23年ぶりの台湾から

 台北に来ている。ここは、「ハックキミサワ」(現CFSコーポレーション)の渡辺八郎専務と一緒に、23年前に出店調査に来た。それ以来である。「パオイエ建設」(よく名前を覚えていた!)という地元の建設会社と組んで、食品スーパーを出そうというプロジェクトだった。


渡辺専務は、キミサワとハックイシダを合併させたあと、数年後に若くして亡くなった。50歳代の後半だったように思う。おしい人だった。

 台北への出発は、羽田空港だった。いつもは成田からなので、空港を間違えないように、前日も注意を受けた。うっかりものの小川先生だから、みなさんから心配された。
 昨日の午後に、松山空港(@台北)に着いた。亜熱帯なので、11月末なのに蒸し暑い。めずらしく、市内観光をした。お寺に行くなど、ほとんどありえない。
 ところが、夜の町を歩いていても、その昔の記憶が蘇ってこない。一度訪れたことがある国の、ほとんどの町には、記憶の断片が残されているものだ。それぞれ、風景のどこかが、過去の記憶に関連をもっていて、思い出につながっているものだ。しかし、かつての台北の町は、記憶の底のどこからも現れてこない。

 蒋介石(総統)が90歳まで長生きしたことも、最初の奥さんが、毛沢東の妹だったことも知らなかった。旅行ガイドさんの顔や、関西弁を話す、おみやげもの店のお姉さんたちの言葉も、23年前の昔につながっていかない。
 こうした感覚は、生まれてはじめてのような気がする。どうしてそうなのか、その理由をゆっくり考えてみたい。

 本日は、台北の「花の博覧会」の会場を訪問する。11月から来年4月までの開催である。昨年から、日本の電車吊革広告にも紹介されていた。JFMAのツアーで、参加者は18名である。
 小川、松島(JFMA)を団長に、青木さん(小川研究室)、井上さん(青フ)、木本さん(木本生花、仙台)、佐藤さん3人チーム(グリーンフィールド、岩手)、平田さん(大阪、SK)、藤原さん(兵庫県生花)、柴崎さん(モンソーフルール)、坪原さんと宮本さん(広島)、阿比留さん(軍人のむすめさん!だった)、菅家さん(昭和花き)、小堀さん(千葉県)。
 もりしげさん(インパック)は、今日、わたしたちに合流する。