石井教授(流通科学大学学長、日本マーケティング学会会長)の”マーケティングの知3.0”を妄想する

 日本マーケティング学会が発足して、同時に『季刊マーケティング・ジャーナル』が模様替えすることになった。学会誌としての門出を記念して、129号(記念号特集:いま日本のマーケティング研究・実務に求められるもの)に寄稿を求められている。本日が締切日で、昨日から論考(エッセイ)を書きはじめている。

 10人ほどの先生が寄稿を求められているようだ。編集担当の松熊さん(法政大学MBA)に尋ねたところ、論文形式のものが多い模様。わたしはあえて純粋な論文の形式を避けることにした。内容としては、この学会に参加する新しい読者(若手の実務家)を刺激するテーマを選んだ。

 タイトルは、「石井教授の”マーケティングの知3.0”を妄想する」。
 寄稿論文そのものをブログに事前にアップすることができない。そこで、エッセイ論文のアウトラインと、アイデアの起点となった「巻頭言」(石井著)を複製・紹介することにした。

 わたしの貢献は、「マーケティングの知3.0」を妄想することである。
 それも、できるだけ具体的に夢想することである。未来を妄想することは楽しい。知3.0では、何が変わるのか?
 時は2020年~2030年。石井さんもわたし(小川)も、もうこの世にはいない。少なくとも研究者としては終わっている。そのとき、わが末裔のマーケティング研究者たちは、つぎのような世界に住むことになるのだ。
 いま大学院の仲間でもある実務家的なリサーチャーも、同様な変化の波(移行期:トランジション)を経験する。

1 マーケティングマネジャーの知識(情報)環境が激変するる
 ・リトル(元MIT教授)が描いた「モデルとマネージャー」の世界(ヴァーチャルな空間)に、現実社会が組み込まれる。あるいは、その逆の形が起こるかもしれない。
 ・マーケティング・マネジャーにとって、外部とのインターフェースは、PCや携帯(スマホ)ではなくなる。もっとちがった操作性がよいインターフェースが開発されている。したがって、
 ・旧来型のデータベース(図書館的な情報倉庫)は消え失せる。クラウドソーシングのデータベースがメインになるので、どこでも研究や作業はできる。
 ・逆説的だが、知の創造にとって大切なのは、情報ネットワークでない。その存在は、当り前すぎるものになる。むしろ人間のネットワークこそが知を生み出す仕組みの中心に位置するようになる。

2 マーケティング研究者と実務家との境目がなくなる
 ・大学という組織(研究者を賃金と身分で囲う組織)は溶けてなくなる。ただし、社会にとって長期的な観点から必要とされる知識(理論的な枠組み)は、「大学のような非営利組織」しか生み出せないことに変わりはない。
 ・だから、大学を代替する組織が登場する。現状の「個人論文中心型」の研究者評価制度は、その代替組織にはなじまない。そのころには、初等教育や中等教育にも大きな変化が訪れているはず。
 ・社会科学(とくに経営学や商学のような実学)に関する大学教育(マーケティング教育もそのひとつ)の変化は、知識教育の伝授(座学)に限定されなくなる。理論教育と実務教育と研究活動は一体化される。
 ・現場での実務教育が重視されるので、「大学を卒業する」という概念が無意味になる。職業人生には卒業はなく、継続的な知識更新サービスを提供する場に大学(のような組織)が変わっていく。マーケティング研究者の仕事には、プロジェクトマネジャーのような能力が求められる。  

3 以降は(その他は、)今考えている途上にある。
 

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<参考>

「マーケティングの教育と研究,その来し方,行く末」
『JAPAN MARKETING JOURNAL』(127号) 2013年
石井 淳藏 (流通科学大学 学長 日本マーケティング学会会長)

 生態学とは,生物ないしはシステムがその環境と織りなす様々な関係の動態を扱う分野である。マーケティングの知の動態も,そうした生態学的理解に沿って把握することができる。その来し方,行く末を考えてみた。
 
 マーケティングの知1.0
 マーケティング研究の草創期。実務家と研究者の間で取り立てて深い関係はなく,研究も教育も研究者主導で行われた時代。研究を導く原則は,マーケティング社会における真理の追究。心理学や経済学などの発展した社会科学に範をとりながら,その体裁を整えた。実務界との関係では,そうした新しく展開するマーケティングの技法を「研究者が教え/実務家が学ぶ」の固定した関係が維持された。

 マーケティングの知2.0
 ケースメソッドの考え方が入ってきた段階。わが国で本格的にこの教育手法が浸透してきたのは,ビジネススクールが発展し始めた21 世紀に入ってから。ビジネスの経験を積んだ社会人は,すでにビジネスの知識を習得しており,それを超える知識や考え方を要求する。
 それに応えるのがケースメソッドだった。ケースを議論しそのケースの軸となる概念を把握し,その概念の実践上の有用性を吟味する。概念のコンテクストを把握することで,その概念の妥当性,応用範囲,利用上の留意等々,具体的な現実の中で理論の多面的な性格を知り,深い理解に到達する。
 研究者も,現実の中に埋め込まれた理論への関心を深める。社会理論を,社会から独立したものとして理解せず,現実の中で深く理解しようとする研究姿勢が生まれる。現実に入り込んで,業界や企業の歴史を詳しく調べたり,市場や組織のきめ細かい動態を記述したりする手法が重視される。

 マーケティングの知3.0
 教え/教えられる関係がさらに流動化する段階。大学のマーケティング教育において実学志向が強まり,企業と組んで生の商品企画に挑んだり行政と組んでまちづくりに挑んだりするのは,一つの事例だ。そこでは,社会の現場と,教え/教えられる関係を入れ替えながら,相互に学習が進む。もちろん,大学だけでなく,社会の中にも同様な教育スタイルが生まれる。ここでの最大の鍵は,知への好奇心を育てるコミュニティづくりにある。
 この段階になると,マーケティング研究を含めて社会理論研究においては,社会の理論づくりと実践の区別が難しくなる。研究業績も個人に帰属させにくくなる。研究は,コミュニティの産物であると同時に,コミュニティを作り出すための手法となる。
 
 3.0 は,私にもまだ夢の世界。読者の皆さんは,どう感じられるだろうか。