晴れがましいニュースは、日本がこのような事態に陥っているのだから、控えるべきだろう。しかし、だからこそ、さきほど次男の真継から来た「合格通知」のことをお知らせしたい。子供ころからの夢だった「新幹線の運転手試験」に、次男はとうとう合格することができた。
あれからは、すでに8年半が経過したことになる。古くからわたしのHPをごらんいただいている方は、ご存知かもしれない。
ブログを書き始めてから、10年間の累計で、全国のさまざまな方からもっともアクセスが多いのは、以下の記事である。いまだに、毎月平均で100件のアクセスがある。
Day Watch(2002.10.12 Saturday)に書いた「新幹線の運転手になる息子のこと」というタイトルである。リードの文章は、以下のように続いている。
本日のHPは、来春高校を卒業するわが息子の進路について書くことをお許しいただきたい。子供の頃から、東海道新幹線の運転手を志望してきた次男・真継(まつぎ)のことである。
このブログに書いたように、2週間後に次男の真継は、JR東海(新幹線事業部)の入社面接試験に合格する。就職後の働きぶりについては、車掌になった5年後の様子などを、2007年のブログにも書き込んでいある。
昨年の末時点で、車内放送ができる「グリーン車担当」の車掌に昇格していた。「同期の中では出世頭」と本人はエバっていたが、昨年末から始まった最終試験(座学)では、例によってテンションがあがっていた。
三島にある研修センターからの往復では、いつもご機嫌が悪かった。テストが苦手なタイプなので、見るからに緊張していた。そのためである。
本日は、「最終テストに合格し、名古屋勤務になりました!」との知らせだった。
4月からは、新幹線で実技訓練を受ける。東海道新幹線で、本物の車両を運転するのだ。当面は、訓練生としての運転であるらしい。そして、早ければ10月には、ソロで「のぞみ号」を運転することになる。
はじめての運転は、いつかブログで紹介したように、JR東海は両親を招待してくれるらしい。わたしは、真継を育ててくれた「ゆかりの人たち全員」を、わたしの負担で招待したいと思っている。
大震災と原発事故の余波で、日本は厳しい春を迎えようとしている。少しでも、明るいニュースをと思い、身内のことながら、小さな喜びを紹介させていただいた。
311からすでに5日目。避難所で生活している人たちの春は遠い。現地への物資の輸送で、兵站のパイプラインを支えている人たち、ご苦労様です。現場で医療行為に携わっているひとたちは、雪の中で働いている。
そして、危険を顧みず、勇敢にこの困難に立ち向かっている、自衛隊や電力会社の作業員の方たち。無事を祈ります。