ギフトに関する公私の仕切り: お中元やお歳暮をどこから贈られたらうれしいか

 夏が本格的に始まったようだ。群馬県の伊勢崎市では、今年の最高気温、38度を記録したらしい。このところ、自宅で原稿を書いているので、ヤマト運輸や佐川急便のドライバーの呼び鈴で、仕事を中断される。お中元の配達である。


  とはいえ、お中元の配達がそろそろ終わりに近づいている。連休中は毎日、数件のお届けがあった。ところが、連休明けの本日は、とうとう1件だけの到着だった。
 名前は秘するが、日本でもっともお金持ちのうちのひとりが、秘書の女性を介して贈ってくださったお中元である。
 京野菜の漬物である。昨年の暮れにも、「地元の魚屋でおろしたおいしいお魚です」と言って、「ふぐちりのセット」をクール便で送ってくださった。

 お歳暮やお中元は、毎シーズン、少なからぬ数をいただく。日常生活や仕事で何らかの形でわたしに恩義を感じている人(学生や同僚、友人)は、自宅の住所からお中元を配送してくる。それは、ある意味では当然のことである。
 決して件数は多くはないが、わたしも同じことをしている。自分の負担で自分の自宅住所で、贈リものをする。それが礼儀だし、自分の気持ちをギフトに込めているつもりである。

 ところがである。仕事関係でいただくお中元やお歳暮では、ギフトの送り先(発送元)はふつうは会社になる。お金の出方も、たぶん会社なのにちがいない。
 わたしは、個人会社(節税会社)しかもっていない。誰かに贈り物をするときは、全部が個人名で自己負担である。
 JFMAのような公的組織の会長をしているが、自慢ではないが、支払いの費用を会社組織につけ回したことはない。しかし、世の中の社長や重役さんたちは、会社の住所からギフトを送ってくる。ありがたみは、本当は半減である。
 だからって、今年の暮れから、「小川先生には、お歳暮を中止!」なんてことは言わないでくださいね(笑)。
 
 わざわざ、このブログの記事を書いたのは、本日到着したお中元の住所が、その方の自宅になっているからである。そういえば、昨年暮れにも、都内の住所になっていた。
 12月のクリスマスもすぎていたので、慌しいままにいただいふぐチリのセットだったからなのだろうか。あまり気にしていなかったのだが、京野菜の漬物をいただいてみると、宅配便の住所が自宅になっていることはふつうではないと感じる。要するに、ありがたみが10倍くらいになるのだ。
 
 贈り物に関して「公私混同」という表現がふさわしいかどうか、わたしにはわからない。しかし、贈られる側からすれば、例えば、贈り手の住所が自宅なのか会社なのかは、本当は大切なことである。
 もしかすると、いただく贈り物の中身よりも、そちらのほうが大切かもしれない。今回は、そう思ってしまった。ギフトを贈った本人が、受け取る側のわたしに対して、気持ちの仕分けをしている様子が感じられたからである。

 自分も贈り物をするときに、それとなく仕分けをしていることに気がついた。花を贈るときである。
 秘書の福尾(美貴子)を介して、宅配便で贈る花。住所は大学になっている。自分で伝票を手書きして、相手に贈る花。住所は、自宅になっている。
 それから、青山フラワーマーケットやフロレアール、小田急フローリストで、目の前で花束を作ってもらって、本人に直接手渡しで贈る花。この場合は、住所など書く必要も無い。

 それにしても、ギフトとは、実に奥が深い行為である。だから、贈るものも大切だが、いまさらながら、贈り方が重要なのだ。深く考えさせられる一日でした。