坂本社長秘書の岩崎菜乙美さんから新刊が送られてきた。しばらく前から企画していた「俺の、」の本である。帯には、稲盛和夫さんの推薦文が寄せられている。「坂本さんは事業を創る天賦の才を持つ人。その「利他の心」は、集う人々の能力を高め業界の常識を覆していく。」
坂本さんは、2009年に飲食業で業態開発をするために「バリュークリエイト」を創業した。それからわずか3年で、「俺のイタリアン」「俺のフレンチ」など、低価格・高回転の立ち飲み業態で旋風を巻き起こしている。行列ができる「俺の」シリーズの店舗は、銀座地区だけで10店舗になる。
創業4年目にして、IPO(株式公開)を目前に控えている。順調にいけば、2014年10月に株式を公開したいと考えているらしい(最終章)。
経常利益がこのまま月2000万円をコンスタントに持続できれば、株式公開は可能である。一年遅れて創業から5年目でも、日本の飲食業界では創業から公開まで5年は最短の新記録である。
本書は、ブックオフで書店業界に革命を起こした坂本さんが、69歳で創業した13番目のビジネスの軌跡をつづった短い物語である。1勝10敗のあと、12番目に50歳で創業したのがブックオフコーポレーションだった。わたしは、1998年ごろにはじめてお会いしている。
ところが、2006年に「週刊文春」のスキャンダル報道がきっかけで、坂本さんはブックオフの会長職を辞任する事態に追い込まれる。そのショックから数年間立ち直れないまま、新規に始めた13番目の飲食業態では、二年間ほど鳴かず飛ばずの日々を過ごしていた。
ところが、森野常務(元料理人)と安田常務(元証券マン)に出会い、「立ち飲み業態」を発明することになる。そこからわずか1年で、ビジネスモデル(俺のシリーズ)が大ブレイクをはじめた。
一流のシェフが作るおいしい料理(フレンチ、イタリアン、和食)を、リーズナブルな価格で、ただし”高い”原価率で提供するのが「俺の」の特色である。この高原価率の理由を、坂本さんは、「じゃぶじゃぶ」と呼んでいる。これは、惜しげもなく良い食材をどんどん使って、ぜいたくな料理(結果として、美味しい!)を作ってもよいとシェフに認めてあげることの象徴的な表現である。
本書では、このビジネスモデルの競争優位性について理論的な裏付けが示されている。高い原価率(50~60%)であっても、低価格(一皿580円)でなおかつそれなりの利益が確保できる経営のやり方が解説されている。
ご本人はもちろん知っているだろうが、本書の中では明示的に書かれていない「俺の」の強みを4点ほど指摘しておくことにする。
1 優秀なシェフの「再活用事業モデル」
中古本を定価の10%で買い取り、磨きをかけて(再生して)半値で販売するのが「ブックオフ・モデル」ある。中古本の買取(リサイクル)と再生加工技術が、高粗利を獲得できる理由である。
「俺の」のビジネスモデルにも、似たような資源再利用の事業構造を見て取ることができる。表現上で誤解を生むかもしれないが、「俺の」(立ち飲み業態)は、優秀な料理人の人材リサイクル(再活用)モデルなのである。
腕はよくとも、料理の腕前を十全にふるうことができないシェフは多い。しかし、せっかく海外で修業経験を積んできた料理人でも、彼らが活躍する場所がない。その現状に対して、優秀なシェフたちが「活躍する場」を提供することがビジネスの根幹にはある。
才能が供給過剰なシェフ雇用市場を対象に、高級食材を使った高回転のレストラン需要を開拓したのである。逆転の発想というより、雇用市場をよく見れば、そこに大きなチャンスが広がっていたわけである。坂本さんは、その機会を見逃すことがなかった。
2 飲食ビジネスに「経験効果」を組み込む
高い技能を持った料理人であっても、自分の持っている技能を試す場を見つけることがむずかしい。料理のノウハウだけでなく、マネジメントに熟達していないと、儲かってかつよいレストランは運営できない。
そうした専門職人の供給事情に対して、マスマーケットのレストラン業界は、別の方向を向いている。既存のレストラン市場では、業務の標準化と料理メニューの規格化が進んでいる。進みすぎて、職人の出る幕(腕を振るう場)がなくなっている。
坂本社長の「俺の」モデルは、職人が持っている高い調理技能を収益性のあるビジネスに転換するマシーンなのである。「バリュークリエイト」が最近になって採用したシェフたちは、料理の腕は優れているが、マネジメント能力には難があるひとたちである。経営を忘れて(マネジメントは任せて)、得意分野の料理人として存分に腕を振るう場所が与えれれば、本当は嬉しいのである。
そうした料理人たちは、自分の腕を存分に振るう場所がほしい。ところが、高額だと食べてもらう量に限界がある。というのは、高価な食材の料理は、試しに何度もたくさんは創作できないからである。
高回転(一日3~4回)のレストラン調理では、それとは逆のことが起こる。高価な食材を使っていても、贅沢でおいしい料理ではあっても基本は低価格である。結果としては、忙しいことには変わりはないが、それでも通常の4~5倍の数量をさばくことになる。
それも、食材はすべてシェフが仕入れて店内で加工する。若手の有能なシェフにとっては、学習と試行の機会が与えられる。単品が500~1000円だから、料理長は若手シェフに冒険をするチャンスを与えることができる。いずれ習熟効果が生まれて、もっと必要なメニューを作りこ機会が増える。高級フレンチではこれができない。
ここで、経営理論が教える「経験効果」が生まれる。食材の仕入れから調理まで”大量に”加工するので、バックルーム作業(調理場は3~5坪)で継続的に業務が改善され、原価が低減していく。
3 チェーン店にない「個店経営」が強み
従来の飲食チェーンの発想は、職人の技能や調理作業を見直して、全体を標準化することで効率を高めてきた。「俺の」のモデルは、それとは真逆である。なぜなら、個別の店舗を標準化せずに、むしろ店舗ごとに技能を競わせることで、店舗(シェフ職人)同士を競わせようとしているからである。
たとえば、隣りあった「俺のイタリアン」同士は、同じチェーンには属しているが、シェフによって差別化された別店舗である。食材もメニューも規格化されてはいない。商品企画が別々に作られることにより、競争しながらチェーン全体としては、顧客の嗜好(多様性)に対して「驚き」を提供できる仕組みになっている。
高級な飲食店がチェーン化に失敗している例(「シェ松尾」など)を参考に、①職人をマネジメントから解放させながら、②個店を競争させる原理を活用している。なおかつ、③理念を共有することで、金銭以外の動機で働くモチベーションを維持しようとしている。標準化の罠から抜け出し、個店の自立独立性を容認する経営を推進している。
4 ドミナント戦略の優位性
俺のイタリアンや俺のフレンチは、銀座だけで10店舗。坂本さんの「立ち飲み業態論」の正しさは、出店戦略にも見て取ることができる。ドミナント戦略をとるサービス小売業は、ブランド露出とオペレーションの効率をその理由とする。ところが、「俺のフレンチ、俺のイタリアン」の場合は、顧客行動面からのその正当性を説明できる。
わたしは、神楽坂の「俺のフレンチ」の前をよく通ることがある。いつも混んでいて、長い待ち行列ができる。30分待ちくらいがふつうなのだが、周辺にあと2~3店舗あれば、そちらに移動してもよいかもしれないと思うかもしれない(銀座新橋地区に、「俺の」がたくさん出店している理由のひとつ?)
また、どんなにおいしくても、同じ店舗(シェフ)だとメニューに飽きが出てくる。それを避けるためにも、独立した個店が近くに複数箇所にあると、チェーンレベルでの再来店(リピート)につながることになるだろう。
事業創造の天才、坂本孝のビジネス思考が、本書では事細かに解説されている。
飲食業界人だけでなく、一般のビジネスマンや起業を志向するひとには、多くの示唆を得ることができるだろう。