サービスマーケティングでふだん教えている通りのことを、先週の土曜日に体験した。物事に対する感動の程度は、事前の期待があまり高くないほうが甚大である。宝塚歌劇を生まれて初めて鑑賞した。そして、実におもしろかった!
ある女性から、知り合いがいけなくなって、「S席」のチケットが手元にあります。「小川先生!一緒にいらっしゃいませんか」とのお誘いだった。下町のお嬢さんとして育った彼女も、はじめての宝塚体験である。どちらかというと、彼女は松竹劇場(渥美清の寅さんや倍賞千恵子のさくらの世界)育ちの娘さんである。
その日は、東京宝塚劇場、花組公演である。東北の田舎出のわたしは、帝国ホテルの前は、いつも避けて通っている。あの小道は苦手である。お行儀は良いが、開演時間の近くになると、宝塚ファンの女性がむんむん。ミツバチのようにたむろしている。お嬢さん、奥さんたちは、たしかにマナーはよろし。そうなのだが、独特の女性たちの熱気には圧倒される。
不覚にも、その渦に巻き込まれることになってしまった。どうしよう。わたしと同様に、女性に連行されてきた男性どもが、居心地が悪そうに、劇場のもぎりを通っていく。「一生、絶対に来ることがない」と思っていた女たちの劇場の4階にである。エスカレーターで昇って行った。この居心地の悪さはどうしたことだろう。
熱烈なファンの女性たちは、女優さんたちの名前の「プラカード」が掲げられた机のあたりに、三々五々に集まっている。花組に誰がいて、星組のスターは誰なのか。わたしには、さっぱりわからない。演目は、「『虞美人』-新たなる伝説-」とある。準備もしていないので、あら筋もわからない。パンフフレットを眺めて、おおかたの筋をつかんだのは、中休みの休憩時間のときである。
筋を追うのに最初は往生した。中国の紀元前、漢楚の時代劇である。シナリオ化したミュージカルは、劉邦と項羽の戦いが焦点である。劇作化した舞台を理解するために、親父の本棚に並んでいた中国の歴史ものをきちんと読んでおけばよかった。そうなのだが、世界史を入試科目にとったが、中国の紀元前はあまり得意な時代ではなかった。などなどと、思い出していた。
幕が開いた、前後編のふた幕ものである。上映時間は、約2時半。最初から、観客からの拍手の嵐である。その渦の中になかなか入り込めない。拍手のタイミングは、プロの観客たちは良く知っている。そのうち、20分もすれば、舞台上の役者と観客たちの間合いに、すぐに慣れてくる。
劇中にのめりこめるようになるまで、それほど時間がかからない。荒筋がわからないから、緊張の連続である。女役も男役も、顔と名前が一致しない。衣装の色で、項羽(楚の青)側と劉邦(漢の赤)側なのかが区別できる。しかし、いっこうに女優さんたちの名前はわからない。そうこうしているうちに、前編は瞬間にして終わる。
主人公は、楚の武人、項羽の妻、虞美人である。敵将の劉邦に追われて逃げるが、最後は夫の項羽とともに自刃する。その献身的な姿が哀れを呼ぶ。そこが劇のハイライトになる。兄弟(劉邦)を裏切らなかった項羽が戦いに破る。戦いの中、自刃して幕が下りる。
ここで舞台は終わりと思いきや、瞬時に場面は変わる。劇中の挿入歌と衣装を変えた主人公たちが、再度、舞台に登場する。宝塚のタレントたちが、次々に拍手を浴びて、舞台に呼び戻される。その間、約20分。
交響楽でもアンコールがある。観客の拍手に応えるかたちで、2~3曲。本ちゃんが終わっているので、一般に演目のリズムも軽い。しかし、宝塚歌劇では、それとはちがう思想でアンコールに応える。劇中の場面とは異なるシチュエーション、舞台衣装を準備して観客の欲求に応じる。
幕後のきらびやかなショーは、女性独特の「リフレイン」のためである。劇中の素敵な場面を、貪欲に反芻するのである。主人公たちの感動を、これでもかこれでもかという風に繰り返し楽しむ。全員が舞台に並んで、やっと開放されるまで、しばしショータイムを楽しむ。
う~ん、劇の構成以上に、劇後のレビューのほうがわたしには感動モノだった。また行きたいな。演目を違えて、もっと事前に準備していけば、たぶん今回とはちがう楽しみ方ができるはずである。やっと、宝塚歌劇初心者に入門できたな。