おはようございます。元日に、義父の奥村正太郎が亡くなりました。餅を喉につまらせ、救急隊のお世話になりました。新年早々に、東京都内で18人が救急車で病院に運ばれたそうですが、亡くなった4人のうちの一人でした。
葛飾区立石の小さな地元の葬儀場で、お通夜が6日、葬儀は7日になります。引退からすでに20年が経過していますので、ごく近しい親類だけの葬儀になります。弔問や弔電は不要です。
義父(奥村正太郎氏)は、8年前に、心臓弁膜症の手術がうまくいかず、左半身が不随になりました。車椅子の生活が長く、77歳の義母(純子)は、介護疲れでかなり参っていました。
最後を看取った義母によると、それほど苦しみもせず逝ったそうです。「正太郎さんは、ババ孝行だったわね!」と親戚一同。迷惑をかけない、幸せな死に方でした。
自分の不自由な境遇に何一つ文句を言うこともなく、立派な人でした。義理の母も、かいがいしく介護をしておりました。最後の数年間は、案外と充実した人生だったのかもしれません。
精工舎(現在、セイコーエプソン)で、義父は、かなり腕のよい旋盤工でした。旋盤技能検定一級の持ち主で、典型的な下町の江戸っ子職人。腕のよいのを見込まれて、韓国に技術指導で駐在したこともありました。
早期退職後は、特殊航空部品の町工場を経営していました。しかし、バブル崩壊のあおりで、工場を畳まざるをえなくなりました。その後は、実につつましやかな生活に変わりました。それでも、夫婦仲がよかったおかげで、実にさばさばと生きていました。
自身の境遇に愚痴ひとつこぼさず。男の引退後の生き様として、ある種の見本のような生き方、死に方かもしれません。大往生でした。義父の冥福を祈ります。
以上、ご報告まで。
三が日が開けるまで、訃報は控えておりました。