人間たちの管理への欲望、モノカルチャー(単一栽培)と生物多様性の話

 二年がかりになったマイケル・ポーラン『欲望の植物誌』を、昨日、ようやく読み終えた。第4章「管理への欲望、あるいはジャガイモの物語」が最後になった。最終章の主テーマは、飢餓と遺伝子操作の話である。世界最大の農薬会社、モンサントが登場する。


モンサントは、いまやGMO(Genetically Modified Organism:遺伝子組み換え作物)の種子会社で、この分野ではいまや世界最大手企業である。農薬会社が種子会社に変身を遂げた歴史的な事例である。
 そういえば、およそ15年前に、「日本の種子産業についての委託調査をしてくれないか」との依頼が米国本社から、わたしの研究室に直接に来たことがある。電子メールが来て、その後にリサーチマネジャーから電話を受けた。
 もう時効だろうから、本当のことを話す。産業スパイもどきのしごとに見えたので、その依頼は即座に断った。日本の種苗産業の利害にも抵触しそうだったからである。
 そうそう、国際電話に出た相手側のマネジャーの「汚い英語」には、正直に参ったものだ。いまでも覚えている。別れ際の最後のことばが忘れられない。
 ”You are a chicken!”(多額の研究資金が得られるのに、おまえは臆病なやつだ。)こいつと付き合うと、危ない橋を渡らせられそうだった。農薬会社のモンサント社とは、かくも怪しげな会社かと思ったものだ。

 話を、ジャガイモのことに戻す。
 飢餓から逃れるために、欧州人(アイルランド人)は、南米アンデスのインカ帝国からジャガイモを持ち込んだ。インカの人たちは、疫病に襲われて種が絶滅しないよう、多様なジャガイモの品種を育てていた。ところが、生産性の高い芋を移入したアイルランド人は、インカの人の発想を採用しなかった。そこどころが、その逆の極端を走った。生産の効率だけを考えて、単一種「ラセット・バーバンク」を栽培した。 
 モノカルチャー(mono-culture:単一品種を栽培する)とはよく言ったものだ。「カルチャー」は、文化の語源だ。単一な文化も、実はとても脆弱なのだ。農業と文化は、同じカテゴリーにあって、同じ悲劇を持ちうるのだ。農業では、のちにそのことが証明された。
 多様性を失った農法=品種選びだったが、ラセット種は生産性が高かった。アイルランドのひとたちを、一時的に、ヨーロッパを襲った飢餓から救う助けにはなった。16世紀末のことである。
 しかし、まさに生産性の高い品種だけで畑を埋め尽くしたことが、ネット・ネクローシスという疫病に襲われることを許した。それまでは存在していない疫病だったから、ラセットだけのジャガイモ畑は跡形もなく溶けてしまった。
 ジャガイモが全滅したことで、飢餓を体験したアイルランド人たちは、やむにやまれず、米国大陸に移民を始めることになる。JFK(ケネディ大統領)の父親たちの世代の話である。時代は、19世紀半ばのことである。

 そして、話は現代の実験室に飛ぶ。モンサントは、遺伝子操作によって農薬(遺伝子)を種子の中に埋めこんだ。遺伝子銃で、DNAを撃つことになるらしい。
 遺伝子操作によって生まれたのは、「ニューリーフ」という名前のジャガイモである。農薬が遺伝子として組み込まれているので、害虫が葉を食べると死んでしまう。だから、ニューリーフなのだろう。そのジャガイモ畑に、環境を汚染する農薬はいらない。万々歳に見える。
 モンサントの実験室が、いまはアイダホのジャガイモ畑に広がる。それは、ふたたび、アイルランドのモノカルチャーに戻ることである。そのように、著者のマイケル・ポーランは主張する。
 遺伝子操作技術の未来は不確定である。しかし、経済性(多収穫性と耐病性)が、ニューリーフの普及を推し進めている。いまもその流れは止まらない。

 この本には、原子力発電の技術について、そのものずばりの指摘があった。10年前に書かれた本であるが、今日の福島の悲劇を予言している。
 モンサントの遺伝子操作技術と、GEが開発した原子炉の管理技術は相似形である。未来が予測できないままに、環境評価が不確定なままに、両方ともに技術を実用化してしまった。目先の効率が高いという理由も、よくもまた似ている。原子炉の廃炉コストと、遺伝子操作の最終コスト(疫病の蔓延による種の消滅)は、実は予測不能なのだ。
 ニューリーフの将来は、福島と同じくらいわからない。それを救うことができるのは、自然の多様性だけだろう。しかし、わたしたちはすでに、自然の中に実験室を持ち込んでしまった。そして、多様な自然由来の種子をジーンバンクから追放している。
 つまり、神の手に代わって、遺伝子のプールに人間の手を持ち込んだのである。しかも、その手は、手術の結末を知っている外科医のようにではない。病変を予期して、病巣に手を入れてオペをしているわけではないのだ。
 そう、「闇雲」に手を差し出しているのだ。ジャガイモの話は、それほど示唆に富む内容だった。
 これは10年前の話ではない。いまのストーリーである。衝撃だった。