暑い日が続いているのに、うんうんと唸りながら、自宅で小川町物語を書いている。「書く」というよりは、「編集作業をしている」と言ったほうが正しい。一度、校了した原稿を再編集する作業は、心理的にきびしい。忍耐が必要である。かなり痛い。
思い入れのある場面や文章を、場合によっては削除する必要がある。実際にも、新しい本には、オリジナルの連載にはあった、3つの場面を収録していない。
しまむらの藤原相談役(当時は会長)が、パイロットの免許を取得することになるインドネシア、ジャカルタ郊外での試験フライトの場面。ヤオコーの川野会長が、東大の駒場キャンパスで林周二先生の授業を受ける場面。しまむらの伊藤孝子さんと島村夫婦(恒俊、美智子ご夫妻)が、東武東上線にの電車に乗って、東日本橋に仕入れに出かける場面。
その他にも、こまごまとした連載のプロットを、今回は省略してある。
その代わりに、オリジナルの連載に入ってはいないプロットや解説を追加している。わりに、ビジネスの仕組みを解説することに、多くの頁を割いている。
例えば、しまむらが現金で呉服商売をしていたことが、現在のファッションセンターのビジネスフォーマットにどのようにつながっているのか?
ヤオコーとしまむらが共同出店して、その後に別々になるのだが、その理由は何だったのか?
どちらも当初は総合スーパーを目指したが、それを実現できなかったことが専門特化と切れの良い現在のビジネスシステムの源泉になっている。
などなどである。
わたしの仮説は、創業期の15年間とそれに続く15年間で、両社の現在の成功が、ほぼすべて事前にセットされていたという「成功・発展モデルの初期値理論」である。
人材の採用(初期の経営層を担うリーダー)やビジネスの仕組み(しまむらの田舎立地、ヤオコーのNSC)によって、1970年代の後半までで、その先の20年間(2000年ごろ)が決まってしまった。初期値を決めていたのは、品揃え、立地の選択、競争との戦い方、価格付けなど、である。
2010年以降は、新しいモデル開発に入る。しかし、この先はどうなるか、両社ともに未知数である。立地、商品、価格付け、品質すべて大きく転換する気配がある。そのときに継承していく要素は、いったい何なのだろうか?
本の全体は、つぎのような構成を予定している(あくまで、本日8月13日時点)。したがって、この本「小川町物語」は、当初考えていたノンフィクション小説のスタイルでもなく、単なるビジネス書そのものでもない。いわく言いがたい、独特の小川スタイルになった。「ノンフィクション小説と事実の記述・解説の合いの子」の形式になりそうである。
序章 なぜ、「しまむら」と「ヤオコー」なのか
第1章 成長を支える女子パート従業員たち
第2章 第一の淵: 創業の困難を乗り越えて
第3章 第二の淵: 人材の採用とチェーン組織化
第4章 第三の淵: 独自のビジネスモデルの確立
第5章 絶えざる自己革新
終章 両社の明るい未来
それでは、執筆に戻ります。