この先の2~3年間は、事業の継承に時間を投入します

 先月で59歳になった。来年は還暦である。大学の仕事も花の組織(JFMA)も軌道に乗ってきた。学会や弟子の養成では、約20人の後継者(大学教員)を育てることができた。残された人生の課題は、いかにスムーズに仕事や事業を後継者につないでいくかである。


これから2~3年間は、仕事への取り組みの仕方を変えていこうと思っている。5年後(64歳)には、いま手がけているすべてのしごとから、個人的には手を引くことにする。
 何度となくブログで表明してきたことである。大学の教授職は、本来は、58歳(2011年3月)に引退するはずだった。組織的に、あるいは個人的な課題(追加投資や借入返済)から、引退の条件がクリアできなかったので、その約束が果たせなかった。
 しかし、大学の退職年限(65歳)の何年か前には、いま取り組んでいるすべての活動を、小川個人としては休止したいと思っている。だから、きれいな形で、わたしたちの後に続く人たちに、事業を渡していきたいと考えている。

 以下のような考え方が、世間一般でいう「事業の承継」や「仕事の引き継ぎ」で、正しい選択なのかどうかはわからない。しかし、当面は、そのように仕事を進めて行きたいと思っている。
 一緒にしごとをしてきた人たちも、周囲にはたくさんいる。だから、以下は確定的なものではない。仲間たちと議論をするときに、相談事の前提として確かめておきたい事項である。
 
(1)後継者を選ぶ(1~2年)
 最初の2年間で適格者を探す。つぎ2年間で、仕事を徐々に後継者に渡していく。猶予期間は、最大で5年である。大学のしごと、花の団体、研究活動について、すべて同じように「事業」を後継者に託すことができる条件を作りたい。

(2)事業を安定軌道に乗せる(3~5年)
 花の事業では、組織を大きく拡大してきた。今年中には事業は黒字に転換できる(はずである)。3年先に累損を一掃して、いまの事業を安定軌道に乗せる。できると思う。大学の仕事も同じである。学生募集、人事採用、カリキュラムなど、学科が一人立ちができるように、事業の構造を変えていく。

(3)自分の出口戦略
 ブログでこのように宣言するのは、実は初めてではない。組織を維持することだけが、(少なくとも)わたしにとっては、究極の目的ではない。自分の夢や仲間の希望を実現するために、大学や花の団体を組織してきたつもりである。
 だから、とくに、この先の二年間は、背水の陣で「最後の活動」に取り組むことにしたい。事業承継ときれいな引退を出口としたい。歌舞伎役者の「花道」である。

 なぜなら、個人的な夢は、今年度のノンフィクション小説(「しまむらとヤオコー」)の出版、フランス英語の翻訳(「異文化適応のマーケティング」)の完成、昨年度のテキスト(「マーケティング入門」)の執筆で、ほぼ達成できたと思うからである。
 人生最後の目標は、子供や後輩、仕事の仲間に迷惑をかけないで、静かに舞台から消えていくことである。というと、「先生、何となく暗い気持ちなります」なんて言う弟子たちがいるかもしれない。しかし、(わたしより上の)年寄りを見ていて、実はこのごろになってとくに、「みっともない、恥ずかしい」と思ってしまうことが多い。
 いつまでも、自分の地位や仕事にしがみついている先輩たちの姿を見るのは、わたしには耐えられないのである。だから、せめて自分はそのような生き様で終わりたくない。

 年寄りがいつまでも職にしがみついていると、それでなくとも多くはない、若者の就職機会(大学の教員ポスト)を奪ってしまう。先生たちの中には、しばしば、以下のような無責任なことも、当然のごとくに発言するひとがいる。
 「(自分が)引退してしまうと、授業がなくなって、やることないから、早死にしてしまう(笑いながら、、、)」。学生にとっては、よい迷惑ではないだろうか?
 若い学生たちは、どう考えても、若くて元気な先生から教えてもらったほうが、気持ちがいい決まっている。自分の生きがいのために、引退しようとしないのは、社会にとっては害悪以外のなにものでもない。そう思うは、わたしだけだろうか?
 大手の私立大学で65歳まで働いたら、退職金も年金も、そして、時間もふんだんにあるだろう。大学で教えるとしたら、ボランティア的に教えるとか(制度を作ればよい)の方法があるだろう。正規職のチャンスは、後輩に譲ればよい。年寄りとして、別の形で若者に教える場面は多いだろう。
 体は弱ってきているから、ゆったりペースで自由に遊べばよい。引退した経済学部の教授たちのように、土地を借りて農業に従事すればよい。その他にも、やることはいっぱいあるだろう。
 世の中から、邪魔にされず、感謝されながら終わりたいものだ。

 というわけで、明日からは、台湾5日間の旅である。台北は、22年ぶりとなる。ハックキミサワ(現CFSコーポレーション:本社、横浜)の故渡辺八郎さん(専務)と商圏調査に行ったのが最後だった。蒸し暑い夏だったような。今回は、初冬である。気温は、25度らしい。