無印良品の花販売(花良品)が11月13日で中止に(ネットのみ販売は継続)

 時間が経過するのは早いものだ。物事にはいずれは終わりがくるものだが、会を創設した2000年以来からの会員で、JFMAの発展に貢献していただいた「花良品」(良品計画の子会社)が、花販売から撤退することになった。ネット販売は継続するようだが、ひとつの時代が終わることになる。



 「花良品」は、無印良品の中で花事業を興した阿部憲資(けんすけ)元社長が、木内政雄社長(のちに西友社長に就任、ウォルマートへの売却を決断)に頼まれてはじめた「オフィスデポ事業」がきっかけである。個人事業主から良品計画に出戻った阿部さんが、オフィスデポとの契約が不調に終わり、その代替事業として手がけることになったのが花事業であった。
 わたしは、ある意味で花良品の事業運営に責任があった。本日のブログでは、そのことを歴史的な記録として残しておきたい。
 
 時代は、15年前に遡ることになる。わたしは、1996年に『花ビジネスで成功する法』(草土出版)という取材をまとめた本を出版した。その本を読んで、フットワークの軽い阿部さんは、本の中に登場する埼玉園芸の大野社長に会いに行った。当時、埼玉園芸は、ダイエー向けに花束を加工して納品していたのだが、阿部さんは、大野さんに気に入られて、早速、取引を始めたのである。
 その後、八王子や西荻窪、有楽町など、一部は、無印良品や西友の店舗の中に、「花良」(「良品」は使わせてもらえなかった!)という名前の花店をインショップではじめた。無印良品の一事業部としての出発である。
 木内社長に事業を任された阿部さんは、最初のころから低価格指向の賑わいのある売り場づくりを志向していた。その後に、藤沢店や下総中山店など、郊外の駅前にも出店をはじめたが、藤沢店(桑田店長)などは、年商1億円をはるかに上回る売り上げ達成していた。たしか年商でピーク時は、1億7千万円?
 そのころの出店の手伝いは、のちにJFMAの事務局を担当する村上直子さんだった。わたしの記憶によると、最盛期には、店数が20店舗近くまでに増えていたはずだ。「花逸品」という名前の高級花屋を、有楽町の開いたのがピークだったかもしれない。
 
 ところで、日本で最初に量販店で「日持ち保証販売」をはじめたのは、花良品の有楽町店である。グラス付きでバラを販売したのも、阿部さんがはじめてだろう。輸送途中の温度計測(東京ガスからチップの提供してもらった)のことは、ブログで何度も紹介している。画期的な試みだったが、取り組みの時期が早すぎた。
 しかし、阿部さんの果敢さは、7年後に活きてくる。いまは、冷蔵定温輸送につながりそうである。花良品の成果は無駄になっていない。
 花逸品を閉じてから、木内社長が西友に移ってからは、阿部さんにとってはきびしい時間が続いていた。そして、4年前に阿部さんは花良品を離れることになった。
 そのあとを引き継いだのが、現社長の鈴木さんだった。残念ながら、鈴木さんの努力にもかかわらず、花事業が上向きになることなく、このたびの花販売から撤退となった。

 阿部さんは現在、個人で花事業を営んでいる。八王子で花店を二店舗。先日、IFEXにも顔を出してくださった。お店の販売は好調と伺っている。
 年齢は、たしかわたしの一つ下である。来年、還暦を迎える阿部さんに、もうひと花を咲かせてもらいたいものだ。心からの応援をしている。