同僚の榊原清則先生の研究室は、わたしの部屋の斜め向かいにある。顔を会わせるたびに、何度か標記のような感想を述べられるので、なんとなく不思議に思っていた。自分はふつうに学生に接しているつもりである。特別に多くの時間を学部生や院生のために充てている感覚はない。
榊原先生は、二年前に法政のIM研究科に、「経営戦略」の担当教授として着任された。わたしからすると、先生は実に丁寧に学生を指導しているように見える。共通の演習スペース(「ブース」と呼んでいる)があって、ブースの間に簡易な”仕切り”だけしかなので、お互いに学生を教えている姿を見てしまうことになる。
「(法政に移ってきて、)小川先生が学生指導に熱心なのに驚きました」と榊原先生から言われて、自分が他の先生たちからはそんふ風に見えているのだと、気が付くことになった。
よく考えてみると、数年前までは学生たちへの投入時間はそれほどではなかったかもしれない。というのは、一昨年の卒業生(水下くんや岩崎くん)が、昨年の卒業生4人に対する指導を見て、「とてもうらやましがっていた」ということを、卒業したばかりのゼミ生(石川さん)から聞いたからである。
たしかに、そうかもしれないのだ。今年の小川ゼミ卒業生のうち、ふたりについては、卒業後の働き口を紹介している。最終的な決め手は、本人の意思と実力によるものだが、きっかけを与えたのはわたしであったし、そもそも昔はそこまではしてやらなかった。
そして、残りの二人の院生についても、これから先に彼らが取り組む事業の相談に乗ってやっている。卒業したからといって、彼らへの対応は変わることはない。
昨日などは、他の先生のゼミ生が、わざわざ研究室に相談にきている。研究室のドアは、いつも開かれていて、どのゼミの学生でも自由に面談にやってくることができる。秘書の福尾にアポをいれておもらえばよいだけである。
昨日は、学部生たち(男女3人)が就活の相談にやってきた。いままでは、個別相談に乗ってあげることはなかった。あえて、それはやっていなかった。個別にアドバイスをしたり、就職先を世話してやると、不公平になると思っていたからである。
特別扱いでよいように見えるが、個々の学生の立場になると、わたしから紹介された就職先は断りにくくなるだろう。あとで複数社から内定をもらった場合、自分の意思を通す妨げになる。なので、これまでは、就活相談には応じていなかったのである。
昨日の就職相談は、春合宿(@山梨県北杜市)の時に、夜中2時まで飲んでいて、固まっている学生がいることを発見したからだった。もうすこし”ましな職業選択”があることに学生たちが気づいていないことがわかった。
自由に時間を取るから「いらっしゃいな」が事の発端である。結果はわからないが、必要であれば、今年に限っては、試行的に「就職相談所」を開設することにした。あくまでも、臨時相談所である。いつ閉鎖するかはわからない。
たぶん、わたしは、学生たちと一緒に居るのが好きなのだろう。それしか、これほど長い時間を学生の相談や指導に投入する理由は思い浮かばない。いや、でも、企業の人たちも同じかもしれない。
今週も残すところ、あと2日なのだが、小川研究室には面談のための行列ができている。わたしは、絶対に病気ができない。電車に遅延してもらっては困ることになる。来週のスケジュールを見ると、相談所の窓口にはいつも誰かが並んでいるのが常態だ。
もしかすると、わたしは単に”おせっかいな”人間なのかもしれない。
学生が持ち込んでくる「問題」や「課題」を一緒に考えることが楽しいのだ。持ち込み案件は、わたしにとっては、困った問題ではない。課題を解くのは、楽しい遊びのひとつなのだ。