花粉症の季節がやってきた。毎朝、起きがけのこの時間は、目が開けていられない。ブログを書くためにPCを立ち上げたが、モニター画面の文字がよく読めない。ずいぶん昔のことになる。1982年に、米国カリフォルニア州バークレイ市に住んでいた。二年間の留学中のことである。そこで花粉症を発症した。
なぜそのことを覚えているかというと、こんなことがあったからだ。
留学した翌年の春のことだ。セコイア(アメリカ杉)の森の中を走って、近くのショッピングモールの駐車場に車を止めた。その瞬間、車から降りたときに、わたしが大きなくしゃみをしたらしい。かみさんも、まだ小さかった2人の子供たちも、それからというもの、わたしがどこにいるかを、大きなくしゃみで分かるようになった。
そのころは、世の中に花粉症という言葉(概念)が流布していなかった。英語で「ヘイ・フィーバー」(hay fever)と呼ばれる「枯草熱」という用語は英語の辞書に載っていた。しかし、一般に花粉症が何たるものかについては知られていなかった。寒暖の違いによって発症する、一種のアレルギーだと思っていた。帰国してしばらくしてから、春先に飛散するスギ花粉がくしゃみや鼻づまりを誘発することを知った。
その後になって、いろいろな薬を試してみているが、自分にとっての特効薬は見つかっていない。いまでも、大正製薬の鼻炎カプセルで対症療法的にその場を凌いではいる。しかし、もはや治る見込みがないとあきらめている。
悪いことは、わたしの花粉症アレルギーは子供たちに遺伝してしまった。長男と次男は、どちらも重度の花粉症を発症している。目のかゆみや鼻水の症状が、社会人になってからひどくなったようだ。次男はもともとアトピー体質で、千葉県市川市から白井町に私たち家族が移住する引き金にもなっている。
引っ越しのあとしばらくして、アトピー体質(乾燥肌など)は治ったようだった。当時は、いまほどひどい花粉症に悩まされていなかったが、二人とも結婚して30歳をすぎたころから、花粉症がひどくなった。親父から遺伝するのはめずらしいかもしれない。遺伝の体質は、男子は母親から、女子は父親から遺伝するといわれている。
かみさんは、花粉症ではない(ということになっている)。だから、ふたりの男の子たちは花粉症を発症しないものとばかり思っていた。実際は、そうではなかった。
それにしても、今年の花粉の飛散は、実に悲惨だ。昨日の夕方、本田消防団の集会があった。場所は、細田の中華料理屋さん、孫悟空。丸テーブルで、わたしの隣に座った団員さんのひとりが、ひどい花粉症に悩まされていた。細田に住んでいる人だった。目を開けていられない状態だった。
ひどい花粉症のわたしより、さらにひどい症状はめずらしい。その方も、いろんな薬を試されたようだが、決め手はないらしい。ふたりで早速の花粉談議になった。結論が、来年になったら消防団員を定年退職するおじいさんから出た。「アルコールは花粉症には悪いですよね。でも、アルコールがないと心のほうが病んでしまいますからね」。
結論は出たようだった。二次会まで飲んで、酔っぱらって自転車で自宅に戻った。消防団は楽しい。
本日は午後に、北陸新幹線はくたか号で新潟県糸魚川市へ。SKフロンティアのワサビ温室へ、坂崎さんを案内する。渋谷社長の本わさび(真妻種)がうまく育っていない。その様子を見てもらい、病因を坂崎さんに診断してもらうためである。
①わさびの苗に問題があるのか、②温室の栽培環境がよろしくないのか、あるいは、③栽培方法に課題があるのか。よくわからないまま半年が過ぎている。この先、富山の事業者に、わさびの栽培施設に投資してもらうとなると、最大の問題は、栽培の安定性になる。