間で、標高差300Mをひたすら昇っていくコースだった。7.5KM地点で坂を昇り切ったところで、敢然と競走中止を決断。左膝痛のままで、復路の標高差300Mを下るのは危険だと考えたからだった。
そのまま、1キロ6分台で8KM地点で折り返した。これで、ほぼ昇りは終了することになる。ゆっくりならば、21K(ハーフ)の距離を完走できないわけではない。だが、9月21日にシドニーマラソンが控えている。当面の目標である。
ここで無理をしてしまうと、「世界10大マラソンレース」の完遂があやうくなる。昨年も、別の事情でオーストラリアは回避している。今度こそは、絶対にシドニーにたどり着かないと、旅行会社「たびっくす」の加藤千絵(担当者)には二年続けてキャンセルはできない。それは悪い。
というわけで、9.5KMで歩きはじめて、10KM地点で救護車にのせてもらった。ここは、自重である。
これまで、マラソンのリタイアは3度ある。マラソンを走り始めた1990年代の最後のころ(1998年冬)、「河口湖マラソン」(42K)の40K地点でタイムアウトになった。当時は、5時間が制限時間だった。
そのあとすぐに、「千歳国際マラソン」(42K)の30K地点で、あまりに暑くて走れなくなった。このときはスタミナ切れである。2000年ごろだったと思う。
それから一年とあけずに、「網走ハーフ」(現在は行われていない)で、これも暑さのために、ハーフの折り返し地点でタイムアウトになった。10.5Kの折り返し地点で、一時間の制限時間に間に合わなかった。
それから10年ほどは、マラソンで途中棄権することはなかった。順調にレースに臨んで来れたからだろう。しかし、今回は、とうとう自主退出の羽目になった。膝が痛いのでは、これはどうしようもない。このリタイア―に対しては、しかし、落伍感情はない。
悲壮になっているわけにいかないのは、この先も、いくつかマラソンの完走目標が設定されているからだ。その実現のためには、体を整えることが必要だ。膝を負傷したままで走り続けても、無理がたたって体を壊すだけだろう。
負けず嫌いの自分が、「まだ走れるのに、よくぞ途中で足を止められた」と思う。賢明な判断が、マラソン人生を長くさせることを祈るばかりだ。
「途中でやめる勇気」もときには必要だと思っている。それはなにも、マラソンだけに限ったことではないだろう。