昨日、関西学院大学@西宮で、第41回の日本消費者行動学会全国大会が開かれた。わたしは、「日本版顧客満足度指数の開発と現状」というテーマで、基調講演を頼まれた。60分の講演だった。
前夜は、東京駅付近のビジネスホテルに泊まった。遅くまで、友人たち(GRCの仲間)と門前仲町で飲んでいたからである。前泊しないと、関西に到達できない。
朝一(6時始発)の新幹線で、新大阪まで行って、そこからJRで西宮へ。あとは関西学院大学のキャンパスまではタクシーに乗った。朝10時に、無事に開始に間にあった。
神戸大学の南先生に続いて講演したが、20年ぶりで、研究者たちの前で話した。消費者行動研究会では、弟子たちが発表することはあっても、わたし自らが発表することはない。20年ぶりで登壇だった(笑)。かなり緊張した。そうは見えなかっただろうが、、、
最初の5分で、JCSIの開発に至るまでの想いを述べさせてもらった。わたしとあまり接触のない若手の研究者に向けて話した。その理由はあとでわかる。5分間のスピーチである。
以下では、まくら(最初)の内容を紹介させていただく。
20年前に、この「日本消費者行動研究学会」が発足した。わたしも創設のメンバーのひとりである。消費者行動を研究する学者には、2つのタイプがいる。当時もいまも同じである。この議論は、当時の若い設立メンバーだった、学習院大学の青木教授などと話したことである。そのままである。
一番目のタイプは、ひたすら理論を極めようとする一団。消費者心理や行動そのものに興味がある。企業やブランドは、ある意味で、研究材料でしかない。理論や仮説の応用には、あまり関心がない。
研究の目的は、純粋に発見の喜びである。80年代後半、ポストモダンの消費者行動研究が隆盛をきわめはじめた時代である。世界がどうなっているのかについて、彼等はあまり関心がない。わたしは、そうした研究態度には疑問だった。その意見は、いまでも変わらない。
二番目は、わたしのように、「世の中の役に立たないような研究はすべきではない」と考える、実務派の研究者たちである。これは、実のところでは、少数派だった。いまでもそうだと思う。別名、実務サイエンス派である。実務とつけたのは、「実務的ではない」科学者もいるからである、
わたしのように、正面きって「ポストモダンの消費者行動研究」への批判を展開していた科学者は、少ない。彼らのあまりに主観的な解釈主義の立場に、わたしは疑問符を提示している。
しかも、従来からある定性調査のように、例えば、グループインタビューなどは、その後の製品開発
という間接的な目標のインプットになる。しかし、純粋なポストモダンのアプローチには、現実からのフィードバックはかからない。だから、勝手な自己満足の研究になりがちである。そうした研究スタイルや制度は、持続可能ではない。
若い人は、できればまねをしないでほしい。大成した学者やるべきことで、少なくとも学者としての最初の時期(修業期間)には、ポストモダンのアプローチは毒になる。そういう強烈なコメントを、最初にした。20年前に青木さんに話したことである。それを昨日、繰り返させていただいた。
わたしは、「研究のための研究」は無意味であると考えている。統計や調査に基づく研究でも、それは同じである。サイエンス派の問題は、データとモデルに新規性を求めるあまり、現実から遊離してしまうことである。ちょうど中間がよい。ほどほどに!
昨日のテーマは、わたしが20年間にわたって、消費者行動研究に与えたひとつの答えである。現実的であり、なおかつ、理論に貢献する。しかも、日本のサービス産業の生産性向上に寄与する。役に立つ調査システムの設計をしたわけである。
最後に、補足をしておきたい。
昨日の本題のJCSIは、米国の調査システムを基準に設計されている。しかし、韓国やシンガポールなど、米国版顧客満足度指数を単純にコピーしたものではない。アジアの中進国が採用した調査システムは、米国ACSIの植民地モデルである。無批判に模倣している。
わたしたちは、日本の現実に即して、調査項目やデータ収集法を変えてある。世界標準のミシガン
モデル(フォーネル教授とは、一線を画している。わたしたちの方法は、独自性があるが、悪くいえば、ガラパゴスである。しかし、稀少品種であることをあえて選んでいる。
なぜなら、役に立つことがない!世界標準は、それ自体が無意味だと考えたからである。「日本のサービス産業のためにならない世界標準では意味がない」、と考えたからである。
ときには、ガラパゴスカの環境を選ぶこともよいだろう。生物の多様性を保持することも大切である
。世界標準から離れて、画一化を拒否することが、長期的には正しい選択であることも多い。とくに、文化的な消費や、コンテンツには、これが当て嵌まりそうだ。
その結果は、歴史が証明することになるだろう。未来のアイデアのタネは、ガラパゴス的な文化にあるかもしれないと信じている。