トルコ旅行日記#9: 焼き鯖サンドイッチ(後編)

  アカバギは、流れが速い海峡に面した漁港である。黒海の水がマルマラ海に流れ出る”上戸”の口に面している。だから、魚の種類が豊富だ。


アジ、鯖、ブルーフィッシュ(鯛の種類か)、イカ、ムール貝、カキ。波止場のレストランで、捕れた魚を店先で鉄板で焼いたり、あぶらであげて天ぷらにして売っている。
 「ムッシュ。ジャポネ?にっぽんじん?カラマーリ、カラマーリ。イカ、イカね。マッカレル、サバ、サバよ」
 わたしを日本人だと見て、売り子のおじさんが、メニューを片手に寄ってくる。おなかを突き出して、どんと腹をぶつけてくる。わざとである。親愛の情を表すジェスチャーのつもりたろう。体が小さいわたしは、抱き抱えられて羽交い締めにあった。

 船からおりてくるカメラを抱えた観光客に、おじさんたちはつぎつぎに声をかける。成果はおもわしくない。港に着いたばかりで、まだ食べることには頭が行かない。10軒ほどのレストランが、この商売をしている。二階から、海峡を眺めながら食事ができることをさかんにアピールしている。
 いちばんの売りは、マッカレルのサンドイッチだ。鉄板の上で、醤油が入ったタレを付けて、てのらサイズの鯖をじゅーじゅーにして焼く。煙りが立ち上って、醤油とビネガーの焦げるにおいが周囲に広がる。競馬場や縁日でよく見かける、イカ焼きの売り方だ。フランスパンに焼いた鯖を乗せて、トマトとオニオンとレタスを挟みこむ。塩とスパイスをかけて、アカバジの鯖サンドはできあがりだ。
 お昼どきだから、胃がグーグー鳴る。正規の価格は、10リラ(約600円)。しかし、値段は交渉次第である。値切らない手はない。

 帰りの船を待つ間、わたしは、レストランの前の広場で、トルコ人の売り子たちの様子を観察していた。
 ふたり一組の販売チームである。鉄板と天ぷら鍋のお守りをしているシェフは、年齢が若い。スリムで、気持ちハンサムな若者が多い。販売担当の「フッカーおじさん」は、ベテランで百戦錬磨に見える。例外なく、よくしゃべるし、皆さん太っちょである。
 片言英語で、値段の交渉をしてくる。シーフードレストランは、イタリアやスペインとのつながりが深いのだろう。コミカルな売り方や交渉の仕方は、やはりラテンのノリだ。陽気なダンスを見ているようだ。

 クルーズが波止場に停泊しているのは2時間半。焼き鯖サンドの商売は、短時間の勝負だ。広場の一角には4軒のレストランがある。
 そのうちの1軒は、海に面しているので、条件がよい。ほとんど営業らしい営業をしていない。オーシャンビューを楽しみたい身なりがよい客は、この大きなレストランに吸い込まれていく。
 あとの3軒は、波止場からすこし入った狭い通りに面して、軒を連ねている。値段もメニューも、ほとんど変わらない。どの店に人が入るのか、広場の椅子にすわって、しばし観察してみた。わたしの予想は、海を背にして、いちばん右の店がもっとも売れていそうだった。
 港にいちばん近く、角地にあるので、二面がガラス張りになっている。店が清潔できれいなこと、陳列台のサンプルも新鮮で、魚種も豊富である。POPも、この店だけはカラーである。
 どの点から見ても、わたしが仲良しになったおじさんの店には不利である。真ん中に挟まれていて、入口が暗い。二階はまだ片付いていないのがみえみえである。
 たしかに、はじめの30分は、右の店の圧勝だった。清潔そうで、外からはレストランの厨房も見える。さっそく日本人の4人組が、この店に入った。続く3組も、すんなりこの店に消えた。
 しかし、午後1時半をまわったところで、形勢は逆転する。劣勢を見かねたわたしが、仲良しのおじさんに、焼き鯖サンドを注文した。ただし、5リラである(笑)。
 若者は、こっそりカラマリ(イカのリングフライ)をおまけにサンドイッチに入れてくれていた。店の前に腰掛けてわたしが食べているサンドイッチが、おいしそうに見えたのだろう。通り道では、真ん中の店にトラップされる客が続くことになった。わたしの後に焼き鯖サンドイッチを頼んだ婦人たち3人も、隣の席に座ってフランスパンにかじりつく。客が客を呼ぶパターンになった。
 右隣りの店のオーナーは、笑ってこの様子を眺めている。若いほうのシェフは、負け初めてやる気を失いかけている。なんとなく、わたしが隣の若者を応援したことになった。

 その後もしばらくは、真ん中の店の優位が揺らぐことはなかった。おそらく、これは毎日ある戦いのたまたまのヒトコマである。わたしがいなくても、中央の店は勝ち続けている気がする。なぜなら、右隣りの店は、1時半すぎまでに4組をゲットしたところで、積極的なキャッチをやめてしまったから。真ん中の店のおじさんは、道の端から端まで歩き回っては、諦めずにアピールを続けていた。やさしい若者は、ひとつも売れなかった間も、鯖をひっくり返す動作をやめなかった。商売とは、不断の努力である。

 2時半になった。船は3時に港町の岸を離れる。おじさんとは抱き合って、別れを惜しんだ。若者シェフとは、ふたり写真に収まった。名刺を渡して、メールで写真を交換する約束をした。
 おじさんに、携帯写メを頼んだら、ふたりの頭がちょんぎれてしまった。焼き鯖サンドはうまく撮れたから、まあいいとするか。イスタンブール、海峡クルーズ。楽しい午後のひとときだった。