学生たちがしばしばラジオ出演している「世田谷FM」の植村春香さんから、週末にメールがあった。別件での連絡だったのだが、文の最後に、「小川先生がブログに、キレイゴトぬきの農業論の書評を書かれたのを著者である本人が詠まれたようで大変喜んでおられました。世間は狭いですね」とあった。
植村さんから、久松(達央)さんの連絡先を教えてもらった。久松さんは、新潮新書で『キレイゴト抜きの農業論』を出したばかりある(わたしのブログ記事は、2013年9月29日)。出版からわずか一か月で、1.9万部が売れているらしい。ベストセラーの部類に入る売れ行きだ。
久松さんとは、電話とメールですぐに連絡が取れた。徳江さんと組んで、来月から法政大学ビジネススクールで始まる「フードマーケティング研究会」の講師として(1月か2月?)、久松さんに講演をお願いすることが接触の目的だった。15日と25日に久松さんが東京(神楽坂)に来ることが分かった。
研究室でお会いしてもよいのだが、昨日は、わたしのほうが終日休みなっていた。そもそもお願いするのに、こちらから先にお伺いするのが筋だろう。久松さんの農場がある茨城県土浦市は、常磐高速道路を利用すれば、わが家(千葉ニュータウン)からかなり近い。久松さんの農場も見てみたいので、こちらから伺うことにした。
天気もよさそうだった。ところが、カーナビでは農場の住所が地図上に出てこない。隣りにある特別養護老人ホームの電話番号を教えてもらった。予想通り、ちょうど一時間で到着した。午前11時ジャスト。すごく近かった。
到着早々に、久松農場の有機栽培の畑を見せてもらった。借地なので10数か所に畑が分散している。ブロッコリー、小松菜、キャベツ、白菜、大根、生落花生、人参、イタリア料理に使う西洋野菜類など、30種類の野菜を栽培している。同じ品種の野菜を少量ずつ(一畝ずつ)、毎週火曜日に播種する。写真で撮ると、ブロッコリー畑の高さが微妙に傾斜している。
多品種少量出荷のために取っている栽培戦略である。個人客が百数十件、業務用(都心のこだわりの料飲店)が30軒強。「時差式の種まき」にならざるを得ないのだが、リスク分散と出荷の平準化のためでもある。
出荷のほうも時差式で、月・木が料飲店向けの出荷(45%)、火・金が個人向けの配送(55%)。受注後に収穫する方式だから、注文を受けてから荷物が到着するまで、リードタイムが3日間もある。当日や翌日配達の時代に、料飲店に3日後に届く野菜だから、「料理技術が高いシェフが、こだわってメニューを組み立てられる店でないと買ってくれない」(久松さん)。
需要も料飲店向けの方が伸びてきている。レストランなどの業務用に特化してもよいが、こちらは売り上げが安定しないというマイナス面がある。個人向けは、基本的に「おまかせ」だから、出荷数量の調整が効く。
久松さんの有機野菜は、手がかかっている分、栽培のための原価も高い(約50%)。ただし、通常の野菜よりは、販売価格もそれなりに高く、利益がとれる値段に設定されている。
「レストランなどは、あまり値段にうるさくはない」(久松さん)。その結果、単位面積当たりの収穫額は、慣行農法の野菜に比べて約2倍になる。10アール当たりの出来高は50万円/年(通常の野菜栽培では、20~30万円/年)。原価率が約50%だから、約3ヘクタールの借地を持てば、経営的には十分に採算が取れるわけだ。
久松農園は、従業員1人(女性農場長の伏見さん、元日比谷花壇、ABCクッキングスタジオ講師)、研修生二人、パートさん2人で経営として成り立っている。久松さんの目先の悩みは、経理担当の女子を雇うかどうか?
久松さんとしても、「営業活動に自分の時間を振り向けたい」。「(本を書いて)農場の名前が有名になったのだし、この際は、業務用の需要をもっと増やした方がよいのでは?」(小川)。アドバイスは当然の方向だろう。
ただし、就農して15年でここまで到達するには、紆余曲折があった。
著書にも書かれていたが、帝人の輸出営業マンをやめて、自営農業に転職するときに両親に猛反対される。逃げるようにして、おじさんと伯母さんが住んでいる土浦に移住。たまたま、住む家(祖母の実家)があったことが幸いして、当面は食べる心配がない状態で研修生として1年間、有機農家で栽培技術を学ぶ。
その翌年に独立。40アールの近所の畑を借りて耕運機を購入する。最初は20種類の野菜の種をまくが、7品目が出荷できるまでには3年。ようやく土壌管理技術を覚えて黒字になるのは4年目のこと。夫婦で共働き(結婚時の約束)で、嫁さんは別の仕事(M大学の図書館司書)。7年目までは、ひとりで農作業にあたる。
収量が上がらないのは、自分の栽培のやり方が問題なのか(栽培体系、直販の出荷戦略)、それとも、単に時間の使い方が悪いのか(労働力不足)。悩んでいたときに、研修生が飛び込んでくる。結局、自分のやり方は間違っていなかったことが判明した。
転機は、『料理通信』に久松農園が紹介されたこと。レストランからの問い合わせが増えて、さらに口コミで増えて料飲店の需要が拡大していく。3.11もそのきっかけになった。この時点で、栽培面積が2.3ヘクタールに拡大。その後は、本に書かれていたような栽培体系を維持することで現在の久松農園がある。
ここまでの話を、一気に1時間ほど。畑で立ちっぱなしでいたら、本日、真っ黒に日焼けしてしまったことに気が付いた。残りは、中華やさんで辛い台湾ラーメンを食しながら、さらに1時間。トータルで3時間弱のインタビューになった。
これ以上、おじゃましていると、久松さんの貴重な農作業時間を奪ってしまう。2時半には退散することにした。
坂本社長の『俺のフレンチ、俺のイタリアン』(商業界)の本を贈ることを約束。きっと参考になるはずだ。久松さんのターゲットは、高原価率・こだわりのレストランだろう。
本は売れたが、それで終わりではない。理念(結果としての有機農業)を実現するには、実践で成功しないと意味がない。つぎの課題は、ビジネスモデルを横展開できるかどうか?栽培よりもマーケティング営業が課題だと感じた。そのように久松さんにも伝えて別れた。