旧日本軍の情報管理、日本国の二度目の敗戦(渥美先生との対話から)

一昨日(3月26日)、渥美俊一先生(84歳)と懇談をしていました。雑誌の取材(先生の評伝)をかねていました。ライターの樽谷さんを交えて、3時間の討議(JRCのコンサル方法論、戦後流通革命のルーツ)、その後に2時間の会食(主題は、戦時体験や学生運動の話)でした。

 渥美先生(日本リテイリングセンター、チーフコンサルタント)は、一高から東大法学部卒業後、読売新聞の解説記者(論説委員)になり、その後に、流通コンサルタントに転じた傑物です。現在のイオングループ、IY、マクドナルド、しまむら、ニトリなど、戦後の流通革命を牽引してきたほとんどの大手小売業の経営者たちを指導してきました。日本が戦争に負けたことの反省(生活の貧しさが敗因)から、日本人の生活をより豊かなものにするために、流通業の発展に生涯をささげてきた方です。
 読売新聞社主の渡辺恒雄(なべつね)、西武流通グループの元総帥、堤清二、日本マクドナルド創設者、藤田田、ダイエー創業者、中内功などと、浅からぬ交流がありました。東大時代に「新人会」(日本共産党とは対立する左翼運動)のオルガナイザーで、大学の生協運動をはじめた立役者です。行動主義者で、実証主義の信奉者です。現場を大切にする人で、学生時代に大学生協を組織した後は、流通コンサルタントとして、米国の流通事情を日本に紹介するわけです。

 それはさておき、渥美さんから伺った話です。渥美さんは、昭和20年の敗戦の年、一高生で徴兵されました。本土決戦に向けて、浜松の基地(富士山のふもと)で塹壕堀をしていたそうです。そのとき、上官の大尉の部屋で、偶然にも「硫黄島玉砕に至るまで記録」を見てしまったそうです。衝撃的ではあったが、とても客観的に書いてあったそうです。その時点で、「日本は戦争に負ける」と確信したそうです。
 思えば、昭和18~20年に、八丈島で陸軍の通信兵をしていた実父(小川久)からも、同様な話を聞きました。グラマン戦闘機に毎晩、機銃掃射を受けていた父は、「硫黄島の玉砕の知らせ(モールス信号)は、自分が受けて本土(大本営)に送信した。だから、その後の敗戦の受諾は、予想の範囲であった」と。
 戦前の日本軍では、不利な戦況にあることについて、ほぼ下士官のレベルまで正確に情報が伝わっていた。世間一般で言われているように、「正しい情報が末端には伝えられていなかった」ということではなかった。問題は、正確な情報をもちながらも、日本国は太平洋戦争に突入することを回避できなかったことです。そして、早めに戦争を終わらせることもできなかった。

 終戦から65年が経過しました。現在の日本が置かれている状況は、当時とよく似ているように思います。何とはなしの不安(JAL破綻など)はあるが、とりあえずの食料は確保されている。たいていの人は、当面の生活に困っているわけではない。
 わたしたちは、「太平洋戦争」(米中間での経済・情報戦争)の真っ只中にいます。グールグルの中国からの撤退は、両国間の思想・経済戦争の前触れです。米中は、明らかに戦争状態にあると見てよいと思います。
 しかし、いまや核兵器のボタンを押すことはできません。その結果は、人類の滅亡に至りますから。形はちがいますが、それでも、わたしたちは経済的な意味で、世界大戦の渦中にいるわけです。
 そして、わが日本国はといえば、2度目の敗戦(今回は、国家経済の破綻)の時期が迫っています。今回は、どのように「戦後復興」を準備すべきなのでしょうか。あるいは、「無条件降伏」(国家経済の破綻=ホールドアップ)に至る前に、長崎と広島の悲劇を回避するために、わたしたちにいまの時点で何かできることはあるのでしょうか。
 渥美先生とお話をしながら、それが現実であり、いまの課題だと感じていました。ほとんどの日本人には、そうした危機意識が欠けています。おそろしいことです。