マイナーなニュースで失礼します。母校の能代高校が、決勝戦で新田高校(愛媛県)に、2-1でサヨナラ勝ちしたそうです。ただいま、メルマガの号外ニュースで知らされました。硬式野球部は昔から強かったのですが、軟式はしばしば全国大会に出場しているみたいです。
能代市も過疎の町になりました。今年80歳になる母親からの電話は、「いつも景気が悪い、ひとがいなくなった(秋田弁ですから”ことばがにごります”)」の話ばかりです。
だから、全国大会優勝のニュースは、地元には、久しぶりに明るい話題提供だったのではないでしょうか。お隣の能代商業(来年度で閉校)が、十数年ぶりで甲子園に出場したのですが、今回は鹿児島実業に完敗でしたね。その鬱憤を晴らす意味でも、優勝はうれしいです。
これまで、母校の能代高校は、硬式野球では、3度全国大会に出場しています。大田監督という暴力教師がいて(笑)、いつも同級生が太田に殴られていました。バックネット裏で、「けつ(お尻の意味)バット」といって、がんがんやられてました。
わたしは、生徒会の執行部(影の会長)をやっていました。野球部がどんなに強くても、全国大会で活躍しようとも、あんな暴力教師どもは、絶対に存在を認めていませんでした。いやな学生だったと思います。高校時代は、1週間の停学をくらっています。
同級生で野球部のキャプテンだった山本君は、あの時代、花形でしたね。いまはどうしているのでしょうか。
わたしたちの3級上には、元阪急の投手、アンダースローのエース、山田久志がいました。素行も性格も悪かったそうです(従兄など、高校の同級生たちの評価)。だから、野球が上手だったのでしょうね。彼は、惜しくも、秋田県大会の決勝戦で敗れています。当時は、アンダースローではなかったと思います。
なぜ、母校が軟式野球で全国制覇を2度もしているのか、その理由はわかりません。
わたしたちがいたころは、軟式野球部なんであったのかな。それくらいの感じだったのですが、たぶん良い指導者に恵まれたのでしょう。
昭和57年(1982年)に優勝しているほか、28年間で準優勝を二度しています。わたしの記憶にないのは、その年に、わたしは日本にはいなかったからでした。日本海沖大地震があった年ではないだろうか。
いずれにしても、日本一になった後輩たち、とても偉いです。だから、能代高校の同窓会費は、いつも払っていますよ。わずかのお金ですが。
それに対して、東大(赤門会)の同窓会費は、いちども払ったことがないです。