年末の25日にして、年賀状が完成しました。420枚をいま印刷中です。来年の年賀には、表題の言葉を入れました。春先に大学院に移籍してから、仕事のやり方と生活がシンプルになりました。思い切って移ることができて、ほんとうによかったと思います。
ある年齢をすぎたら、何事についても、身の丈にあった生活ぶりが望ましいようです。人生の初期に思い描いていた目標(夢)は、以下の年賀状で書いたように、ほぼ90%は達成できました。
今年は、たくさんの先輩(渥美先生)や友人(石橋さん)を見送りました。自分も来年は、還暦の60歳(ウサギ年の年男)を迎えます。60歳は、父の久(ひさし)が、赤いちゃんちゃんこを着て、すぐに亡くなった年齢です。
愛すべき父親でしたが、欠点も多い人でした。遺伝子に刻印されたファミリーの欠点を克服することを考えて、自分はその後の人生を生きてきました。笑わないでいただきたいのですが、以下は、自分に対する「戒め」としてきた、ひそかな行動指針でした。
① 大酒を飲んで、人を罵ったり殴ったりしない。
② 適度な運動に努めて、毎日を健康に生きる。
③ できる限り、自分の部下や同僚に対して、助けになるように働きかける。
④ 大きなしごとのためには、小さな怒りや不満については辛抱する。
⑤ 自分のわがままを自覚しながら、ひたすら他人や社会のために働く。
これが実行できたかどうかは、わかりません。一緒に仕事をしてきたひとたちが、その後にわたしの行いを評価することになるのだろうと思います。自分なりに、最大限は努力してきましたので、なんの悔いもありません。
父が亡くなったとき(10月20日)、わたしは29歳の手前でした。翌年、米国(カリフォルニア)に留学することになりなります。そして、米国滞在中の30歳のときに、その後の30年間をデザインしました。
あれから30年が経ちました。時間は、瞬く間に流れていきました。わたしもすでに、棺おけに足を半分突っ込んでいます。もはや、あわてて、これ以上の何かを成し遂げようとする必要もないだろう。そのように、率直に思えるようになりました。
激しくも、充実した熟成の時間を、仲間たちのおかげで、楽しく過ごさせていただいたからだと思います。とくに、ゼミの卒業生や研究者のグループ、マラソン仲間たち、そして、3人の子供たちとは、ほんとうに楽しい時間を持つことができました。やり残したことはないようにも感じます。
元旦に、2011年版の年賀状を、皆さんに送付する前に、文書を公開しておきます。
詳しい新年のご挨拶は、また元旦に、「ふるさとへの年賀状」という形で、長い文面でアップします。それは、生まれ故郷の『北羽新報』に掲載される文面です。
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謹賀新年
2011年元旦 あけまして おめでとうございます。
昨年4月に、経営大学院に移籍しました。校長を務めています。おかげさまで、仕事と日々の生活がシンプルになりました。
JFMAは、今年で11年目を迎えました。農水省の支援を受け、「切り花の日持ち保証販売」の実験を継続しています。全国5ヶ所ではじまった運動は、「5日で花が枯れたら、全品をお取替えします」という安心保証の仕組みです。
「花と緑の国際展示会」(IFEX)は、参加企業が1000社を超えました。「MPSジャパン」は、今年から韓国、台湾など、アジア地域に進出します。
花普及センターやJFTDと協力、2月14日を「男性から女性に花を贈る日」にします。バレンタインは、男性から女性に花を贈る日です。日本の2月14日を、世界標準に戻します。
東京マラソンは、3回目の出場にして4時間を切りました(3時間59分32秒)。9月19日の田沢湖マラソンを次男(真継)と完走。ハーフ以上の公式マラソン大会で、47都道府県を完全制覇しました。
出版が遅れていた『しまむらとヤオコー』は、1月26日に刊行が決まりました。教授から作家への転身を目指します。
3月初めには、柳原書店(ピアソン)から、『異文化適応のマーケティング』(監訳)が出ます。600ページの大作です。
今年も、よろしくお願いします。
小川孔輔 (おがわ こうすけ)
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