2011年の冬、生涯かかっても達成できなくなりそうな、わたしの夢(ハーレム@柴又)を開陳します

 リサーチアシスタントの青木恭子と、昨日(2月24日)、フラワーバレンタインの事後調査の質問票を作成していた。机の横に積んである手紙の束を見ると、源泉徴収票が置いてあった。しまった!2010年度の確定申告が始まっている。


15年前に、千代田区の九段南に、アパート兼用の小さな事務所を借りて住み始めた。そのついでに、節税会社(有限会社、コシュ・バ・コシュ)を興した。小川個人に入ってくる収入は、そのころから劇的に減った。会社に収入を移管したからである。
 それ以降は、毎年の確定申告で、個人で源泉徴収された金額を取り戻すのに、たいした時間は費やさなくなった。せいぜいが100~200万円程度のものである。しかし、事務作業をやらなけば、追徴されてしまうので、その後も、確定申告だけはきちんと収入を処理している。
 自宅のPCで、いまでも一日がかりで済ませている。本日も、東京マラソンにエントリーしたおかげで時間ができた。これから、忘れかけていた2010年度の確定申告の処理をはじめることにする。

 3年前に、九段にあった個人事務所は撤収してしまった。いまは、千葉の自宅から通勤電車に揺られて大学に通っている。マラソンは走ってはいても、しだいに体力が衰えてきている。アルコールが入ったときは、電車を乗り過ごすことも増えた。
 先週は2回、先々週も2回、北総鉄道で電車を乗り過ごしてしまった。そのうちの一回は、終電で終点まで行って、駅員さんに起こされた。タクシー代がばかにならない。帰路は、総額4千円を超える。
 それと、「ああ、またやってしまった!」という精神的なダメージを受ける。それがいやだ。おわかりだろうか。この感覚が。

 本日のブログでは、本当のことを白状してしまう。
 個人事務所を撤収させたのは、JFMAやMPS(花業界の活動)にかなりの金額と努力を費やさねばならなくなったからである。執筆活動や講演からの収入は、あるにはあるが、基本的には、コンサルティング収入は放棄しないと、協会の活動が立ち行かなくなってしまうからである。
 もちろん、JFMAの活動に将来性がないということではない。それとは、まったく逆である。伸び盛りの組織によくありがちな状況である。わが組織はいま、よい意味で岐路に立たされている。課題を解決するために、多額の資金と多大な労力が必要なのである。
 日持ち保証販売、フラワーバレンタイン、IFEX、MPS。ここ数年間の努力が、ようやく実りつつある。ただし、祈願成就のためには、会長職にあるわたしの時間と努力を、その方向に集中的に向けなければならない。
 だから、コンサルティングのしごとには、余計な時間を割いていられない。大学院の校長さんのしごともある。それはよいことだと思っているが、個人の収入という点からは、かなり痛いことも事実である。

 花業界の一部の方たちからは、大きな誤解があるようだ。明言するが、JFMA(会長職、IFEX主催者)やMPS(創業者、取締役)からは、これまで、個人的には「ただの1円の報酬」も得たことはない。
 JFMAもMPSもIFEXもすべて、わたしにとっては、花産業を大きくするためのボランティア活動である。わたしは、会長ではあるが、ひとりの会員でもある。
 二万円の個人会費は、10年間、一度も休まずに払い続けている。アフタヌーンセミナー(2500円)やイブニングセミナー(5千円)も、わたしのポケットから支払っている。
 そのことを皆さんに話すと、目を疑うようだが、これらはすべて本当のことである。有名な政治家や財界人のように、私複を肥やしたことはない。これから先も、それはないだろう。

 話がそれてしまった、というわけで、自分たちの力だけで会を維持していくには限界がある。後継者を育てないと、協会のしごとは広がっていかない。
 いつか書いたように、だから、中途半端に仕事をしていても、自然には後継者は育たない。いまある組織をきちんと後継に譲ることができるように、大幅に組織をつくり直さないとならないだろう。
 恒常的に利益が出る体質に組織を変えないことには、わたしたち(現執行チーム)は、永遠に引退ができないのである。
 だから、この先の2年くらいが、「最終の戦い」になる。そうするつもりだ。少なくとも、国内とアジア市場での基盤は、後継のためにきちんと作ってから、引退していきたいと思う。

 個人として残念なのは、結局、大金持ちになれなかったことだ(笑い)。かみさんにも、3人のこどもたちにも、この点(お金を稼ぐ力)についてだけは、完全に見放されている。
 ときどき思い出す風景がある。1982年~84年に、カリフォルニア大学に留学していた。そのころ、いつか実現したいと思い描いていた夢があった。
 留学先のサンフランシスコ郊外には、立派な邸宅があった。それらのいくつかは、自宅にテニスコートとプールがあった。日本に帰ったら、赤尾敏氏(右翼の領袖で、白井市在住)のような、立派な邸宅に住んでみたかった。この夢は、夢のままで終わりそうだが、それはそれでかまわない。
 しかし、以下の夢物語は、いまもあきらめずに、思い続けていることである。

 友人や知人に、これまでも開陳したことがなかった話である。
 わたしの周囲からは、「ありえない!」「不謹慎!」「先生、女好き!」など、大ブーイングを浴びそうだったからである。
 不謹慎な夢とは、個人的にいろいろな理由があって、たまたま独身のままでいる女性たち(ただし、50歳を過ぎたきれいなお姉さんたちのみで、逆年齢制限あり!)を集めて、東京都葛飾区(なぜか「柴又」なのです!)に、ハーレムを作ることである。
 潮の流れが速いサンフランシスコ湾に浮かんでいた、海上の牢獄にちなんで、夢の中に出てくるそのハーレムを、わたしは、「アルカトラス」と呼んでいる。
 いつか、まちがって、これから出版する本が大ヒットしたり、花の事業が大成功したら、そのお金は、全額、アルカトラスに投じるつもりでいる。
 またまた、夢のような馬鹿みたいなほら話を吐露してしまった。

(注)
 文中の「アルカトラス」は、サンフランシスコ湾に浮かぶ小島(アルカトラズ島)のことである。わたしたちバークレイのアパートの住民たちは、最後のs「ズ」を濁らずに、「ス」と発音していた。ウイキペディアの解説をペーストする。

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アルカトラズ島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索 Alcatraz Island アルカトラズ島(アルカトラズとう、〔英〕Alcatraz Island)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州のサンフランシスコ湾内、サンフランシスコ市から2.4kmのところに浮かぶ、面積0.076km²の小島である。昔は灯台、軍事要塞、軍事監獄、そして1963年まで連邦刑務所として使用され、ザ・ロック、監獄島とも呼ばれている。1972年、国立レクリエーション地域となり、1976年及び1986年にランドマークの指定を受けた。 現在、この島は、アメリカ合衆国国立公園局が運営するゴールデンゲート国立レクリエーション地域の歴史地区となっており、一般観光客に公開されている。観光客は、サンフランシスコのフィッシャーマンズワーフ近くのピア33からフェリーで島に渡ることができる。 カモメを始めとした海鳥の生息地としても知られる。