昨日のニュースで、次期の日銀総裁人事が発表になりました。新総裁は、植田和男氏。この人事は、サプライズでもなんでもありません。新聞報道とはちがって、最初から決まっていたのだと思います。植田和男さんは、東大闘争の翌年(1970年)に入学した経済学部の同期です。東大教授からエール大学に転じた浜田宏一教授の一年生ゼミで、わたしも一緒でした。
これで、新総裁人事の背景がわかったと思います。黒田東彦現総裁の後任が、元東大教授の浜田宏一ゼミの植田さん。だから、「金融緩和に大筋で変更はなしですね」と友人たちのLINEにメールを送りました。
案の定、最初の記者会見で、植田さんは早速、「現在の日銀の政策は適切だ。現状では金融緩和の継続が必要だ」(日経新聞朝刊、2月11日一面)と記者団に発言しています。なぜなら、アベノミクスの金融緩和は、元東大経済学部の「浜田スクール」が描いた絵なのですから。
亡くなった安倍さんの経済政策(アベノミクス)を陰から支えた理論的な支柱は、浜田宏一さんでした。師匠が描いた異次元金融緩和政策(黒田現総裁が実行者)だったのだから、その政策に多少なりとも関与していた自分が、最終的に責任をとることになったわけです。というか、お鉢が回ってきたのでした。
この先に、植田新総裁には茨の道が待っているのか。あるいは、挑戦的な政策運営で後世に名前を残すことがききるのか?経済学部の同期として、また学者のひとりとして、サイコロが「吉」と出ることを願っています。運命のサイコロがどちらに転ぶにせよ、世間の風当たりは相当なものだと覚悟して、この先は臨むしかないだろうとは思います。
しかし、わたしの周囲では、70歳を過ぎても、ゼミ仲間が偉くなってます。伊藤忠の岡藤正弘会長も、経済学部で同じゼミでした。そして、新総裁の就任打診を固辞したとされる雨宮佳正氏も、東大で3~4期下の同じサークルに所属していた後輩のはずです。
植田人事は、日本経済にとってターニングポイントになると思います。サプライズではなく、本命が表舞台に登場したのだと考えください。植田新総裁の就任について、ネット記事のコメントなどは、真実を見ていないですね。経済政策も、所詮はどのような学派でどのような訓練を受けてきたかによって決まります。
浜田先生と植田さんとの師弟関係などについて、メディアはこの先、どの程度報じるだろうか? 異次元緩和の後始末の起点は、昭和45年の春。この年の浜田ゼミでは、のちに東大教授になる秀才たちがたくさん学んでいました。東大入試が中止になった翌年入学の「一年生ゼミ」には、伊藤元重さん、吉川洋さん、そして植田和男さんたちがいました。
3年生になってからは、それぞれ宇沢弘文ゼミ、小宮隆太郎ゼミ、根岸隆ゼミなどに分かれたと思います。それでも、一年次の浜田ゼミでのイニシエーションは大きかったと思います。
蛇足です。浜田ゼミの中では、わたしだけが東大の大学院を中退して、法政大学の助手に移籍しました。さらに、理論経済学から実務的な経営学に転じました。正直に言えば、この連中と戦ったら、とても勝負には勝てないと思ったからでした。
この話は昨年、経営大学院で行われた小川の最終講義(2022年3月12日)で話しています。血みどろの競争を避けて、うまく逃げるためには、どのように身を処するべきか。戦わない選択肢を選ぶことを推奨します。賢明に生きるための知恵ですね。
太平洋戦争時の日本軍のように、負けと知っている戦いを闘う馬鹿らしさ。さっさと見切りをつける勇気。つまらぬプライドを早々に捨てられるかどうかがポイントです。
最後に、本ブログに関連する余談です。たまたまですが、昨年の9月15日にこんな経験をしました。黒田総裁の前任者、白川前総裁と、さらにその前任者の福井元総裁が登場します。
白川さんは浜田さんから影響を受けたはずですが、最近の発言などを見ると、経済政策については見解が分かれていますね。同じ師弟関係でも、生き方や年齢差などがポイントになるのですかね。わたしは、白川さんも福井さんも、その場で大好きになってしまいました。
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