ある親しい女性から、今朝早くに一通のメールをもらった。そんなに久しぶりというわけでもない。先週、業界のミーティングで顔を合わせている。数人の仲間と一緒に、さんざっぱら飲んで帰ったはずである。にもかかわらず、文末が「それにしても、書かなきゃこないメールですわね。(爆)Y.O.」で終わっていた。
指摘されてみると、確かにわたしは「(電子)メールを書かない」人間である。返信率は高いから(たぶん即日90%)、一日に書いているメールの本数はかなりの数に上がる。しかし、とくに用事がなければ、自分からは積極的にメールを送ることをしないことに気づかされた。
仕事に関していえば、わたしは「出撃型」である。「先生はフットワークが軽いですねぇ」としばしば言われる。もちろん良い意味に解釈させてもらっている。話しを聞いてみたい人がいたり、おもしろいテーマを見つけると、あまり後先を考えずに、世界中どこにでも飛んでいって誰とでもアポイントを取ってしまう。最初のコンタクトには、電子メールを使うことがけっこう多い。また、調査や取材が終わったあとは、帰宅した瞬間にお礼状を書いたり、直に御礼の電話を入れたり、関連する資料を相手方に郵送したりする。たぶん人間関係に関しては”まめな”人間だと思われているはずである。
ところが、電子メールに関していえば、わたしは「待機型」のようである。Y.O.さんにいわれるまでもなく、送信タイトルに「RE:」がついたメールがとても多い。つまり、いただいたメールに返信することが電子メールのほとんどを占めているのである。
ふだんの仕事とメールの書き方が、なぜこれほどまで対照的になってしまうのか? Y.O.さんは、「K.O.さま 相変らずお忙しく過ごされているのでしょうか?」と仕事のせいにしてくれているが、実はそうではないだろう。
電子メールを使いはじめてから、ほぼ10年になる。パソコン通信の「ニフティサーブ」が営業を開始した直後からの古い会員である。それ以前からでも、海外とのやりとりには、学術情報ネットワークで電子メールを使っていた。コマンドラインにタイプインする時代である。懐かしい!
そんな経験をしてきたにも関わらず、気楽に電子メールを使うことについては、しだいに慎重になってきている。とくに、重要なコンタクトやもめごとが起こったときはそうである。クリティカルな解決場面で、電子メールを使うことは禁物である。出撃型のメールは、しばしば攻撃型に変身してしまう。問題をさらに複雑にしてしまうことが多い。経験的そうであるから、返信/反応型のメールでも、いまはできるだけ携帯電話で対応するようにしている。
電子メールの欠点は、顔が見えないことである。相手の声が聞こえないので、息づかいや微妙なニュアンスが伝わらない。電子メールで運ぶのに適切なメッセージは、感情の入る余地がない事務的な伝言や単なる情報伝達である。プライベートなお遊びメールも問題がない。気心の知れた仲間内で、互いの安否を確認するような、やさしいメールに効用はある。
そんなわけで、わたしは、リアル世界では出撃型、ヴァーチャルな電脳空間では待機型の生活を送っている。その逆のパターンは、存在するのだろうか?
うん、確かにいるいる! ふだん物静かだが、クルマのハンドルを握ったとたんにテストドライバーに変身してしまう友人。それと同じで、ヴァーチャルではやたら攻撃的になるメイラーもいたいた。チャットでの「なりすまし」など、人格が変わってしまうお方は少なくない。そっちの方が本性だったする。怖いですね。