結論は急がないほうがよいかもしれないが、この話題については、もう先が見えている。わたしなりのシナリオ分析を提示しておきたい。民主党の代表選で注目したのは、小沢氏の最終決断の後の言葉である。「熟慮の末に、不肖のわたしですが、立候補を決意しました」。
注目していただきたいのは、「熟慮の末に」というフレーズである。メディアは、この言葉を軽く報道しただけだった。「不肖のわたし」に注目していたが、わたしは、「熟慮の末」が意味のある発言だと考えている。
なぜならば、彼くらいの人間が、ひょっとすると「被告席」に据らせられるかもしれない状況の中で、代表選に打って出たのである。右翼の「産経新聞」だけが、麻生内閣のときからの検察と小沢一郎の対立を、政治的な文脈で推論していた。
「朝日新聞」「毎日新聞」などは、もってのほかである。何も分かっていない。小沢一郎は、最終戦争を仕掛けている。対立軸は、民主党の菅首相ではない。その他の政党と官僚と経済界である。
小沢氏になんらかの成算がなければ、こうした奇策に打って出ることはないだろう。わたしなりに、「熟慮の末の結論」の根拠を推論してみた。小沢氏は、シナリオをすべて分析して、その後で、選挙に出馬することにしたのである。
わたしの推論である。小沢氏も、以下のようなシナリオ分析を、慎重に分析したはずである。
例えば、菅首相が代表選挙に勝利した場合を考えてみる。投票の割合が、55%対45%くらいで、接戦だったとしよう。菅首相が勝つとしたならば、それ以外は考えられない。圧勝はありあえない。
そうだとすると、参議院ではいまだに野党が優勢である。だから、政策ごとに野党と協議しないと、どんな議案も通らない。下手をすると、消費税どころか、予算案も普天間移転問題など、重要な対米外交政策も何に通らないことになる。どうなるだろうか?妥協の道を探らざるを得ない。
小沢氏ならば、野党とパイプをもっている。だから、菅首相に政治的な取引に応じるよう、継続的にプレッシャーをかけることができる。たぶん、首相に再任されても、二ヶ月くらいで菅さんは、戦術的に行き詰ることになる。党内は、選挙後で分裂状態になっている。反対派は助けてはくれない。どん詰まりになる。
だから、小沢グループは、この際は、できるだけ選挙戦を激しく戦うように仕向けている。そのことだけが目標で選挙戦を戦っている。中途半端な選挙戦争にしてはならない。その後が、見えているので、小沢陣営は、わざと激しく対立点を際立たせようとしている。
「開かれた政策論議」は、美しい言葉である。しかし、小沢一郎にとっては、論戦の内容が問題なのではなく、はげしく戦うことに意味がある。目的は、「対立の構図」を、世間に見せつけるためである。
本当は、菅首相の陣営は、小沢陣営の挑発に乗ってはいけないのだが、それを防ぐ手立てはない。調子に乗って、小沢攻撃の尻馬に乗る陣営のメンバーがほとんどである。
メディアもそのほうが視聴率や発行部数が稼げるから対立を煽ることになる。ジャーナリストも現場の指揮官たちも、その程度の脳みそである。
「世論が味方についている」。「あほじゃないの」と言いたい。この論理は、メディアの常識的なフレーズではあるが、政治的には、「ちゃんちゃらおかしい」のである。
世論が何を言おうが、この際は関係がない。一政党である、民主党の代表選挙である。国政とは関係ないのだ。その無意味さに、誰もほとんど気がついていない。菅首相の選挙参謀たちは、とくにそうである。
次のシナリオである。小沢氏が勝利したとしよう。
小沢首相、小沢内閣が誕生する。しかし、民主党は、いまや一枚岩ではない。しかも、参議院は、野党が多数派を占めている。どうなるか?自民党か公明党に、小沢氏はアングラで取引を呼びかけるだろう。
政策単位ごとに協力するなど、そんな甘いものではない。政権を丸1年も離れていれば、そろそろ「お里が恋しくなる」。官僚も、そろそろ、政権交代後のダッチロール状態の民主党に、飽き飽きしている。自分たちの好きなように、2年も3年もうまくことが運ばないようだと、将来が危ぶまれる。
日本の官僚(上級職の国家公務員)を、馬鹿にしてはいけない。世間は、天下りばかりを非難するが、日本の官僚はかなり能力水準が高い。
それなりのきびしい出世競争を経て、きちんとポストをつかんでいる。教育にも、OJTでも、高級官僚には国が金をかけて、いろいろな経験を積ませている。抽象的に物事を判断してはいけない。
一般論は、ありえないのだ。小沢政権は、民主党左派とはちがう。長い間、官僚としごとをしてきている。彼らの強みも弱みも知っている。対経済界についても同じだ。小沢政権は手ごわいのだ。わたしは、検察(当局)と小沢(陣営)は、ある時点で折りあうものだと見ている。
民主党左派が実権を握る政府よりは、検察も財界も、本当は保守連合に近い立場にある小沢内閣のほうがしごとはしやすい。そのほうが、交渉の余地はあるのだ。
本当のことを言ってしまおう。民主党左派は政治的にはわりと扱いはしやすいのだが、政策遂行能力が低すぎて、財界や官僚から見ると、「困った子ちゃん」になりかけている。そして、労働組合をバックにした政党とでは、全般的に政策の折り合いがつけにくいのだ。
結論を言おう。小沢首相になったら、保守大連立が成立する。この連合に参加できないのは、主流派から大きくはじかれる。連携の対象外になるのは、社民党と共産党だけだろう。
このふたつを除く、すべての政党が、保守大連合の候補である。参議院のねじれ国会は、瞬く間に、保守大連立によって、そして、各党が空中分解することによって解消される。
その先に来るのは、真剣な外交政策、憲法論議、財政政策論議である。結論は、もう見えている。日本は、一言で言えば、米国から離れて、政治的には右傾化の方向に向うだろう。経済的な考慮もしかりである。
こんな為替レート(ドルとユーロの切り下げ)では、日本にとって、欧米諸国はもはや最重要ブロックではなくなっているからである。この先に来るものは、以下の3点である。
(1)親米路線一辺倒の外交政策との決別:
普天間の移転問題は、鳩山内閣では失敗したが、小沢内閣ならば、米議会や米軍を説得できるだろう。なぜならば、米国がこの問題で日本にプレッシャーをかけすぎると、日本が再軍備に向う危険性があるからである。
いずれにしても、朝鮮半島の動向と関連して、日本の再軍備は話題になるだろう。平和ボケをしている間に、朝鮮半島は炎に包まれるかもしれない。中国は、尖閣諸島(釣魚島)を狙っている。ロシアと北方領土を交渉しなければならない。圧倒的な経済力を喪失してしまった日本は、手元に何のカードも持っていない。
(2)積極財政への転換:
当面は、消費税率の引き上げ(5→10%×)の可能性は消える。法人税率にも手を加えない(40%→35%×)で、そのままの据え置きである。税率はそのままにして、経済成長戦略の推進が、主要テーマになるだろう。
おそらくは、過剰インフレを企図した「ダム作り」が志向されるだろう。国家が破産するよりは、実質的に、インフレで「徳政令」を実施したほうがましだからである。この政策は、日本固有のものではない。
世界が再度、インフレに向うのだ。意図的に、お札をたくさん刷るだけのことだ。米国がお札の輪転機にすでに手をかけているではないか。だから、ドルがこんなに安くなっている。日本も造幣局の輪転機を回ることになるだろう。
(3)対米為替政策の見直し:
これは、上のふたつと政策的には連動している。経済界は、この点で、小沢内閣に簡単に取り込まれると、わたしは思っている。経済界には、いまや知恵者がいない。
軍事的な意図から、航空機産業と軍需産業に予算が投入され、リニアモーターカーや整備新幹線、高速道路に、再度またぞろ、国家予算が投入される。子供手当ては、満額で支給される。
そして、観光大国、農業大国の日本を再度設計しなおすために、地方にもお金が回るようにする。師匠の田中角栄方式である。そうすれば、地方では、かつての自民党が失った「堅い票」が取れるはずである。所詮、間接選挙による「民主主義」とは、「票」(議員の選出)と「金」(地域や自己の利益)の取引である。
以上のシナリオを考えると、新しい右翼的で保守的な政策は、まずは、小沢内閣で始まることになる。後継は、誰が担うかはわからないが、いまの若い世代の官僚や起業家などから、新しい担い手が現れてくるような気がする。
30代以降の若者は、欧米人に対して、劣等感などがまったくもっていない。ある意味で、芸術・文化面界でも「世界慣れ」している。あまり豊かさは知らないが、基本はコスモポリタンである。
人物は、いるところには、いるものだ。それほど悲観したものでない。
第二幕は、大阪府知事の橋下氏や、元タリーズコーヒー(ジャパン)の創業者(松田氏)のような、若い政治家が登場するだろう。「小沢革命」は、そこに向う導火線のようなものだ。
本当に申し訳ないが、わたしも、かつてはかなり近い場所にいたのだが、日本型の社会民主主義(旧型の市民運動の流れ)や日本共産党の思想(いまとなっては、現状を維持しようとする保守主義に近い政策が目立つ)は、もはや居場所がなくなるだろう。
このふたつは、米国と日本の甘い関係(核の傘と経済的な依存関係)があるからこそ、逆説的に、その拮抗力として存在しえたものである。すでに日本は、政治経済的に米中とは等距離に位置している。現実をみると、すでに旧いパラダイムになりかけている。まあ、いずれは消えていく運命にあるのだろう。
もっとも、その先のパラダイムは、若い世代が作るのだろうと思う。わたしには、この国の未来がどうなるのか、皆目、見当がつかない。まったくわからない。ただし、小沢内閣が成立し、民主党が分裂するか、形を変えて肥大するかのどちらかであることは、はっきりとわかる。