大阪市長、橋下徹を支持する民衆の心理は、いまどき珍しい「立身出世欲+ハングリー精神」なのではないのか?

 『毎日新聞』の日曜版(4月15日号)の一面に、橋下徹・大阪市長の司法研修生時代の逸話が載っている。「破れた革ジャン5万円」という見出しで、ただ同然で仕入れた破れた革ジャンを3~5万円で売りつけて、学費を稼いでいたという話である。友人からの忠告に対して、「気付かず買うのはお人よしや」と橋下はあっけらかんと答えている。



 浦松丈二記者による署名入りの記事は、1面を飛び越えて4面まで続いている。「橋下氏 野望の源流」。司法研修生だった当時の言行が、全1ページにわたって紹介されている。分析の仕方と解釈がおもしろい。
 しかし、「これって、橋下徹の全面広告だよな」とわたしには思える(笑い)。企業広告だとしたら、金銭換算すると、おそらく2千万円は下らない露出スペースになるだろう。
 毎日新聞社は、発行部数が少ない分、むかしから、朝日新聞とは違った意味で、反権力的である。心情的にも、橋下シンパなのだろう。朝日新聞はといえば、右翼でもない橋本氏に対して、君が代斉唱批判(ファシズム論争)を展開している。

 ふたつのリード文が、記事の内容を要約している。「思想信条より直感」、「「敵」を見つける瞬発力」。どちらも、言い得て妙である。
 橋下氏の思想は、実は右でも左でもない。人気のあるテーマに、直感的に飛びついているだけである。だから、しばしば大衆迎合(ポピュリズム)と揶揄されることになるが、だからといって、それが悪いとはだれも本気では思っていない。
 民衆の気持ちを、次々と起こるイベントごとに、うまく掬い取ることができているからである。なんといっても、間違ったらすぐに謝ることができる「あっけらかんさ」には、脱帽である。
 たぐいまれな瞬発力は、全日本代表候補だった高校時代のラグビー体験から来ているのだろう。政治手法は、混乱(モール)から素早く抜け出す姿を想像させる。

 記事を読んでいて、重要なことに気が付いた。橋下氏のような苦学生は、いまや日本の大学からは消えてしまっているということである。豊かな家庭の子弟しか、いまや大学には進学できない。
 法政大学のわがゼミ生を見ていても、この10年くらいは、極端に地方出身の学生が減ってきている。親の立場からいえば、高い私大の授業料と、都会で暮らすための生活費の負担ができないのである、わたしも京都女子大に、娘を”遊学”させていた経験がある。
 国立大学の授業料は、むかし(1970年代)は、年間1万2千円だった。特別貸与奨学金は、原則として返済義務がなかった。だから、勉強さえできれば、アルバイトで生活費さえ捻出できれば、誰でも社会の階段を昇っていくチャンスが開かれていた。

 この20年の間(1990年~)に、日本社会の構造が変わってしまった。
 表向きは、日本は平等社会である。建前では、機会均等に見える。だが一皮めくれば、実質的には、経済的な格差が広がっている。庶民はそのことに気がついている。
 実際に、初期値(親の所得と資産)が、子供たちのその後の生き方を決めてしまう。社会階層間の流動性が失われてしまっているのである。その結果、この先、この社会ではどんなことが起こるだろうか?
 政治の世界を見ても、経済界の現状を見ても、芸能界の様子を眺めても、二世ばかりである。二世政治家、二世経営者、七光りタレント。民主党の政治基盤である労働組合までもが、既得権益の擁護(正社員の雇用保障)に回っている現実を、快く思っていない選挙民は多いはずである。
 橋下氏が支持を受けている民衆のセンチメントは、報われないわが身を顧みたときの社会階層の秩序破壊への渇望である。ハングリー精神を失った指導者たちに、この船(日本社会)の操舵を任せておけないという暗黙の裡の願望が反映されているように思う。
 貧しい社会階層から、いまや死語になりかけている「立身出世欲」をあっけらかんと公言して、上昇してきた橋下流の演出に、民衆は喝采を送っている。このままでは、民主党も自民党も、既成政党はすべて橋下維新の会の勢いに、なぎ倒されてしまうことになるだろう。

 そのように想像する理由を、以下では解説してみる。
 所得分布の変化を考えてみるとよい。経済的な格差が広がれば広がるほど、経済的に豊かな階層の割合は下がっていく。民主政治とは、富めるものも貧しいものも、一人が一票の投票行為によって合意を形成する社会制度である。
 民主主義の先進国である米国も欧州諸国も、そして日本社会も、富の不平等はいずれ、投票行動によって覆される可能性をはらんでいる。
 ここまで来て、おわかりいただけたと思う。橋下流の政治運動は、単なるポピュリズムでも、ファシズムでもない。その本質は、民主的な手段(投票行動)による社会的な転覆=革命につながる可能性を秘めているのである。
 そのプロセスにおいて、既成政党の反撃は無力である。誰かが、橋下氏を「現代のヒトラーだ」と表現していた。それは、一面で正しい比喩である。彼は、大衆に向けてのコミュニケーション能力が高いからである。
 だからといって、戦前のように、まさか軍隊(自衛隊)が政治的なクーデターに関与することはできないだろう。橋下氏にとっての唯一のリスクは、橋下陣営側の自壊作用だけである。これは、妄想だろうか?