「小川町経営風土記」を連載していたころ、同じ誌面で、IYの中国ビジネスを連載していたジャーナリスト作家がいた。法政大学出身の湯谷氏である。元『週刊ダイヤモンド』編集長の湯谷氏は、15年間、「巨龍」の取材を続けていた。10月に、連載は単行本化された。
書評:『週刊ダイヤモンド』2011年1月
湯谷昇羊(2010)『巨龍に挑む』ダイヤモンド社
評者:小川孔輔(法政大学大学院教授)
日本企業の中国進出が本格化している。着実に成果を上げつつあるメーカーに比べて、流通業の多くは、この20年間で進出と撤退の歴史を繰り返してきた。中国本土で確固とした事業基盤を築き上げた流通業は数えるくらいである。その例外が、イトーヨーカ堂である。
本書は、イトーヨーカ堂の社員10名が、「中国の流通を変える」という志の下、寝食を忘れて奮闘する様を描いたドキュメンターである。戦後日本の流通業を拓いたフロンティアスピリットが、ふたたび中国で花開くことになる。その約15年間(1994年~2010年)のプロセスを、筆者は綿密な取材とインタビューで描き切っている。
本書からは、中国ビジネスについて多くのヒントを読み取ることができる。大企業といえども、海外に出てしまえば、最初は無名企業である。とくに中国では、日本企業であること自身が、ハンディキャップになる。よく知られているように、成都のイトーヨーカ堂は、反日暴動の犠牲になった店舗である。しかし、二度にわたる荒波を乗り越えて、日本人社員たちは、中国の生活文化を変えて(例えば、「いらっしゃいませ」のあいさつの導入)、現地の商習慣にうまく溶け込んでいった。
本書が伝えたいもうひとつのメッセージは、逆境の中にあって、事業を率いたリーダーたちの人間力についてである。中国政府の理不尽な対応や、現地従業員の不可解な思考法や行動様式に真摯に向き合うことができたのは、指導者たちの高潔な人間性ゆえである。いまの日本人が忘れかけている、事業に対するひた向きな姿勢を彼らは持っていた。
評者は、たくさんの日本企業を見てきたが、中国で成功している企業に共通な特徴は、日本式の製品・サービスの優位性はそのままに維持しながら、経営については徹底的に現地化を推進していることである。北京と成都で、イトーヨーカ堂の店舗を見たことがある。それは、日本とはまるで異なる売り場であった。少なくとも評者の目には、百貨店(デパ地下)とハイパーマーケット(清潔な卸市場)の奇妙で微妙な組み合わせに見えた。しかし、店の看板は、紛れもなく「羊華堂」のそれである。そして、背後で動いている商売の仕組みは、日本のイトーヨーカ堂が40年をかけて築きあげてきた優れたシステムだった。
通説によれば、グローバルな競争の中で、日本の流通業は相対的に劣位にあると信じられている。しかし、本書を読めば、そして、もうひとつのグループ企業であるセブン-イレブンの健闘ぶりを見ると、日本の流通業のフォーマットがアジアでも通用するかもしれないという希望を感じ取ることができる。