人生の店じまい: わたしも撤収に向かって整理をはじめました!

 10月の誕生日で還暦を迎えた。競技場のトラックを5周したことになる。これを機会に、様々なことを整理している。商店でいえば「店じまい」、メーカーならば「事業からの撤収」の準備である。カードの枚数を減らしたり、借金を片づけたり、持株を整理したりしている。



 人生の撤収のスピードに関しては、昨日の招待講演者に負けてしまった(笑い)。わたしより、もっと「生き急いでいる人」を発見してしまったからだ。
 昨日の「CSフォーラム」(@TKP東京、日本生産性本部SPRING主催)では、日本でいちばん小さな航空会社である「スターフライヤー」の米原愼一社長(代表取締役社長、執行役員)に講演をお願いした。講演内容は、いずれこのブログでも公開することにする。
 講演そのものではなく、講演前に15分間ほど、米原社長と交わした雑談がおもしろかった。それを紹介することにしたい。

 米原社長は、三井物産の社員だった(50歳!で退職)。どんな事業を担当していたのかは、はっきりおっしゃらなかった。ただし、現在2年連続でCSナンバーワンの会社である「スターフライヤー」の社長に就任した理由のひとつは、ご自身が「民間パイロット」の免許を持っていたからである。
 飛行ライセンスを取得しているだけではない。小型飛行機も所有しており、近場のアジアの国へは、自分の飛行機で飛んでいくそうだ。日本人のサラリーマンっぽくない。きっと、物産の中でも、変わった経歴をお持ちの方なのだろう。
 だからだろうが、50歳で物産を退社して、伊豆で農業をはじめたという。何を作っていたのかは不明である。たぶん、有機農産物の類であろう。雑談の時間があまりにも短かったので、ご本人には事実を確認していない。

 50歳でのビジネスマン人生の撤収は、ずいぶんと思い切った生き方である。役員からは引き留められたらしい。見るからに有能で馬力がありそうな社員だから、当然のことだろう。だが、「後進に道を譲ることにきめた」。ご本人が、早々と大企業を退職することにした一番目の理由である。
 わたしの「撤収の仕方」に相通じるところがある。学校長をしている大学院IM研究科では、大学の人事慣習を破って、65歳定年を実施することにした(雇用契約的には、70歳まで再雇用契約はできるようにしてある)。ふつうの学部では、教授陣は、半自動的に70歳まで「天然延長」をする(「定年延長」ではない)。わたしも米原社長同様に、いつまでも老人が働いていては、若い人の仕事場を奪ってしまうと考えたからだった。
 米原さんは、その後、湘南藤沢キャンパスの学生を20~30人ほど集めて、起業家を育てるための教室のようなものをはじめた。農作業の傍ら二年間、インキュベーションに興味がある学生に実務を教えている。そして、3年前から、株主だったスターフライヤーの事業再建のために、社長に就任した。当初は、社長を探す役割だったらしい。ミイラ取りがミイラになった、の類である。

 そんな米原社長を見ていると、すがすがしい気持ちになる。
 自分も、もともと58歳で大学(教員)を辞めるつもりでいた。すべては実現できなかったが、学者としては当初に思い描いていた仕事を、ほぼ予定通りに達成できたと思っている。だから、学者としての撤収作業をはじめたわけである。
 そのついでに、いまは人生の店じまいの準備をしている。3人の子供たちは立派に自立できたから、たとえば、わたしの死亡保険金の受け取りなどは不要だろう。そう思って、保険の契約は乗り換えを検討している。日本生命の社員だった娘が、アドバイスをしてくれている。
 そして、カードや保険の整理だけでなく、一部は、人間関係の整理も始めている。人間を長くやっていると、無理をして関係を継続しなくてはいけない場合も多々あった。しかし、もう無理をして付き合う必要もなかろう。
 そろそろ、わずらわしい人間関係にはおさらば、だよね。墓場まで持っていきたくはない。本当の友人たちと、残りの人生を楽しみたいから。