白石一文『一瞬の光』角川書店(★★★★)、大崎善生『パイロットフィッシュ』角川文庫(★★★★):この二冊は続けて一緒に読んではだめです

 わたしには3人の子供がいる。このHPにはこれまで、長女の知海(ともみ:25歳)と次男の真継(まつぎ:20歳)のふたりが登場している。残りのひとりは、今日初登場する由(ゆう:23歳)である。


23歳の由は、いま銀座の「ひらまつ」(アルジェントASO銀座)でシェフの修行中である。一浪して入った東京理科大を3年で中退し、国立にある「辻クッキングスクール」(イタリアン・フレンチ・コース)に一年間通い直した。建築学科から食物学科に宗旨替えし、いまはコックの見習いの身である。
 ちなみに、世のご両親の参考までに、授業料は理科大の1.5割り増しであった。プラス、研修という名の海外渡航費用が数十万円かかる。レストランが大当たりでもしないと、これは絶対に回収できない金額である。
 フードビジネスの業界一年生は、朝早くから夜遅くまで働かされる。寝る時間はない。もともと千葉の自宅から銀座まではとても通えない距離である。おまけに、卒業したら家を出るのがわが家の流儀なので、4月からは人形町の住人になった。母親が東京銀行に勤めていた頃の支店(人形町支店)があった街である。
 身体が大きく運動センスも抜群だったので、本人は小中高学校ともにスポーツに熱中していた。野球(小)とバスケット(中高)では、親が言うのも気が引けるが、チームの花形選手であった。バスケット(5番)では関東選抜大会ではあるが優勝経験もある。その分、いま思い出しても、およそ由が何か文字を見ていた姿を見た記憶がない。京都女子大に通うことになった、お姉ちゃんは本の虫(含むコミック)であったから、それとはまったく対照的であった。
 ところが、本人は思うところがあったのだろう、大学を中退する前後から急に本を読み始めた。それも現代小説である。ほぼ同時に、社会人になりかけの弟(真継)もどういうわけか小説を読み始めたので、わが家のリビングは、文庫本やハードカバーの小説がそこかしこに散乱している状態が続いた。中高時代は本の虫であった遺伝子は、全員に継承されていたことが証明された。それはそれでうれしいことである。
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 前置きが長くなった。長男と次男の読書傾向はやや異なっている。長男は純文学が好みのようだが、次男はノンフィクションものに手が伸びる。わたしはもはや自分では小説を買わなくなってしまったので、最近はしばしば子供たちの選書にしたがって、秋の夜長や通勤途上の時間を埋めている。
 ベストセラーになった片山恭一「世界の中心で、愛をさけぶ」(★★★:並のできだよね!)や石田依良などの作品は、世間が注目する前にチェックが終わっていた。片山作品は、ブームが来る一年ほど前に、「この作品だめだよね(書きすぎ)」と家族ではブーム到来を外していた。内容と売れ行きは別物ですから。
 さて、わたしは3月に米国(有機野菜の米国市場調査と現地サントリーのインタビュー)に出かけることになった。成田発でテキサス(ダラス空港)乗り継ぎマイアミ着まで15時間の飛行機時間の中で、「何か読むものはない?」とのリクエストに、「これこれ」と由が渡してくれたのが、上記の二冊であった。とくに、白石一文『一瞬の光』角川書店は、ハードカバーだったが、迷ったあげくにキャリーバッグのサイドポケットに入れた。文庫の大崎善生『パイロットフィッシュ』は、首からぶらさげるいつものポーチに入るサイズであった。
 いつもは飛行機に乗るとすぐにアルコールで眠る癖がついている。ところが、今度の旅行に限っては、二冊とも機内で読み切ってしまった。白石作品には5時間を使ってしまった(時差をとることができずに後悔・・・)。そして、由のねらい通りに、わたしは読書後に”考え込んで気分が落ちこんでしまった。”
 帰国後に由と話してわかったのは、わたしの気分を読んで「一瞬の光」を手渡したらしい。大崎作品は、その前座として読まされたのだが、完全にやられてしまったことになる。わたしの読書傾向が完璧に子供に読まれてしまったということである。
 両作品の内容については、ここではコメントをしないことにする。ただし、もし世の中の父親で、息子から薦められた本でわたしのように「読後の気分をそのまま2週間ほど引きずる」ような経験があれば、是非ともわたしに伝えていただきたい。わたしのような存在が例外ではないことになる
 周囲に言わせると、「50歳を過ぎた人間が、子供から借りた本を読んで気分が滅入るのは、それはそれで感動ものだね」とのこと。実は3週間ほど経ってようやく、いま気持ちが立ち直ったばかりである。是非とも、大崎作品と白石作品はお読みにならないように。とりわけ同時読書には気をつけてください。