大学院生の論文指導方法

 1992年に、夜間のビジネススクールをはじめてから、毎年4~5人の院生の論文指導を続けてきた。記念すべき20年目は、7人の社会人学生を指導することになった。いっぺんに7人は新記録である。なお、ドクターを二人抱えているので、全部で院生は9人になる。


本日は、2010年度の最終指導日にあたる。論文の提出は、2月10日で、締め切りまでは、あと3日しかない。学生たちは、あせりながらも、ようやく論文を書く醍醐味を知るようになる。
 経営学研究科の時代は、お正月明け、1月の上旬が修士論文の締め切りだった。過程はもっときびしかった。学生たちにとって、修士を卒業する年には、正月はない。
 そして、指導教授の私たちにも、お正月はなかった。それが、何年も続いていた。大晦日や三が日に、自宅に押しかけれたこともあった。
 いまは、イノベーションマネジメント研究科に移籍したので、論文提出の締め切りが延びた。暮れの年賀状書きも早めに終われる。正月は、元旦の朝からゆっくりと、佐野厄除け大師にお参りができるようになった。
 
 学生にとっては、いまがいちばん「気持ちが乗っている」ときである。だが、そのことは、論文を書き終わった後からわかることだ。いまは苦しい箱根の坂を上っている駅伝選手の心境だろう。
 論文に出来、不出来はあるものだ。それでも、毎年、論文を提出し終わった学生たちの顔を見ると、この仕事をしてほんとうによかったと思う。
 変わらないのは、指導の方法である。学生によって、「変幻自在に」指導をする。この能力だけは、誰にも負けない。まるで柔道をするときのように、相手によって対応を変えられるのだ。適応能力には自信がある。

 指導対象となる学生によって、プロジェクトや論文の進め方や書き方に特徴が出る。
 社会人とは言え、学術論文(的な)書き方をしたことがない。最初は大いにとまどうことになる。会社の報告書に使っている慣れた方法で仕事をすすめようとする。パワーポイントを貼り付けた形式や、箇条書きで書いて来る学生が多い。そのときは、即座に、「書き直し」を命じられる。
 学生は凹むことになるのだが、反抗は許されない。「わんすけ教授」の教育的指導に従うしかない。研究室では、絶対権力者である。

 論文を書くときに、学生に対して、繰り返し気をつけるよう指導しているポイントがある。今年は、とくにこの傾向が顕著になった。記録に残しておくことにする。

(1)結論を先に書くこと
 論文を閲読して評価する読者(教授たち)には、時間がない。何本もまとめて読まなければならない。要点を先に知りたいのである。結論を導いた理屈は、後から書くようにすること。

(2)結論や仮説に、証拠をつけること
 自分が直感で書いた結論は、論文の名に値しない。どのようなデータでもよいのだが、他人の文献や調査データの「傍証」をつけること。結論だけの文章では、論文とはいえない。これが案外できないだ。

(3)ストーリー性を持たせる
 学術論文(事業プロジェクト)も、ある種の「物語」である。読み手は、この仮説や事業がどのように進展しているのか気になるものである。起承転結、序破急、どちらの手順を使ってもよいのだが、物語性を持たせること。

(4)文章作法
 案外、論文を書く上で指導されていない点がいくつかある。
 ①「脚注」の扱い。脚注をつける意味は、細かい説明(解説)をすると、「本文で、読み進む流れが止まってしまう」のを防ぐためである。説明がやや細かくなると思ったり、即座に、その部分を脚注に追い込むこと。
 ②「付録」をつける。自分が調べてきた調査データや資料で、どうしても必要なアイテムは、論文末の「付録」とすること。読者(評価者)は、文中で細かなデータを読んでいる余裕はない。それがあると、たいてい、論文の構成が間延びしてしまう。
 ③「参考文献」の書き方。和文は、あいうえお順、洋文は、ABCD順にソートする。著者名(発表年号)「論文名」『書名、雑誌名』巻(号)、出版社(または、学会・組織名)、ページ。この作法は、雑誌によってほぼ決まっている。

 おおむね若い学生の方が、この状況に素直に適応してくれる。若いことはすばらしいことだ。どんどん状況に適応していく。
 年寄りは指導がむずかしい。社会人としての自分の殻から、なかなか抜け出せないで苦労をする。これまでやってきたことを捨てなければならないのだ。
 それでも、今年も、7人の学生が無事に論文を提出してくれるだろう。この中から、ひとりくらいは、起業に持ち込める案件(人間)が出てほしいものだ。その昔は、修士論文をもとに、学会誌やジャーナルに学術論文を書いて、大学の先生になった院生が20人ほどいた。