萩ハーフは、予告通りに1時間49分台でゴールイン

 城下町萩ハーフは、予告通りに1時間50分を切れた。グロスのタイムは、1時間49分50秒。60歳代男子では40位(188人中)。ネットタイムは、1時間49分24秒。60歳になり、順位があがってきた(笑)。世の中は、相対的な基準で律されている。絶対的な能力は関係ない。



 走り終わって、萩一輪(温泉宿)で沐浴してから、わたしにしてはめずらしく、市内観光に繰り出した。
 萩の町をまわるマイクロバスで、吉田松蔭が祭られている神社や、弟子たちに松蔭が講話した松下村塾の跡地などを巡回する。赤バスは晋作くん(高杉晋作にちなみ)で、青バスは松蔭さんだ。100円を出せば、市内ならば、どこまでも行ってくれる。

 吉田松蔭神社で聞いた、松蔭刑死の話しには涙が出てくる。あまりにアッパレな最後である。
 江戸幕府を倒して明治政府を作った日本人は、なんとも偉かった。陰に隠れてはいるが、長州ファィブ(英国密航留学組)の3人は、技術者だったのだ。若者5人を密航させた、長州潘の家老がいちばん偉かったのだと思う。
 いつの時代も、未来を拓くのは、若い人達だ。英国から帰国した後に、若者等は、日本の産業の礎石を作った。いまから振り返ってみると、奇跡である。彼等の存在がなかりせば、鉱山(素材産業)も、化学ブラントも、造幣局(日銀)も、自動車産業(日産自動車)もなかっただろう。独自技術を打ち立てたことこそが、称賛されてしかるべきだ。

 植民地化の危機をまぬかれて、国力を蓄えた日本は、しかし、日露戦争、満州事変を経て、太平洋戦争に突入する。二度の国難を乗り越えた日本は、いまや3度目の国難に。
 当時と大きくちがっているのは、国難に向き合うべき指導者にとっては、大いなる受難の時代だということだろう。明治の元勲達に、スキャンダルは無縁だった。女性問題はなかったに等しい。金銭問題は無関係だ。お国のために挺身している側の真摯さは、担保されていた。
 しかし、いまは誰も絶対的な決定権をもちえない。世界中で同じような、平等故の不幸が頻発している。メディアの崩壊も、それに輪をかけて進展している。資本主義の政治経済システムが複雑化して、目先の対応でさえ、うまく切り抜けられないのだ。どこも似たようなものだ。

 皮肉なことに、松下村塾と松下政経塾は、漢字だけは似ている。でも、松下の意味と権力の基盤が、当時とは大きく違っている。明治維新の志士たちには、突破力があった。それは、命をかけた革命だったからだ。生首が飛んだのだ。
 いまは、せいぜい首を賭けて戦っているのは、巨人軍の清武元代表だけだろう(笑)。死を覚悟して戦うのならば、裁判などは不要なのに。単に、ナベツネを刺せばよい。肉体感覚が、怒りに欠如している。裁判などは、その際は無効だろう。
 高杉晋作や吉田松蔭は、信念に対して、己の命を時代にかけた。そして、賭け方が半端ではなかった。いまこの町を歩くと、日本の未来は誰が背負うつもりなのかを考えてしまう。反逆の若者よ、居出よ!である。
 
 振り返ってみると、連合赤軍事件とオウム事件は同根だった。ただし、志が浅ましくなければの話しなのだが。この国は、そして世界は、混迷の度を深めていく。いったい、出口はあるのだろうか?